10-04 天の青

 その日の夜、ノマドのコミュニティから戻ってきたリアにアシュアは昼間のことを話した。
「グリーン・アイズ?」
シャワーを浴びたあとの濡れた髪をタオルでこすりながら彼女は言った。
「あの何十年も前に消えた女の子の?」
「うん……」
アシュアはうなずいた。
「そうか…… どおりで目が覚めたらいきなり女の子だなって思ったわ」
リアはソファに座るアシュアの隣に腰掛けながらつぶやいた。
「ブランは起こし間違えたってケイナに言ったみたいなんだけど……  『ノマド』で夢見たちは何か言ってなかった? 」
リアはそれを聞いて首をかしげた。
「ううん、何も。ブランも何も言わなかったから…… やっぱりあれかなあ……」
リアは宙に視線を向けた。
「あれって?」
アシュアは目を細めた。
「うん、ドアーズさんが言ってたんだけど、セレスはケイナが仮死状態になってから、何時間も眠らないままでケイナの体を抱き続けてたみたいなのよ」
彼女はアシュアの顔をちらりと見た。
「カインにもそれは話したみたいなんだけどね」
「それが何か関係あるのか?」
「つまり、その間セレスはどんどん冷たくなるケイナと少しずつ焦げていく『グリーン・アイズ』をずっと見ていたことになるらしいの」
アシュアはぞっとした。
「いったいどれくらいの時間だったんだ?」
「あたしは聞いてないわ。でも、相当辛かっただろうって、ドアーズさんは言ってた。あたしもそう思う」
すぐに助けに行ってやれれば…… でも、あの時はどうしようもなかった……
アシュアはため息をついた。
「それでね、『ノマド』の夢見は亡くなってもしばらく気持ちが残ることがあるの」
リアは言った。
「あたしは夢見の力がないから分からないんだけど、夢見たちはよく残った気持ちを見ることがあるらしいわ」
アシュアはエリドの言葉を思い出した。エリドはトリの気持ちが残ってアシュアについていると言っていた。
「残った気持ちって、亡くなるときに考えてたことが一番強く出るらしいの。『グリーン・アイズ』って、カインとコンタクトとってたの?」
アシュアは首をかしげた。
「カインはあんまりあのときのことを話したがらけど、ずっとモニターを見ながら『グリーン・アイズ』に声をかけてたらしい。頭に直接」
アシュアは視線を下に落とした。
「何があってもモニター越し。カインはそれが一番悔しかったんだと思う」
「そっか……」
リアは切なそうなアシュアの顔を見て、彼の手にそっと自分の手を重ね合わせた。
「『ノマド』の夢見とセレスや『グリーン・アイズ』が同じかどうか分からないけど、『グリーン・アイズ』はきっとカインに会いたかったんだと思う。声だけじゃなくて彼の手を握ったり、顔を見たりしたかったんじゃないかな」
アシュアはリアの顔を見た。
「セレスはきっとそれを受け取ってしまったのよ」
「残った気持ちはどうやったら消えるんだ?」
アシュアは尋ねたが、リアはかぶりを振った。
「あたしには分からない。夢見たちなら分かるかもしれないけど…… でも……」
「でも?」
リアは口をかすかにゆがめて肩をすくめた。
「いいのかな。その子の気持ち、いらないから消しちゃうっていうの」
「セレスの体だぞ?」
「そうよね…… でも、カインに会いたくてたまらないんでしょ? しばらくの間でも一緒にいれば納得するのかもしれないじゃない?」
「うーん……」
アシュアは唸った。カインとケイナが困ったような顔をしてお互いを見ていた理由がやっと分かったような気がした。
「カインは助けられなかったっていう負い目をずっと持ってるんだ。だからってセレスの姿をした『グリーン・アイズ』を受け止められるはずがないよ。セレスはセレスだ。ケイナがいるんだし…… あいつはケイナにもセレスにもすまないって気持ちを持ち続けてるんだぞ?」
アシュアはため息をついた。
「みんなが辛いだけじゃねぇか……」
リアはそれを聞いて黙って目を伏せた。

「もう8時か。今日はこのへんにするか」
ヨクは顔をあげて言った。カインと打ち合わせを始めてすでに2時間がたっていた。
「腹が減った。メシはどうする?」
お腹をさすりながら言うヨクに、カインは苦笑した。
「さっき、ティが運んできたサンドイッチをつまんだじゃないか」
「あれはメシじゃないよ。間食」
お皿に盛られた小さなサンドイッチの3分の2は彼が食べたのではないだろうか。
カインは呆れたように首を振りながら書類をまとめるとソファから立ち上がった。
「ちったあ、まともに食べる癖をつけたほうがいいぞ」
その背にヨクの声が追いかけてきた。直後にカインが足を痛そうに押さえたので、ヨクは目を細めた。
「まだ痛むのか?」
「昨日の今日だからね…… たまに痛む程度だけれど」
カインは足をさすりながらデスクの椅子に座り、ティが入ってきたので視線をそちらに向けた。
