13-05 夢見

 目の前に、トリが座っていた。
彼は前と変わらず寂しげな表情でこちらを見つめていた。
(ハルドさんがいつすり替わったのか、ぼくらは掴めなかったんだ……)
「すり替わった……?」
ケイナがつぶやくと、トリはうなずいた。
(全くの他人ならどんなに顔を変えて遺伝子情報がシールドされたからといって人の持つエネルギーはそれだけではない。気がつかないはずはない。それでも気づかなかったということは、ハルドさんに非常に近しい人が身代わりとなって埋葬された可能性がある ……ハルドさんの気配を自分の中に取り込んでしまえるほど近い人が)
ケイナは口を引き結んだ。
真っ先に頭に思い浮かんだ人間がいた。
リーフだ。
ハルドの秘書のリーフ。
彼はハルド・クレイと同じような体格だった。
リーフはレジー・カートに撃たれたが、もともとリィ・カンパニー側の人間だった。どこかでサン・バッカードとの接点も生まれた可能性はある。
(そこに気づくか気づかないかが、運命を変えるラストチャンスだったのかもしれない。ぼくらはそれを逃してしまった。彼らはハルド・クレイをきみと同じ顔にすることで、きみと偽って送り込み、ユージー・カートやカイン・リィを抹殺する気だったんだろう。だから、きみを『ゼロ・ダリ』から脱出させるために、できるだけ早い時期にきみを回復するよう、アシュアと手を繋がせた。アシュアは夢見の力は引いていない。だから彼は相当消耗しただろうし、下手をすると彼に命の危険もないわけではなかった。でも、しかたがなかった)
目が覚める直前の記憶は曖昧だった。だが、あのとき、妙にアシュアをそばに置いておきたい気持ちが強かったのは覚えている。アシュアの大きな手が自分の手に触れると安心した。
全部、『ノマド』の夢見のせいだったのか。
「……あんたたちは間違ってるよ。あんたたちがやってることは人を利用して自分の思う通りにさせようとしていることでしかない……」
ケイナが言うと、トリは目を伏せた。
(ぼくらは未来を垣間見る。技術を持ち、突出した能力を持つ。その反対に負の遺伝子を持つ。この星にとっては負担となる民族だ。見える夢は万能ではない。だから運命を操作しようなどと、驕(おご)ってはいけない…… そのことは分かっていたつもりだった。分かっていたはずなのに、どこかに傲慢さがあったんだよ。だから失敗した。でも、彼を元の世界へ戻して終わりにしなくちゃならない)
「終わりにって…… どういうことだ。ハルドさんを殺せば全部終わるのか? あんたの夢見た共生ができるっていうのか?」
ケイナは尋ねたが、トリは無言でかぶりを振った。
「何年も前から予見を重ねて、見える力を持ちながら、どうして一番嫌な部分はおれにやらせようとする? 失敗したと思うなら…… 自分たちでやれよ!」
ケイナは語気を荒げた。言ってから顔を歪めた。
分かっている。『グリーン・アイズ』の血が流れるハルドは『ノマド』では止めることができないのだ。最初の『グリーン・アイズ』を止めることができなかったように。
幼い頃の暴走した自分をトリが偶然という幸運に遭遇しなければ止められなかったように。『グリーン・アイズ』は『グリーン・アイズ』でしか止められない……。
じゃあ、セレスは?
ケイナはどきりとして顔をこわばらせた。
おれがハルドさんを葬るのなら、セレスの役目はいったいなに。
あいつの『グリーン・アイズ』の血は何に働くんだ?
問いかけようとしたとき、ケイナの左手を握るトリの手に力がこもった。ケイナはその手に目を向けた。
(小さい頃はよく手を繋いだね……)
小さい頃……?
トリの言葉にケイナは眉をひそめた。トリと手を繋いだことがあっただろうか。
幼い頃の『ノマド』の生活の記憶は多くが断片的で、今でもほとんど思い出すことができない。
リアとはよく手を繋いでもらって森の中を歩いたような気がする。体が弱かったトリはほとんどテントの外に出ることもなかったはずだ。でも、一緒に暮らしていれば手を繋がなかったということはないだろう。
ふと、ブランの小さな手を思い出した。彼女は両手で自分の手を握り締め、小さな額を押しつけた。あのとき、彼女の後ろにたくさんの夢見たちが控えていることが感じられた。彼女は小さな体で多くの情報のやりとりをしていた。
意識が体を通り抜けていくたびにきっと泣きたくなるほどの苦痛を味わったことだろう。
気がつくとトリがあのときのブランと同じように両手で自分の手を握り、額をおしつけていた。
でも、違う……
ケイナは思わず顔を歪めた。
今度は吸い取っているのではない。ひたすら一方的に自分に流れこんでいる。
左手から途方もない量の『ノマド』の意識が流れ込む。『コリュボス』と地球にいる数千人のノマドの決心。あっという間に左手が熱くなった。
決心? いったい何を……?
