11-03 Remember your hand

 その夜、カインはかなり遅くまでオフィスで仕事をしていた。
「いい加減、戻って休めよ」
ヨクがそう言ってオフィスを出て行ったのが2時間前だっただろうか。
ティも帰ったはずだ。オフィスにはケイナとカインだけになった。
ようやくモニタから目を離して時計を見ると午後11時30分だった。
「ケイナ、部屋に戻って休むといいよ」
カインが声をかけたが、ケイナは本を読んだまま返事をしなかった。
「ぼくは今日、オフィスに泊まるから」
部屋に戻った途端に、セレスの訪問を受けそうな予感がする。
怖くて帰ることができなかった。
「ずっとここに寝泊りするわけにはいかないだろ……」
しばらくしてケイナがつぶやいた。
「そりゃそうだけど……」
カインはデスクから立ち上がり、伸びをした。
「アシュアから、連絡なかったな……」
独り言のようなケイナの言葉にカインはうなずいた。
「そうだな…… 夕方コミュニティに繋いでみたけど、だめだった。ぼくからの通信は閉じられているみたいだ。アシュアの通信機はいわずもがな」
ケイナは無言だった。
「ぼくはアシュアを信じてるよ」
カインはソファに近づくと、ケイナの隣に腰をおろした。
「『ノマド』が黒なら、アシュアはきっと苦しんでるだろう。彼はどっちの味方につくこともできない。もし仮に彼が『ノマド』の側につくことになっても、それはそれでいいと思ってる。そういう運命なんだ」
ケイナは黙ってカインの言葉を聞いていた。
「でも、どっちにしてもあいつの性分からして、このまま音沙汰なしってことはない。必ずどうするのか連絡してくるはずだ」
「今日、おれの部屋で寝る?」
ケイナがいきなり言ったので、カインは目を丸くして彼の顔を見た。
「セレスはおれのことを怖がってる。こっちなら絶対来ない」
ケイナはかすかに笑った。
「社長サンにベッドを譲るよ。」
カインは思わず苦笑した。
「そうだな。そうさせてもらおうかな。さすがに疲れた」
「おれより歳くってるしな」
「うるさいよ」
カインはケイナの頬を軽くたたくと立ち上がった。

 オフィスを出て自分の部屋に来たとき、カインはふと立ち止まった。
「部屋に入る通信をそっちに転送するようにしてくる。ちょっと待ってて」
ケイナはうなずくと、ドアの中に入っていくカインを見送った。
カインは明かりをつけて、まっすぐに自分のデスクに向かった。
モニターを見てキィを叩き、操作は15秒ほどで終わったが、ふと目をあげた。
小さな赤い色が視界をよぎったような気がしたからだ。
次の瞬間、カインは身を伏せていた。
大きな音とともにモニターが吹き飛んだ。
けたたましい警報の音とともに壁のガラスが自動で曇り、ケイナが慌てて部屋に飛び込んできた。
「怪我は」
顔を覗きこむケイナにカインはかぶりを振った。
「ない」
少し声がうわずった。
「と、思う……」
「血がついてるよ」
ケイナはカインの左のこめかみを指差してガラスの壁を見た。
「ガラス、そのままだったのかよ……」
今はもう曇って外は見えないが、小さな点が空いているのが見えた。
このビルの正面は何があっただろう。
防弾のガラスを打ち破るほどの距離はどのくらいなのか。貫通する銃はどれくらいなのか……。
カインが手の甲で顔を拭っていると、ヨクとティが血相を変えて飛び込んできた。
「ヨク、カートの警備を上に呼んで」
ケイナは言った。踵を返そうとする彼の腕をカインは慌てて掴んだ。
「どこに行くつもりだ!」
「今度は逃がさない」
ケイナは答えた。
「もういるはずがないだろう! それに場所も分からない」
「いる」
カインの言葉にケイナはきっぱりと答えた。
「遊びで外したことくらい分かるだろ」
カインは口を引き結んだ。
視界をよぎった赤い点。
そうだ。あいつはわざわざ狙いを外した。
ケイナはカインの手をふりほどくと出ていった。
廊下を走りながら通信機を接続した。
「アシュア、出ろ……」
祈るような気持ちでアシュアの通信機を呼び出した。
アシュアがもし『ノマド』のコミュニティの中にいたら繋がらない。
コール音を聞きながらケイナはビルを飛び出した。
「アシュア! 頼むから出ろよ!」
ケイナは叫んだ。
小さな音がケイナの耳に響いた。