10-05 天の青

 ユージーとのアポイントがとれたのはその2日後だった。
思いのほかクルーレはすんなりと受け入れたらしい。
ケイナが帰ってきているのだから遅かれ早かれそういう申し出があると最初から思っていたのだろう。そうでなければあの時ユージーが復帰していると話すはずがなかった。
ヨクはカインの外出をかなり心配していたが、ケイナがいるということで何とか納得した。
そのヨクにはアシュアがずっとへばりついている。雰囲気の似ているふたりがいつも一緒にいる姿はカインには少し可笑しくもあった。親子といっても疑う者はいないかもしれない。
ユージーのオフィスはプラニカで1時間ほどの距離にある。カインの運転で向かう間、ケイナはずっと黙り込んでいた。
カートのビルの周辺はものものしいほどの警戒態勢だったが、今はリィの入っているビルの周辺も似たような感じだ。
エントランスではクルーレみずからが出迎えに出ていた。
彼はカインとケイナの姿を見ると、ぴしりと敬礼をした。こうやって見ると彼はやはり軍人なのだなと思う。
 ユージーのオフィスにはカインはあまり出向いたことがない。ユージーもカインのオフィスには数えるほどしか来たことがなかっただろう。ふたりとも多忙を極めていたし、考えてみればこの数年間、モニターやマイクを通してお互いの声や顔を見ても、ゆっくり会って話をすることもなかった。こんなことでなければ会う機会もないというのは皮肉な話だった。
ユージーのオフィスまで案内をしたクルーレはドアの前で立ち止まってふたりを振り返った。
いいですか? というような目をしている。ふたりが黙っていたのでそれを了承と思ったのか、クルーレはドアを開いた。促されて入ると奥のデスクに人影が見えた。
明るくシンプルなカインのオフィスと違い、ユージーのオフィスはどこか暗い。
たぶん調度品が重厚だからだろう。大きなソファもカーテンもデスクから書架まで、代々引き継がれて使われていることがよく分かる。
「どうぞ」
クルーレがさらに促したので、カインとケイナはデスクに近づいた。
デスクに俯き加減で座っていた人物が顔をあげた。
ユージーは一見何も変わらないように見えた。
ただ、その左目は黒い覆いで隠され、首につけられた銀色の機械と、口元に伸びた小さなマイクに気づいてふたりは思わず足を止めた。
ユージーは二人を見て少し笑い、デスクから立ち上がると、ふたりに歩み寄った。
体が左に大きく揺れる。
ケイナの顔が見る間にゆがんだ。
「マだ、まっすグにあルけないんダ」
近づいた彼の口から出た声は濁った音だった。
「聞きづラいだろ? イま、くるーレが、もうスこシ、いい装置ヲさがしテくれてイる」
カインもケイナも言葉をなくしてユージーを見つめていた。
「けイな…… 無事デよかっタ……」
その言葉にケイナが解かれたようにユージーを抱きしめた。抱擁を交わすふたりを見て、クルーレがそっと一礼して部屋を出ていくのをカインは見た。
「かイん、ケイナをたのム。必要があれば、『ホライズン』で治療を続けて欲しイ」
ケイナに支えられながらソファに座ってユージーは言った。
「もちろんです」
カインは答えた。
「こいつのこトだ。どうセ、『ノマド』に帰ル気もナイと思うシ」
ユージーはそう言うとケイナを見てかすかに笑った。
「体の調子はどうなんですか」
カインが尋ねるとユージーは肩をすくめた。
「ごラんの通り。歩行ハもう少シ、時間ガかかる。平衡感覚ガにぶっていテ。声は装置ガないト無理らしイ」
「目は」
ケイナの言葉にユージーはうなずいた。
「視力ハあるんダガ、使うト疲れル。この際だかラ、使わなイことにしタ」
会話がたどたどしい。クルーレがユージーを表に出さないはずだ。せめて歩けるようになるまではユージーにとっても完全復帰を宣言するのは苦しいことだろう。
「そンな顔ヲするナ」
ユージーは笑って横に座るケイナの頭をくしゃくしゃと撫でた。今は28歳になったユージーにとって18歳のままのケイナはまるで小さな弟のように思えるのかもしれない。
「『A・Jオフィス』と『ゼロ・ダリ』に復帰を通達しないのは今の状態があるからですか?」
彼の表情を気遣いながらカインが尋ねると、ユージーは緩くうなずいた。
「そレもあるガ、どウいう動キをするカ、見ルつもりダ。ドちらモ、だいブん小馬鹿二した態度ヲとっテいたからナ。『A・Jオフィス』モ、少しハ、カートの存在ノ重みヲ知るべキだろウ。そのあたりハ、クルーレが、かなり圧力ヲ、かけてイルよ。100%トはいかなイまデも、彼らハ、カートに逆らっテまで『ゼロ・ダリ』とハ組まない」
