11-01 Remember your hand

「セキュリティは2時間後に作動し始める。10秒ほど全社のコンピューターが停止するが、それはしかたがないな。『ホライズン』の研究棟、治療棟に影響が出ないぎりぎりの時間だ」
ヨクが書類をめくりながら言った。カインはうなずいてケイナに目を向けた。
頬杖をついて考え込むような表情でソファに座っている。朝からずっとこのポーズだ。
「ウォーター・ガイド社から連絡があった。先だっての昼食会をキャンセルしたからお詫びがしたいと。明後日、社長も一緒にどうかと言ってきてる」
ヨクは書類をデスクの上に置きながら、カインの顔を覗きこんだ。
明後日には何かあっただろうか。ティを呼び出そうとすると彼女が部屋に入ってきたのでカインは手を止めた。
「昨日の報告書です。あさってまでに決済が欲しいと。それと……」
ティは言いよどんだ。
「ドアーズ博士が連絡が欲しいとおっしゃってます」
カインは顔をしかめるとこめかみを押さえた。セレスのことを忘れていた。
「アシュアから連絡は?」
ヨクが尋ねたので、カインは首を振った。
「まだ、ない」
もう、完全にパンクだ。手が回らない。
「セレスの様子はどんな感じなんだ?」
ヨクの言葉にカインは息を吐いた。
「たぶん、日常生活は大丈夫なんだろうと思う。リアがいないから不安を訴えてるんじゃないかな……」
「アシュアたちはいつ戻ってくるか分からないんだ。いっそ退院させたらどうだ」
「えっ……」
ヨクの言葉にカインは思わず声をあげた。ケイナもこちらを振り向いた。
「おれとティのいるフロアはまだ部屋がある。『ホライズン』にいるよりは、近いところで様子を見ることができるじゃないか」
「それは……」
ケイナに目を向けると、彼は戸惑ったように視線を逸らせた。
今、この状況でセレスを退院させるのがいいことなのか悪いことなのか、カインには判断がつかなかった。新たな問題を起こしそうな気もする。かといって、いつ戻るか分からないリアを待ってセレスを放置しておくわけにもいかない。リアがいないとなるとドアーズは必ず自分を呼び寄せようとするだろう。それは無理だ。
「日常生活に支障がないんなら、少し早いのかもしれんが自立を促すという意味でこっちで引き取ってもいいんじゃないか?」
畳みかけるヨクにカインはやはり即答できなかった。
「わたしがセレスを見るわ、カインさん」
ティが口を挟んだ。カインは思わず彼女の顔を見上げた。
「わたしの隣の部屋は空いています。同じビル内ならいつでも行けるし、逆に安心なんじゃない?」
「でも、迎えに行く人間がいない」
カインがかぶりを振ると、ティはかすかに笑みを浮かべた。
「わたしとケイナで行くわ。ドアーズ博士に話して。わたし、今から部屋の用意をしてくるから」
ケイナがうんざりしたような顔をして足を前に投げ出し、ソファの上で身をのけぞらせた。
『グリーン・アイズ』がそばに来る。それはケイナにとっても大きな不安だ。
「ケイナ」
カインが声をかけると、ケイナはこちらに目を向けた。
「もう、どうしようもないよ」
ケイナは目を逸らせたが、渋々うなずいた。
「ドアーズ博士に連絡をとる」
カインはヨクとティを見て言った。ティはうなずいて部屋を出て行った。

 ティはケイナにプラニカの運転席を譲った。
「1週間後に、免許証が来るから」
ティが隣の席で言ったので、ケイナは思わず彼女の顔を見た。
ティはいたずらっぽく笑った。
「こういうことができるのよ、カンパニーなら。でも、1週間は安全運転してね。つかまると無免許よ」
ケイナはかすかにうなずくとプラニカを出した。
「昨日の今日なのに、外出できるんだ?」
ケイナが言ったので、ティは肩をすくめた。
「しっかりしろって言ったのは、あなたよ。それに、あなたが一緒なら大丈夫。絶対に」
ケイナは何も言わなかった。しばらくしてまた彼は口を開いた。
「セレスが来ると…… あんたは嫌な思いをするかもしれない」
自分からは滅多に口を開かないケイナが何度も話しかけるのはめずらしかった。ティは不思議そうに彼の横顔を見た。
「どうして?」
ケイナは口を引き結んだ。言葉を探しているような感じだ。
そうか…… この子は人としゃべるのが苦手なんだ。
ティはふと思った。
無愛想だと思ったのはこれが原因だったのかもしれない。
彼にとって相手の気持ちを推し量りながら言葉を選んで話すことは相当の苦労なのかもしれない。だから聞かれたことにそのままの言葉を返す。議論をふっかければ論破しようとする。返す言葉によっては言い争いになるかもしれなくても、それしかできない。
そんな自分を彼自身も少なからず自分で悟っているのだろう。だから口を開かない。
「カインを信じてやってよ」
ケイナの言葉にティは小首をかしげた。どういうことだろう。カインを信じることとセレスが来ることがどう繋がるのか、彼女は分からなかった。
「カインは…… その…… あんたのことが好きだから」
ティは思わず顔を赤らめた。
「変なこと言うのね。でも、あなたはセレスがそばに来てくれたら嬉しいでしょう?」
問いかけるとケイナはかすかに険しい表情を浮かべた。
「嬉しくないの?」
「……分からない」
ケイナは答えた。「分からない」という言葉を彼はよく使う。
分からない、というのは、その言葉通りなのだろう。気持ちがうまく整理できないのだろうし、そのことをまた言葉で表現することも彼は苦手なのだろう。
「ケイナ……」
ティは彼に声をかけた。
「いろいろ無理に話そうとしなくていいわよ」
ケイナが目だけをちらりとティに向けた。
「ありがとう、ケイナ。わたしはあなたを信頼してる。一緒に頑張ろうね」
ケイナは何も答えなかったが、束の間、彼の目が何度も瞬きを繰り返すのをティは見た。
本当は脆く壊れやすい。
整った顔に美しい肢体、並外れた戦闘力と知性。
でも、覆いつくされた鎧の下にある彼はとても危うく脆いのかもしれない。
何年も眠りにつき、目覚めたときには世界が変わっていた。
自分の友人たちは自分の年齢を遥かに超え、好きだった人は記憶を失っている。
普通に考えて、彼が何のストレスもなしにいたはずがないのだ。
ごめんね、ケイナ。わたしはあなたの気持ちを分かろうとしてあげていなかった。
あなた自身を理解しようともしていなかった。もっと早く分かってあげればよかったね……。
彼女は心の中でつぶやいた。