11-07 Remember your hand

 お昼前になってヨクはカインのオフィスに顔を覗かせたがデスクの前にカインはいなかった。
「カインは、まだ?」
ティのオフィスに行って尋ねると彼女はうなずいた。
ケイナが少し離れた場所で書類に目を落としているのがヨクの目に入った。
「起こしていないんです。とてもしのびなくて」
ヨクがケイナを見ていたので、ティも彼に視線を向けた。
「ケイナは8時にここに来たらしくて…… でも、誰もいなくて時間を持て余してたみたいだから、書類を分けるのを手伝ってもらうことにしたんですけど……」
ティはヨクの顔をうかがうように見上げた。
「良くないかしら、やっぱり」
「まあ、ケイナがそれでいいって言うなら別にいいけど……」
ヨクは曖昧に答えた。ケイナ自身は何も反応しない。ヨクが来たことすら気づいていないような表情だ。左手で持ったペンを指で弄びながら書類を睨みつけている。
「まあ、カインも眠れる分だけ成長しているのかな。緊張が強すぎて眠れないっていうほうが心配だ」
ヨクは苦笑しながら煙草をポケットから取り出しながら言った。
「ヨク、ごめんなさい、煙草は向こうで吸って欲しいの」
「ああ、失礼」
彼はティの言葉に慌てて煙草をしまい込んだ。
「クルーレは来た?」
「いえ…… 今日はもうお帰りになられたんだと思います」
「セレスは?」
「リアが見てくれています。アシュアはさっきヨクのオフィスに向かいました。待っていると思います」
ヨクはもう一度ケイナをちらりと見た。やっぱり彼は無反応だ。
「あと1時間くらいしたらカインを起こしてやって。2時の会議は予定通り行いたいから」
彼はそう言うと出て行った。
ティは小さなため息をついてケイナに目を向けた。
「コーヒーでも淹れましょうか」
ケイナは俯いたまま何も言わなかったが、ティは席を立った。
しばらくして彼女は2人分のカップを持って戻ってきた。
「あなたはもっと休まなくても良かったの?」
彼の前にカップを置いたが、ケイナはやはり何も言わなかった。置かれたカップに目を向けることもない。
「顔色があんまりよくないわよ」
「12ページが抜けてるよ」
ケイナは顔をあげずに言った。ティはうなずいてデスクの前に座り、モニターに向き直ってくすりと笑った。
「軍服の人に事務処理を手伝ってもらうのって、あんまりない経験よね」
彼女の言葉にケイナも少し笑った。
「銃持って、体張ってるだけが軍人じゃないよ」
ティはケイナを振り向いた。
「クルーレだって半分は机にしがみついてるはずだ」
彼の言葉にティはさらに笑った。クルーレのあの大きな体がデスクの前にあることを想像すると、少し可笑しかった。そして再び口を開いた。
「ねえ? あなたとクルーレさんは古くからの知り合いなの?」
ケイナが初めて顔をあげた。彼の視線を真正面から受けてティは慌ててかぶりを振った。
「あ、違うんだったらいいの」
青い瞳にちょっとどぎまぎした。
「なんだか、ちょっとそういう気がして」
ケイナは何も言わずに目を逸らせた。
しばらくふたりとも無言だったが、ケイナがいきなり口を開いた。
「あんた、不思議な人だね」
ティはびっくりしてケイナを振り向いた。ケイナは書類を見つめたままだった。
「なあに? どういうこと?」
首をかしげると、ケイナは顔をあげないままかすかに笑った。
「なんでそんなに人のことに首を突っ込みたがるの?」
ティがきゅっと口を歪めて顔をそらそうとすると、ケイナが紙を突きつけた。
「なに?」
怪訝な顔をして受け取ってみると、紙にはびっしりと文字が書き込まれていた。
「あんたほうが疲れてるみたいだ」
ティは連なった文字を見たあと、思わずケイナの顔を見た。
「ミス部分。スペル違いまであるよ」
ケイナは紙を顎でしゃくって言った。
「あなたって不思議な人ね」
ティはゆるくかぶりを振った。
「ほんとに18歳?」
ケイナがむっとして紙を取り上げようとしたので、ティは身を反らせた。
「冗談よ」
彼女はくすくす笑った。
「そういうところはまだ子供なんだから」
ケイナがコーヒーのカップを持ったまま立ち上がったので、ティは彼を見上げた。
カインのオフィスに戻るつもりなのかもしれない。
「ありがとう」
ティはケイナの後ろ姿に声をかけた。
「手伝ってもらって助かったわ」
ケイナはちらりと振り返って何も言わずに出て行った。
その後、ケイナの姿が消えたことに気づいた者は誰もいなかった。
数時間後、彼の姿がカンパニーのどこにも見えないと分かったとき、ティは自分のオフィスに彼を招きいれたことを後悔した。
ケイナはティがコーヒーを淹れにいったわずか数分の間に彼女のプラニカのキィをデスクから取り、システムにアクセスして彼女自身が車庫から出したように見せかけ、それに乗って消えていた。