「狙撃に関してはクルーレは『ゼロ・ダリ』がかなり怪しいと思ってるみたいだけど…… 事前に何か掴んでいたんですか?」
「『ゼロ・ダリ』ニは当初カラ、カートの人間ヲ送り込んデいた。『A・Jオフィス』が、最新ノ技術情報ヲ盗むくらいハ、見て見ぬふりヲしていたガ、ケイナの遺伝子情報を添付シテいたので、差し止めタ。『ホライズン』からモ、出ないよう二しろよ」
「それは大丈夫です」
カインは答えた。ユージーはソファに身を沈めると長い足を組んだ。
「『ゼロ・ダリ』のエイドリアス・カートは、ただノ商人ダ。儲け一番」
彼はそう言うと肩をすくめた。
「経営者トしてハ、それなり二手腕ガあると思うガ、策略家でハない。ましてや、カートや『A・Jオフィス』ヲ敵に回してまデ、動きがデキるタイプデハない。彼が危険な橋ヲ渡る気二させた第三者ガいるはずだ。それが今は分かっていない」
「『ゼロ・ダリ』に送ったカートの人間は何も掴んでいないと?」
カインは目を細めた。ユージーは彼の顔を見てうなずいた。
「行方不明二なってイルからな」
「行方不明?」
カインは思わずおうむ返しに言った。
「二ヶ月くらイ前から音信不通になっタ。たぶん生きテいないだろう」
「ユージー、もしかしてそれでぼくにコンタクトを……」
カインの言葉にユージーは眉を吊り上げた。
「まあ、そンなところダ。遅かったみたイだが」
「ユージー」
ケイナが口を開いた。
「クルーレは何か掴んでるんじゃないか?」
ユージーはケイナの顔を見て笑みを浮かべた。
「おまえハ、いつモ、勘がいいな」
ケイナは無言で兄の顔を見つめた。
「クルーレは、おれにモ、言ワなイんだよ。確証ガ掴めてイなイらしい」
「彼は信用できるんですか?」
カインの言葉にユージーは彼の顔をひたと見据えた。
「きみは、ヨク・ツカヤを疑えルか?」
カインは戸惑い、視線を逸らせた。
「クルーレは、裏切ラなイよ。おれガ保証すル。おれにモ、きみにモ言わないトいうことハ、要する二、おれたちふたりに関係が深いこトなんだろウ。迂闊な情報デハ、彼も口に出さなイ。待つしかナイ」
ユージーはそこでケイナの顔を見た。
「おまえ、クルーレを覚エていなイのか?」
「え?」
ケイナが怪訝な顔をした。
「子供ノ頃ノことだからナ……」
ユージーはくすりと笑った。
「ジュニア・スクールで、なんヤかやト諍いヲ起こして帰っテきタ、おまえの破れた服ヤ、かばん二、いち早く気づいテ揃えてクレたのハ、彼だっただろウ」
ケイナは視線を泳がせた。そんな記憶はなかった。
「なにガあったカ、彼ガ全部おれに教えてクレていタ。そのたんび二、バッガスをおれハ、ぶん殴っテいたよ」
ユージーは可笑しそうに笑った。
「バッガスも、今ハ、ちゃんとシタ軍人ダ。部下ヲ20ニンほど抱えていル。今、リィを警護シテいるのは彼だ」
「へえ……」
カインは思わずつぶやいた。あのバッガスが。とても信じられない。
「ケイナ」
ふいに声の調子が変わったので、ケイナは兄に目を向けた。
「アシュアが、そばにいるカ?」
ユージーの言葉にケイナはカインの顔を見た。カインはどうしてアシュアの名前が出たのか分からないような表情をしてケイナを見つめ返した。
「いるよ。ヨクの護衛をしてる」
その答えにユージーは視線を逸らせてうなずいた。
「彼に、『ノマド』とノ連絡ハ気をツケるよウ二、言っテおいタほうが、イい」
カインが眉をひそめた。
「『ノマド』は、こチらの中の様子ヲ、知ル必要ハない」
ケイナは再びカインの顔をちらりと見て目を伏せた。
ユージーは『ノマド』も疑っている。それは自分も考えたことだった。
トイ・チャイルド・プロジェクトに関わったのは、リィとカートだけではない。『ノマド』もいる。でも、今の段階で一番安全なのは『ノマド』だけだ。『ノマド』には誰も近づけないからだ。そう、今の時点ではアシュアとリア以外は。
ユージーは待つしかないと言ったが、クルーレが持っているかもしれない情報はこれだ。
『ノマド』。ユージーはそう感じている。
「そんなことは……」
カインがつぶやいたが、あとの言葉は続けられなかった。カインもユージーの意見に反する意見を持てないのだ。
「クルーレが、どこかで確証ヲ得るだろウ。それまでハ、不本意デモ、しかたがなイ」
ユージーは言った。そしてポケットの中からブレスレットとネックレスを取り出してケイナに渡した。
「中身は空ダ。焼却スルつもりだったガ…… 遺品だろウ? セレスにも渡してやってクレ」
そういうことだったのか…… カインはケイナの手の中で光るブレスレットを見つめた。
