10-10 天の青

 ティとヨクは1時間ほどして戻ってきた。ヨクは部屋に入るなり大きなくしゃみをひとつした。寝起きのまま飛び出してきたので冷えたのだろう。
「幹部の向こう2ヶ月分のスケジュールとセキュリティのパスワード関連がいくつか流出していた」
ヨクは鼻をすすって言った。
「パスは全部変更してきた」
カインは髪をかきあげてソファにもたれかかり天井を仰いだ。
「ごめんなさい」
ティが申し訳なさそうに俯いた。
「でも、わたし、オフィスのコンピューターは最後には全部シャットダウンしてしまうのに…… 今日はオフィスに戻らなかったからかしら……」
「ティのコンピューターはおれがシャットダウンしたよ。どこかが起点で自動で立ち上がるようになってたんだろうな」
ヨクはため息をついてソファにどっかりと腰をおろした。ケイナは不機嫌そうな顔をして両手をポケットに突っ込み、カインのデスクによりかかっている。
アシュアとリアは寄り添うようにして、カインの対面のソファに座っていた。
「カイン、やっぱり『ノマド』だと思うか?」
アシュアがためらいがちに尋ねたが、カインは天井を睨みつけたまま答えなかった。それはイエスと言っているのと同じだった。
「『ノマド』はそんなことしないわ」
リアが憤慨したように言ったが、誰もそれには答えなかった。
「カイン、『ノマド』は情報を盗むなんてことしないわ。だって理由がないじゃない」
身を乗り出すリアの肩をアシュアは掴んだ。
「おれ、『ノマド』に帰って来るわ」
アシュアの言葉にリアが彼に険しい目を向けた。
「画面越しに、やった? やらなかった? って聞いたって埒あかねぇだろ? 直接聞いてみるよ」
「あたしも帰る」
リアは言った。
「絶対やってないわ。それを確かめてくる」
アシュアが立ち上がったので、リアもそれに続いた。
「今から出りゃ、昼までには着く。また連絡するよ」
カインはそれでも目を向けず、何も言わなかった。ふたりが部屋を出ていってから彼は眉をひそめて目を閉じた。
「カイン、本当のところどうなんだ? 『ノマド』だと思ってるのか?」
ヨクは気遣わしげにカインの顔を見た。
「アシュアの部屋からマシンを撤去して」
カインは身を起こすと、誰にも目を向けずに言った。苦悩がありありと浮かんだ表情だった。
「明日から、24時間社内全てのコンピューターのセキュリティクロールをもう一段階つけてください。『ホライズン』にも」
「イエッサー」
ヨクはため息まじりに答えると立ち上がった。
「大忙しだ」
ヨクのあとに続いてケイナも部屋を出て行った。
「カイン……」
ティが声をかけると、カインは時計を見てかすかに笑みを浮かべた。
「5時…… 朝になっちゃったな」
ティは黙って彼の横顔を見つめた。
「ティ」
カインはつぶやいた。
「『ノマド』を相手にしたら、リィは勝てないよ…… たぶん、カートも」
「まだそうと決まったわけじゃないわ。」
ティは言った。
「リィもカートも『ノマド』を敵に回すようなことは何もしていないじゃない」
「してるよ」
カインは答えた。
「トイ・チャイルド・プロジェクトで」
カインは前のめりになると両手で額を支えた。
「ケイナとセレスを生かしてくれたのは彼らなのに…… どうしてなんだ……」
呻くようにつぶやくカインにティは何も言えなかった。