「すみません、最後の報告書です。これは明日以降、見ていただければいいそうですので……」
「まだ帰ってなかったのか」
ヨクが言うと、ティは曖昧に笑った。
「わたしもいろいろ仕事が残ってしまって」
「カインが心配なだけじゃないの?」
ティはヨクを睨むとかすかに顔を赤らめた。
「ティ、 明日、クルーレにユージーへの面会を申し込んでみてくれないかな 」
カインは彼女が置いた報告書をとりあげながら言った。
「カートに行くのか?」
ヨクが聞きつけて目を剥いた。
「外出は気をつけないと……」
「ケイナも一緒だ」
カインはヨクの言葉を遮って言った。それを聞いてティがかすかに眉をひそめたがカインは気づかなかった。
「ユージーに直接連絡してみたけれど繋がらなかった。やっぱりまだクルーレを介さないとだめらしい」
カインは書類から顔をあげるとヨクに目を向けた。
「……どう思う?」
カインの言葉にヨクは首をかしげた。
「さあなあ…… とりあえずリィへの疑いは晴れたような気はしたけれど……」
「疑い?」
ティが思わず口を挟んだ。
「クルーレさんがリィを疑っていたっていうんですか?」
「クルーレじゃなくて、カートとしてだろう。まあそれが普通だよ。状況的に疑われてもおかしくない」
カインの言葉にティは戸惑った。
カートがリィを疑っていた? クルーレはそんなそぶりは一度も見せなかった。
いや、自分がそう思っていなかっただけか。
「でも、クルーレさんはいろいろ尽力してくださってるわ。リィは何も後ろめいたことはないでしょう?」
「何が言いたいの?」
カインはティを見上げた。彼の鋭い目にティは思わず顔を伏せた。
「……いえ ……なんでもないです」
「まあ、ケイナをこっちに寄越したし、ユージーの復帰も宣言した。それはリィがカートの敵ではないと分かってのことなんだろうけれど、おれたちはずいぶん前から怪しまれていたんだというのはよく分かったよ」
ヨクは手に持った書類を弄びながら言った。
「『ゼロ・ダリ』の買収計画を話したときからこっちの表情や出方を相当探っていたんだろうな。ケイナがあんまりはっきり言うからひやっとした。あの子はちょっと…… 怖い子だね」
彼の言葉にカインは苦笑した。
「あの場であんなふうに言うか、って感じだけど…… ただ、もうクルーレからは情報は出ないだろう。だからユージーに会ったほうがいいと思うんだ。ケイナはユージーとは兄弟なんだし、彼が会いたいって言ってるって言えばクルーレも断る理由が見つからないだろう。それに乗っかるよ」
「兄弟なんですか?」
カインの言葉にティが声をあげていた。
「カート社長と?」
カインは少しびっくりしたような顔でティを見た。
「そうだよ。血は繋がってないけど…… ケイナの姓はカートだ」
「知らなかったわ……」
ティはつぶやいた。
「だからクルーレさんは彼があんなふうに言っても怒らなかったのね」
「怒る理由がないよ。警戒はしただろうけど」
カインはため息をついた。
「ユージー・カートは話してくれるかな」
ヨクが言うとカインは小さくかぶりを振った。
「さあ…… どうかな…… カートの内紛だったら彼もリィを巻き込みたくはないだろう。でもプロジェクトが絡んでいて、こっちも命が狙われているんだったら、知っていることを教えてもらう必要はある」
「わたし……」
ティがつぶやいたので、カインは彼女に目を向けた。
「わたし、ケイナにひどいこと言っちゃったかもしれない…… 最初にここに来たときに、クルーレさんにあの態度はひどいんじゃないのって怒ってしまったの」
カインとヨクは思わず目を見合わせた。
「ケイナはそんなことをいちいち気にしないよ」
カインは少し笑ってティに言った。
ヨクの顔をちらりと見ると、彼は少し眉をつりあげてみせた。
いろんな人間と接してきた彼のことだ。ケイナがどういう性格なのかもすでにそれとなく察していたのだろう。
「クルーレにユージーへの正規のアポイントを申し込んでください」
カインの視線を感じてティはうなずいた。うまく言えるかどうか、すっかり自信をなくしていたが、カインの命令なら拒否はできない。
「クルーレがごねたらこっちに回して」
カインは笑みを浮かべてティに言った。
ティがオフィスを出て行くのを見送ったカインは、頬杖をついてため息をついた。
「後ろめたいことね……」
彼はつぶやいた。
「リィは後ろめたいことだらけじゃないか……」
「カイン・リィが経営者であるんだから、そういうことはないと思っているんだろ」
ヨクは笑って答えた。
「秘書としてはそれが一番だよ」
カインは頬杖をついたまま、ヨクの顔をじろりと見た。
「そのうち、きみから教えてやりなさい。社長としてはそれが一番」
……よく言うよ。秘書の教育はあんたの役目だろう。
カインは顔をしかめた。