「クレイ指揮官ノぶれすれっとハ、調査中ダ」
ユージーの言葉にカインはうなずいた。
「たぶん、見つからないト思うが」
彼はそう付け加えた。
「ユージー……」
カインはケイナの手の中で光るブレスレットを見つめながら口を開いた。
「リィ・カンパニーをあなたはどう考えているんです?」
言い終えてカインはユージーに視線を向けた。
ユージーは意外にも穏やかな目で見つめ返してきた。
「当初ハ疑った。おれと言ウよりモ、クルーレが」
彼の答えにカインはうなずいて目を伏せた。当然のことだった。もし逆の立場だったら、ヨクは真っ先に一緒にいたカートを疑うだろう。
「カイン」
ユージーが言ったので、カインは目をあげた。
「初代シュウ・リィは最初のプロジェクト解散時二、カートだけハ潰さなかっタ。トウ・リィの時代二なって、両社の関係ハ変わったガ、オレは、今のリィにハ敵対心ハない」
カインは無言でユージーの顔を見つめた。
「カイン・リィといウ、男をオレは信頼しテいる。いイ意味でも、悪イ意味でモ、きみハ策略家デはなイ」
カインが思わず目を細めたので、ユージーはかすかに肩をすくめた。
「カイン・リィという男ハ、他人を陥れルよウなこトはしなイ。でモ、モう少シ、ずる賢ク生きタほうガいイ。ソんな、男ダ」
カインはそれを聞いて返す言葉を見つけられず、口を引き結んだ。
「おれハ、ずるイ男なんだよ……」
ユージーは小さく息を吐いた。
「だから、全部ヲきみに伝えるわけ二はいかなイことモある ……すまないな」
「いえ……」
カインは答えた。
「それは当然のことです」
「ケイナは『ホライズン』デ看てもらウしかなイ。その代わりト言うわけデはなイが、カートはリィを全面的に守ル」
カインはユージーから目を逸らせて小さくうなずいた。

 帰りも、カインとケイナは来たときと同じようにむっつりと黙り込んでいた。
しばらくして運転をしていたカインが口を開いた。
「アシュアに…… 『ノマド』と連絡をとるなと言うのは難しいな…… ブランとダイもいるし……」
「アシュアは鈍いところがあるけど、分からないやつじゃないよ」
ケイナは答えた。
「きみは、うすうす感づいていたことがあったのか?」
カインは目を向けないまま言った。
「この間も途中で言いたくないと言ってそのままだったことがあったね。『ノマド』が何らかの思惑を持っていると気づいていたんだろう?」
ケイナはちらりとカインを見た。昔のカインはあまりここまで気づくことがなかった。流れていった時間が彼を変えていることをケイナはひしひしと感じた。
「ブランは……」
ケイナは口を開いた。
「ブランは、夢見を繋ぐパイプで、単なる出口でしかない」
そう言って窓の外に目をやった。
「ブランは、帰る前の日におれと手を繋いで、初めて『間違えた』ことに気づいたんだ。彼女は『グリーン・アイズ』もセレスのことも知らない。どっちかを選択することもできない。起こすほうを選んだのは、ブランじゃなくて、後ろに繋がってた夢見だ」
「彼らが意識して『グリーン・アイズ』を起こしたと?」
カインは眉をひそめた。
「いったい何のために」
「分からないよ」
ケイナは吐き出すように言った。
「確信があるわけじゃないけど、『ノマド』は何か知ってて操作しようとしてる。それがこっちの動きに合うことなのか、そうじゃないのかまで分からない」
「だから、アシュアの前で言いたくないと言ったのか……」
カインはつぶやいた。そんなことを口に出せばアシュアのことだから早速『ノマド』にせっついてしまうだろう。こちらに有利に働くことなら彼らは教えてくれるだろうが、そうでない場合はアシュアの立場が危うくなる。
「どっちにしても、子供たちがコミュニティにいるんだから連絡をとるなと言うのは難しい。まあ…… 内部の情報はできるだけ『ノマド』にも話さないようにとそれとなく伝えるしかないな」
カインはため息まじりに言った。
また沈黙が続いた。
「ケイナ」
カインに呼ばれて、ケイナは彼に目を向けた。
「セレスはたぶんあと一ヶ月もすれば『ホライズン』を出るんじゃないかと思う。いや、もっと早いかもしれない…… 『ノマド』に返すのは…… 無理だな」
ケイナはうなずいた。
「『グリーン・アイズ』が消えるまでは、あいつ自身が拒否するよ」
「どうしたら本体のセレスになってくれるんだろうな……」
それはケイナにも分からなかった。
『ノマド』が操作しているのなら、役目を果たすまでは『グリーン・アイズ』は消えないだろう。
彼女にはいったい何の役目があるのだろう。
その答えは見つからなかった。