 アシュアは森の入り口にプラニカを停めるとリアと一緒に降りた。
もうすっかり夜も明け、露を含んだ草の香りがする。
ふたりは無言で森の中に入っていった。
「セレスに何も言って来なかったわ……」
しばらくしてリアがぽつりとつぶやいた。
「寂しがるかも」
「あいつの様子、どうなの?」
アシュアはリアの横顔を見て尋ねた。
「もう退院してもいいんじゃないかな…… 生活はできるもの。歩行訓練も終わったし、食事もしっかりとれてるし」
リアは足元を見つめながら答えた。
「ただ、すごく気持ちが不安定で。なんだかとっても女の子っぽい感じのときもあれば、前のセレスみたいな口調で話すこともある。今はほとんどないけど、前は男の子みたいな仕草をしちゃうこともあったの。自分でも不思議みたいだったけど」
「男だった記憶はないんだ?」
「うん…… 今のところは自分の体が女の子だってことにも特に違和感ないみたい」
リアは肩に垂らしていた髪を手でぱさりと後ろに投げた。
「ただ、異様にカインに執着するのよね…… 口癖みたいにカインに会いたいって言うの。それを考えると、退院するのはどうかなあって気もする。今はやっぱりさ、カインもいろいろ続いて大変じゃない?」
「うん……」
アシュアも足元に視線を落としてうなずいた。
「それにさ、カインて、ティのことが好きなんでしょ?」
アシュアは思わずリアの顔を見た。
「分かっちゃうわよ、あのふたり。自分たちで気づいてないかもしれないけど、お互いを見る目が違うじゃない」
リアはかすかに笑った。
「セレスが退院なんかして、カインにべったりになったら…… あんまりよくないよね……」
「セレスはケイナのことは何も言わないのか?」
リアはかぶりを振った。
「ケイナのことは怖がってるみたい。女の子っぽい雰囲気の時は特にそう。あれってやっぱり『グリーン・アイズ』なのかしら」
彼女はアシュアに目を向けた。
「どうして『グリーン・アイズ』はケイナを恐れるのかしら」
「さあ……」
アシュアは首をかしげた。
「ケイナが自分を消しちゃうと思うからかな……」
リアはつぶやいた。
「夢見たちが『グリーン・アイズ』を起こしたんなら、そのことも聞いたほうがいいよね。あのままだったら辛いよ。ケイナもカインも。『グリーン・アイズ』が納得してくれる最短方法があるかもしれないじゃない」
「うん……」
そう答えて、アシュアはふと足を止めた。
「どうしたの?」
リアが振り返った。アシュアは立ち止まって周囲に顔を巡らせた。
「どうしたの?」
リアが再び尋ねた。
「このへんから、いつもあいつら来てたんだ」
アシュアの言葉にリアは目を細めた。
「ブランとダイ」
アシュアはリアを見た。リアははっとした顔になった。
「おれが帰ること、ブランはいつも分かるんだろ? 毎回おんなじようなところで飛び出してきて、あいつらじゃれつくんだよ」
リアの表情が変わった。彼女が駆け出したので、アシュアもそのあとを追った。
何かが違う。木の枝が頬に触れて小さな傷を作ったが、リアは構わず走った。
そしてコミュニティの入り口まで来て、ふたりは呆然と立ち尽くした。
そこには何もなかった。
見慣れたテントも水を汲む小さな桶も子供たちの笑い声もお帰りと言ってくれるコミュニティの住人の笑顔も…… 何もなかった。
ただ、テントがあったと思える丸いくぼみがいくつか点在する空間があるだけだった。
「ダイ!」
リアは叫んだ。
「ブラン!!」
彼女はテントのあった場所に走って行った。
「ブラン!!」
金切り声で呼んでも返事はなかった。
ここには何もない。
コミュニティは移動したのだ。
アシュアは歯を食いしばった。
体が震えた。自分たちは置いていかれたのだ。
「ダイ! 返事してよ! ブラン!!」
リアは相変わらず叫んでいる。
「アシュア!」
リアはアシュアに食いつくように言った。
「どうして何もないの! ブランとダイはどこに行ったの!」
アシュアは何も言えなかった。
「ブランとダイはどこに行ったの!」
叫び散らすリアをアシュアは抱きしめた。
リアはアシュアにしがみつくと大声で泣き出した。

 アシュアは泣きじゃくるリアを連れて再びプラニカに戻った。
彼女を中に座らせ、通信機のボタンを押しかけて、ため息をついた。
『ノマド』とコンタクトを取る手段を失った。
なぜ、リンクもエリドも何も言ってくれなかったのだろう。
ブランとダイをコミュニティに置いたことを後悔した。
自分たちの子供なのに…… 『ノマド』はふたりを連れ去った。
自分だけならまだ分かる。アシュアはリアに目を向けた。『ノマド』で生まれ育ったリアまでも、どうして彼らは弾きだしてしまったのか。何のシナリオが書かれているというんだろう……
「リア……」
声をかけると、リアは勢いよくかぶりを振った。
「カインのところには帰れない。帰りたくない」
絞り出すような声だった。アシュアは口を引き結んだ。
「『ノマド』が…… 犯人でしたって…… どんな顔して言えばいいのよ」
「それは分からないだろ」
アシュアは言った。
「いなくなっただけだ」
「同じだわ。何にもなくてどうして急に移動するの? わたしたちを置いて」
アシュアは彼女から目を逸らせた。リアは言い募った。
「アシュア、あんたどっちの味方をするの? 『ノマド』がもしリィ・カンパニーと対峙したとき、あんたはどっちを助けるの?」
「それは……」
どうすればいいんだろう。アシュアには分からなかった。
「どっちの味方もできないのよ、あたしたち。帰れるわけがないじゃない」
アシュアはプラニカの座席に身を沈めると、大きなため息をついた。
重苦しい沈黙が続いた。
「でもさ……」
しばらくして彼は口を開いた。
「このまんま、どっちにも戻らずふらふらするのって、卑怯じゃねぇ?」
リアはアシュアの顔を見た。
「おれの大事な人たちが両方にいるんだよ。どっちの味方をするかなんて結論は今は出ないけど、だからって傍観者でいるのがいい方法とは思えねぇよ」
「でも…… カインがあたしたちを受け入れてくれるかどうか分からないわ」
「受け入れてくれなかったらそれはそのときだ。おれの部屋から情報が出てしまったのは事実だし、『ノマド』がいなくなったのも事実だ。出てけって言われたらそのときはそれに従うしかないだろ」
リアはそっぽをむいた。
「カンパニーに戻るぞ」
アシュアが言うと、彼女は嗚咽をこらえるように口を押さえた。
アシュアはプラニカのエンジンをかけた。