見極めようとすると体中に刺すような痛みが訪れた。生前のトリが一瞬飛ばしてきた意識を受け取ったときの痛みなどとは比べ物にならない。
右手で体を支えながら繋がれた手を引き抜こうとしたが、トリの力は強かった。
苦痛に耐え切れず目を閉じると、恐ろしいほどの速度でたくさんの顔がまぶたの裏を通り過ぎていくのが見えた。小さな悲鳴がケイナの口から漏れた。
(ケイナ、最後まできみを守護する。必ず迎えに行く。だからきみの力を貸して欲しい)
トリのつぶやくような声が聞こえた。
右手の甲にぽつりと赤い点が落ちた。
痛みをこらえて歯を食いしばっているうちに自分の唇を切った。
「トリ…… 手を放せ……」
ケイナは呻いた。体中が痛い。
(ハルド・クレイを元の世界へ)
その言葉と同時に痛みが去り、鮮やかな赤い世界が視界に広がった。
次の瞬間には自分の周囲に無数の水の泡が広がるのを見た。視界の先に暗闇が見える。頭上でどんどん遠ざかっていく水面が見えた。
溺れる……!
ケイナは無我夢中でトリから左手を引き抜いた。
気がつくと汗びっしょりになってうずくまっていた。口の中で血の味がする。手の甲で口を拭うと最後に見た赤い色がその手についた。
「冗談じゃねえよ…… いつもいつも…… 訳のわかんねぇイメージで縛りつけやがって……!」
ケイナは息を喘がせならが目の前に座るエリドを睨みつけた。
「もうたくさんだ……! ハルドさんはセレスの兄さんなんだぞ……!」
エリドは何も言わなかった。ケイナは身を起こして再びエリドの胸ぐらを掴んだ。
「なんで、セレスまで起こしたんだよ!」
エリドは無言でケイナの顔を見つめていた。
「記憶を差し換えて、あの時のことをおれやカインにもう一度突きつけて、目の前でおれが自分の兄を殺すことを見せるのかよ! そこまでする必要がいったいどこにあるんだ!」
「そうじゃない」
エリドは言った。
「あれは彼女に同情した夢見のミスだ」
ケイナは目を細めた。ミス? ミスだと?
「ふざけんな……」
怒りに震えるケイナの腕をエリドは掴んだ。
その力が予想外に強かったので、一瞬それに気をとられた隙にエリドの手がケイナの額にぱしりと打ちつけられた。その途端に腕が自分の意思に関係なく彼から離れるのをケイナは感じた。
「セレスはきっとどこかで生前の彼女に触れているんだろう。だから入りこまれた」
エリドは言った。
「あの子は誰かに甘えたかった。ひとりで長く冷たい場所にいて、父親を殺してしまった傷も癒されることはなかった。彼女がセレスの中に留まり、カインの声に反応するのは、それが最後に彼女が接した生身だったからだ。その彼女に…… 夢見の誰かが感応してしまったんだ」
最後に接した生身……?
そうだっただろうか。
セレスと『グリーン・アイズ』が触れた部分などあっただろうか。
記憶を辿り、思い出した。
セレスは父親と間違えられて彼女に抱きつかれ、地震が起こる直前彼女の手をとって壁際に連れて行った。
ケイナの目の奥に浮かんだ記憶を察したのか、エリドはかすかにうなずいた。
「すまなかった…… まさか彼女が入っているとはわたしたちも考えていなかった」
ケイナは呻いて両手に額を埋めた。まだ口の中で血の味がする。
癒されることなく死んだ彼女の意識に、ただ同情しただけ?
あまりにも空しい答えだった。
たったそれだけのことで、カインもおれも、ブランも……
「中に入り込まれてしまったセレスはともかく、きみにも思い当たる部分があるなら、彼女を癒してやることはできるはずだよ」
エリドは言ったがケイナは苛立たしそうにかぶりを振った。
あの時は『グリーン・アイズ』と戦っていた。剣を打ち合わせた記憶はあっても、彼女に触れた記憶はなかった。
でも、触れた触れないで言えば、カインは声だけでしか彼女に接していない。
どうやって声だけで彼女を癒すことができるというのだ。
「きみにとってセレスが必要で、セレスにとってはきみが必要だ……。どこかで必ず彼女は戻る」
エリドは静かに言った。
もう、何も言えなかった。
おれはいったい何のためにここに来たんだろう……
『ノマド』に来ても何も変わらなかった。
自分はハルドと対峙しなければならないし、どうすればセレスから『グリーン・アイズ』が出ていくのかも分からない。
何一つ改善策が見出せない。
解き方の分からないパズルの数が増えただけだ。
水の泡が自分の周囲に広がると同時に感じた、かすかな死の予感が恐ろしかった。
おれは、死ぬのか?
「……帰るよ」
ケイナは顔をあげて言った。
「今日はもう遅いぞ」
ゆらりと立ち上がったケイナを見上げてエリドは言ったが、ケイナは彼を見下ろしてかぶりを振った。
「おれ、もう分からないよ…… 眠りにつく前に生きてて良かったと思ってた。死にたいとばかり思っていたのに、生きていて良かったと思ったんだ。だのに……」
ケイナは顔をゆがめてエリドから顔を逸らせた。
「……おれはハルドさんと決着をつけないといけないんだろう。それがあんたたちの望みだ。別にいいよ。それはそれで。カインやユージーをこれ以上危険な目に遭わせたくない。言われなくったっておれはやるよ ……でも、それが何にどう繋がるのかがおれには分からない」
エリドは何も言わなかった。
「でも、あんたたちのシナリオ通りには絶対しない」
ケイナは最後に彼を一瞥すると重い足を引きずるようにしてテントを出て行った。