16-01 目が覚めると朝が来る

 まぶたに光を感じてケイナは目を開けた。
今、何時だろう……
何度か瞬きをして光を感じたほうに目を向けると窓から陽が差し込んでいるのが見えた。その直後、小さな寝息をすぐ近くで感じて少しびっくりした。
そうか、セレスが戻ったんだ…… ほっと気持ちが和む。
お互いのぬくもりをしっかりと感じながらふたりとも抱き合って眠った。
セレスは冷たくなっていくケイナではなく、ケイナは氷のように冷えきったセレスの頬ではなく、相手の体温を確かめるようにふたりは抱きしめあった。
目が覚めると何年もたっているわけではない。これからは何度目が覚めても『明日』がくる。時間は普通に動き始めたのだ。
彼女の頬に垂れかかっている髪を指でそっとかきあげると、わずかに「ケイナ」と、言うように唇が動いた。
セレスは眠る前に何度もケイナを呼んだ。
心地よい彼女の体温にケイナがふっと眠りに落ち込みかけると、セレスは名前を呼ぶ。
「ケイナ?」
ケイナは手をあげてセレスの髪を撫でてやった。
しばらくしてまた眠りにつきそうになるとセレスは小さな声で呼んだ。
何度かそれを繰り返してケイナは小さな欠伸をして目を開き、薄ぼんやりした光の中でセレスの顔を見た。
「ケイナ」
緑色の目が見つめ返してきた。
「ケイナのこと、大好きだよ」
何か返事を求めているんだろうか。そういうの勘弁して欲しいんだけど、と思いながら彼女の髪を指で梳いていると、ケイナの心の中が分かったのかセレスはくすくすと笑った。
「言ってみたかっただけだよ」
そう言って再び大きな目がこちらを向いた。
「ねえ、アルとトニのこと、覚えてる?」
「うん……」
ケイナは答えた。
「覚えてるよ……」
「元気にしてるかな」
「……たぶん」
「会いたいけど…… 会ったらきっとふたりともびっくりしちゃうよね」
「……」
「おばさんとおじさんにもいつか会えるのかな…… 変わっちゃって…… みんながびっくりしちゃうよね…… ちゃんと分かってくれるかな」
ケイナは何も答えることができなかった。無言でセレスの髪を指で梳き続けた。
「兄さんは……」
ケイナの指が止まった。
セレスはケイナから目を逸らせると彼に顔を近づけた。
「……いいよ。ケイナがそばにいてくれるなら」
つぶやくように彼女は言った。
セレスは何かが分かっているんだろうか。聞いてみたい気持ちもあったがとても口を開くことができなかった。
「ねえ、ケイナ」
なに? というようにセレスの顔を見た。セレスはぼんやりと宙を見つめていた。
「もう、ひとりにしないでね」
ケイナは黙っていた。
「もう…… ひとりになろうとしないでね」
緑色の目が再びこちらを見た。
「約束してくれる?」
覗き込むような視線にケイナはかすかにうなずいた。
「もうひとつ約束して?」
どうしたんだろう。怪訝に思いながらケイナは訴えかけるようなセレスの目を見た。
「あのね……」
セレスの顔が一瞬泣き出しそうに歪んだ。
「……先に眠らないで」
ケイナはしばらく彼女の顔を見つめたあと腕を伸ばしてセレスを抱きしめた。
氷の部屋での記憶。
彼女は怖いのだ。
呼んでも返事がかえってこないのではないか。吐息が感じられないのではないかとセレスは怯える。孤独に耐えた数時間が重くのしかかる。
「分かった。約束する」
「ずっとだよ?」
「うん」
「毎日だよ?」
「……」
「これからもずーっとだよ?」
「分かったから、もう寝ろ。おれ、眠い」
セレスは安心したように小さく笑い声を漏らすとケイナの首元に鼻先をくっつけた。
ケイナはセレスが規則正しい寝息をたてるまでずっと彼女を抱きしめて髪を撫で続けた。
温かい吐息を感じながらハルド・クレイの顔を思い出していた。
くっきりと鼻梁の通った精悍な顔つき。厳しい目はセレスを見るときには優しくなった。
セレスは一度だけ、自分と繋いだ手よりもハルドの腕の中に飛び込むことを選んだ。
『ライン』を出て『ノマド』に行き、その『ノマド』からも弾きだされてふたりで向かった地球のグリーンランド。迎えに来たのがセレスの兄のハルドだった。兄の姿を見て無我夢中で走り出すセレスの姿を今でも鮮やかに思い出すことができる。
ハルドさん…… おれ、こいつを守ってやらないといけないんだ……。
ケイナは心の中でつぶやいた。
考えれば考えるほど不安が襲いかかる。
セレスの目が覚めた今、『ノマド』のシナリオはどう描かれているのだろう。
血のように赤い色。自分の周りに広がった無数の水の泡。あのイメージのままなのだろうか。
それとも、セレスの目が覚めたことで方向は変わったのか。
ハルドさんが死ぬのか、自分が死ぬのか、それともふたりとも死ぬのか。
(お兄ちゃん、ぼくらはお兄ちゃんに生きて欲しいんだ。死んじゃだめだよ)
ダイは自分にそう言った。セレスを取り戻すことが、おれが生き残ることになるのか。
だとしたら、ハルドさんはやはり助けられないのか……
助けたい。
ハルドさんを取り戻したい。
ケイナは小さく息を吐くと明るくなった窓を見つめた。
朝の光が切なくなるほど美しかった。
これからは、目が覚めると明日がくる……
何度目が覚めても、横に彼女がいて、昨日の続きの時間がある。
それだけを考えて生きていけたらどんなにいいだろう。
ケイナは視線を隣のセレスに移し、しばらく彼女の寝顔を眺めたあとそっとベッドから抜け出した。
寝室から出ようとドアを開けたとき、セレスの声が聞こえた。
「ケイナ」
振り向くと、セレスが起き上がっていた。痛々しいほど細い肩が見えた。
「一緒に…… 行くよ」
ケイナは無言で彼女を見つめた。
「一緒に行く。カインとティにも会わなきゃ」
ケイナが何も言わずに背を向けたので、セレスはベッドから下りて彼のあとを追った。