14-05 Double

 夜遅くなって、ティはようやく自分の部屋に戻ろうと決心した。
アシュアの子供たちを受け入れるために新しい部屋を大急ぎで手配し、ばたばたと走り回っているうちに気づいたら日が傾きかけていた。カインはかなりスケジュールを調整してくれたが、結局2時間近くも残業になった。
『わたしって、つくづく段取りが下手なんだわ……』
ティはため息をつきながらオフィスを出てドアをロックした。
明日も大忙しだ。少し早めに出社しよう。
そう思いながら振り返ったところで人影を見つけ、ぎょっとして身をすくませた。
「……ケイナ?」
人気のない廊下のダウンライトの下で光る金色の髪を見てすぐに分かった。
「いったいどうしたの!?」
慌てて駆け寄り、体中赤茶色に染まった彼の姿を見て呆然とした。まるですさまじい戦地から帰ってきたようだ。
「怪我してるの? どこ?」
すがりつくように腕に手をかけてきたティに、ケイナはかぶりを振った。
「怪我はしていない」
ティは戸惑いながら血に汚れた彼の顔を見上げた。
「カインさんを…… 呼ぼうか?」
ケイナはやはり首を振った。
「プラニカ…… 悪かった。騙して…… ごめん」
「なに言ってるの……」
ティは少し怒ったような表情になった。
「騙されたなんて思ってないわ。心配したのよ」
ケイナはティから目を逸らせると顔を俯けた。憔悴しきったような彼の顔をしばらく見つめたのち、ティはケイナの手をとった。
「その格好でよく大騒ぎにならなかったわね。とにかく…… こっち」
静まり返ったフロアをちらりと振り返り、彼女はケイナの手を掴んだまま非常階段に続くドアを開けた。
「10階分、あがらないといけないけど…… 大丈夫?」
気遣わしげに彼の顔を見たが、ケイナが無言で階段を昇り始めたのでほっとした。
カインの部屋の前を通ったときよほど彼を呼び出そうかと思ったが、とにかくケイナをなんとかしなければと部屋のドアを開けさせ自分も一緒に入った。
「早くシャワーを浴びて。バスルームにガウンあるから」
ケイナの背を押し、急いで明かりを付けて室温を調整した。
その言葉にケイナは上着を脱いだが、その下の素肌も血まみれなのを見てティは顔をこわばらせた。
いったい何をしてきたんだろう。まさか人殺しじゃないよね。
でも、ケイナはカートとして動いていると聞いた。
バスルームに入っていくケイナを見送って彼が脱ぎ捨てた軍服の上着をこわごわとりあげて眺めた。
何をどうしたらこんなふうになってしまうのだろう。血にまみれているというよりは血を浴びたという感じだ。
いきなり震えがきた。恐ろしさに思わず床にへたりこんでしまいそうになって、ティは慌ててテーブルの端にしがみついた。
だめだ、しっかりしなきゃ。そう思って、数回深呼吸をした。上着はそのままそっと椅子の背にかけた。
キッチンに行って熱いお茶を用意してポットに入れ、カップと一緒にテーブルの上に置いた。
バスルームからシャワーの音がするのを確かめて、カインを呼ぶためにデスクに向かいモニターの前に座った。キーボードに手を置いた途端にケイナが出て来たので慌てて立ち上がって彼に駆け寄った。
「ケイナ、カインさんを呼ぶから……」
そう言った彼女の鼻先で寝室のドアがばたりと閉められた。
「ケイナ、温かいお茶を用意したわよ。お腹は空いてない?」
ティは閉じられたドアの外から声をかけたが返事はなかった。
カインに連絡をしよう。そう思って再びケイナのデスクの小さな画面に向かった。カインの部屋を呼び出すと彼はすぐに画面に現れた。
「ケイナが帰ってきた?」
話す前に彼がそう言ったのでティは目を丸くした。
「ユージーがさっき連絡をくれた。部屋にいるの?」
ティがうなずくとカインは画面から消え、すぐにやってきた。
「シャワーを浴びさせて…… 出て来たと思ったらすぐ寝室に入っちゃって」
部屋に入るなり顔を巡らせるカインを追いすがるようにしてティは言った。カインは椅子の背にかかっているケイナの上着に気づくと、立ち止まってしばらくそれを見つめた。
「全身血まみれだったの。怪我はしていないようなんだけど…… これ、どうしたの?」
ティは不安そうにカインを見上げた。カインは彼女の顔をちらりと見た。
「ダフル・クルーレが亡くなった」
ティはそれを聞いても理解できないようにカインの顔を見つめたままだった。
「クルーレの息子だよ。一緒に行動してたみたいだ」
「一緒に……?」
ティは呆然として上着に目を向けた。では、これはクルーレの息子の血なのか。
カインは口を引き結んだ。
「明日、軍の式があるけど…… リィのほうからは誰も来ないほうがいいと言われた。公の場は危険だからと」
「……わたしを襲ったあの人なの?」
「そう。それとぼくをね」
ためらいがちに尋ねるティにカインはそう答えると寝室に向かった。ノックしたが応答はない。
「ケイナ」
やはり返事はなかった。カインはそっとドアを開けた。
「ケイナ?」
中を覗き込むと暗い部屋の床に脱ぎ捨てられたバスローブとタオルが落ちているのが見えた。
とりあえず部屋着だけは身につけているものの、半ば倒れ込むような格好でケイナはベッドに横になっていた。
「ショックで別人格を作るよりましか……」
カインは寝息をたてるケイナの顔を見てつぶやいた。人の気配には人一倍敏感なケイナが寝室に人が入って来ても飛び起きない。よほど憔悴したか、それとも帰ってきて安心したのか……
ユージーが連絡をくれたのは正午あたりだった。それから8時間以上も、飲まず食わずでいったい何をしていたのだろう。
彼が何かを握っていることに気づいて、そっと左手を動かしてみた。
ハルドのブレスレットがちらりと見えた。