10-03 天の青

 カインのオフィスに戻ると、彼はティと書類を前に話をしていた。
ふたりが帰って来たことに気づいてカインが顔を向けるとティも振り返り、ケイナの姿を見てかすかに眉をひそめた。
「じゃあ、それで伝えます」
彼女はそう言うと書類をとりあげそそくさとオフィスを出ていった。
アシュアはティの後姿を怪訝な顔で見送った。いつものティなら「お帰りなさい」と笑顔で言うからだ。
「ごめん、忙しかったか?」
カインを振り向いて言った。
「いや、一段落ついたところだ」
カインの表情はいつもと同じだ。
「どうだった?」
彼がデスクから立ち上がってソファに向かったので、アシュアとケイナもそれに続いた。
「ケイナの体の具合は特に問題ないみたいだ。とりあえず食って体力つけろってさ」
「そう、良かった」
アシュアの言葉にカインはほっとしたような顔でケイナを見た。
「ぼくのガードはきみにしてもらったほうがいいとクルーレは言っていたけれど、あちらからもビル内の警護にかなりの人数を出してくれるようだから…… 無理はしなくていいよ」
ケイナはかすかにうなずいただけだった。カインはその顔を覗きこむように見た。
「『ノマド』に帰りたかったら…… それでもいいよ?」
「それは考えてない」
即座にケイナが答えたので、カインはうなずいた。
「セレスがいるしな……」
目を伏せてそうつぶやいて、再びケイナを見た。
「『ホライズン』で、会った? セレスに」
アシュアはケイナの横顔を見た。ケイナは考え込むような顔をしている。
カインはその表情を見て眉をひそめた。
「何かあったのか?」
「グリーン・アイズ」
ケイナのその言葉にカインの表情が変わった。
「やっぱり気づいてた?」
ケイナが尋ねると、カインはかぶりを振ってソファにもたれこんだ。
「いや…… そう考えたこともあったけど…… 確信を持ってたわけじゃない」
「なんで『グリーン・アイズ』の娘だって分かるんだ?」
アシュアがふたりの顔を交互に見て言った。
「カインを呼ぶから」
ケイナは答えた。アシュアはまだ怪訝そうだ。
「『グリーン・アイズ』は死ぬまでずっとカインと声だけで交信し続けてたんだ。頭の中で」
ケイナの言葉にカインは視線を落とした。あの時の記憶は思い出すたびに辛くなる。
「カインと会いたかったんだよ……」
ケイナはつぶやいて目を伏せた。
「いや、でも……」
アシュアは口を開きかけて視線を泳がせ、額に手を当てた。
「『起こし間違えた』? ブランが?」
彼はケイナの顔を見た。
「じゃあ、本当のセレスはまだ眠ったままってことか?」
ケイナは口を引き結んで何も言わなかった。
「どうなってんだ……」
アシュアはため息をついた。
「もう一度ブランを呼び戻そうか?」
「それでも父親かよ。ブランの負担は想像以上なんだぞ」
ケイナはじろりとアシュアを見た。
アシュアは口をつぐんだ。
しばらく沈黙が続いたあと、アシュアが再び口を開いた。
「あのさ…… セレスが『グリーン・アイズ』の女の子の記憶になってて、何が一番問題になる?」
その言葉にカインとケイナが同時に目を合わせて、同時に逸らせた。
「いや、あの、だって、とりあえず元気になっていってるんだし、『間違えた』ってことは、なにも元のセレスの記憶がなくなったってわけじゃないんだろ? だったら時間かければ記憶は戻るんじゃないか?」
カインは大きく息を吐いて窓に目をやった。
「困ったな……」
そうつぶやいて、アシュアの鈍感さにはつくづくあきれかえると心の中で付け足した。
ケイナもたぶん分かっているのだろう。
分かっているけれど、とても口に出せない。
『グリーン・アイズ・ケイナ』は目が覚める前からひたすらカインの名前を呼び続けた。目が覚めてからはカインの姿を追い求めた。
カインの顔を自分の目に焼きつけるように眺め、肩を抱いて笑みを浮かべた。
それが何を意味していたのか。
カインが求められても決して応えてやることができない「愛情」だ。
助けられなかったと悔やみ続けたカインの傷口に、セレスの姿を借りて彼女は入り込もうとしている。
モニター越しに見たセレスは時々以前のセレスを思い出させる仕草をした。
つまり、セレスは完全に眠っているわけではない。
アシュアの言うように、もちろん身体的にはセレスは回復していくだろう。
ケイナを呼びたくても体は『グリーン・アイズ・ケイナ』に支配されている。そのことをセレス自身が認識しているのだとしたら、これくらい残酷なことはない。
全部憶測でしかなかったが、ちらりとケイナに目を向けると、彼も同じことを考えているらしいことがカインには分かった。口を引き結んで床を見つめているが、瞳の奥の動揺が隠せないでいる。勘のいいケイナなら、初めて会った彼女の姿を見て容易に察しがついただろう。
あんなに名前を呼び合っていたのに。
やっと目が覚めて一緒にいられるはずなのに。
「ブランは…… 『間違えて』なんかいないのかもしれない」
ケイナがつぶやいたので、アシュアとカインは彼に目を向けた。
「どうして?」
カインが尋ねるとケイナは束の間ぎゅっと口を引き結んだ。
「ブランは『出口』だよ。全く見知らぬ他人よりセレスに近い立場で手を繋ぎやすかっただけだ」
ケイナが何を言おうとしているのかカインとアシュアには分からなかった。
ふたりは視線を交し合って再びケイナを見つめた。
ケイナは目をしばたたかせた。
「これ以上言いたくない」
彼はそう言うと立ち上がった。カインが見上げると、ケイナは彼の顔をしばらく見つめた。
「近いうちに、ユージーに会いに行くことってできる?」
いきなりの問いにカインは戸惑ったようにケイナを見たあとうなずいた。
「アポイントをとってみる。ぼくも彼には会いたいと思っているから」
ケイナはそれを聞くと、踵を返して部屋を出て行った。