10-02 天の青

 ケイナは翌日『ホライズン』で検査を受けた。必要な情報はドアーズに渡された。
「義手や義足のシステムは今すぐにこちらでは詳細が把握できないが、ほとんどもう自由に動くようだし、痛みがなければ大丈夫なのではないかな? チップはね、目の中ではなく耳の奥だったよ。抜き出しておいたから大丈夫だ」
ドアーズはそう言いケイナの右手に触れた。
「それにしてもこんな精巧な腕ができるとはねぇ……」
むき出しになったケイナの義手は見ただけでは義手とは分からない。一緒についてきたアシュアも不思議そうにケイナの腕を眺めている。
「触感はあるのかね? 義手ではなかった時と同じように?」
「ええ…… でもたぶん…… 痛みや熱さはあまり感じないと…… 思う……」
ケイナは答えてちらりとアシュアに目を向けた。それがリアと似たことだからだ。
「そうか。 ……まあ、必要な治療も全て完了しているようだし…… そうだね、あとはたくさん食べて体力をつけるくらいかな」
ドアーズは笑みを見せた。
「長く眠って痩せてしまっているからね。これから少しずつ取り戻しなさい」
ドアーズはまるで孫でも見るような目でケイナの顔を見てまた笑った。案外彼にはケイナくらいの孫がいるのかもしれない。
ケイナ自身はにこりともしなかったが、ドアーズはあまりそういうことは気にならないようだ。
「あの……」
アシュアが口を挟んだ。
「セレスに会えますか? こいつに会わせてやりたいんだけど」
「ああ、それはもちろん」
ドアーズはアシュアを見て立ち上がった。
「あのお嬢ちゃんも帰ってしまったし、ひとりでいると思う。寂しがっているかもしれん」
リアはブランをコミュニティに送って行くために今日はセレスのそばにはいない。
「セレスの記憶はどうなんですか?」
セレスの部屋に向かう廊下でアシュアはドアーズに尋ねた。アシュアもセレスが目覚めてから初めて会うことになる。どういう状態なのか心配だった。
「記憶はどうもあいまいなようだね。リアはどうしても昔のことを言いたがるんだが、セレスも困惑するようなのであまりたくさん情報を与えないようにと指導させてもらっているよ」
ドアーズは答えた。
「まあ、一時的なものだと考えているがね。脳の損傷もないし、体も健康だ。一番心配するのは、かつて自分は男だったのに、今は女性として生きなければならないのだと悟ったときかもしれん」
「セレスの今はどっちなんですか?」
アシュアは言った。
「あ、ええと、リアクションが男なのか女なのかってことなんですけど」
「女性だよ」
ドアーズはこともなげに言った。
「最初から女性の感じだ。それがちょっと不思議でもあるが」
ケイナは黙ってドアーズの言葉を聞いていた。
『お兄ちゃん、ごめんね、あたし間違えちゃった……』
ブランの言葉が蘇る。ブランはいったい誰と間違えたというのだろう。
セレスの部屋の前でドアーズは立ち止まった。
「なんだか、今日の午後から軍の警備が入るらしいが?」
彼がアシュアを見上げたので、アシュアはうなずいた。
「ええ。ちょっといろいろあって、ここも警護をしたほうがいいと思うので」
「そうですか」
ドアーズはあっさり納得したらしい。彼はドアを開いた。
部屋は前にアシュアが入ったときとはずいぶん変わっていた。
計器類はなくなり、普通の居住スペースになっている。いわゆる病室らしい雰囲気は一掃されていた。
「リアがそろえてくれたよ。なかなかいい雰囲気だ」
ドアーズはそう言いながら足を踏み入れた。
いい雰囲気かな? アシュアは首をかしげた。いたるところに観葉植物や花が置かれている。床の敷物は妙にノマドのテントのような模様だし、家具類も無骨だ。わざわざこういうものを選んだのだとしたら、リアのセンスはとても都会的とはいえないだろう。
「セレス、お客さんだよ」
セレスは部屋の隅に置かれたベッドの上に腰をかけてぼんやり窓の外を見ていた。
ドアーズの言葉に振り返った彼女を見て、ケイナは足を止めた。
(グリーン・アイズ……)
思わずそうつぶやきそうになった。
緑色の長い髪、細い手足、大きな目。セレスだけれどセレスじゃない。
セレスの中に『グリーン・アイズ』が入っている。ケイナは確信した。
ブランは彼女とセレスを間違えたのだ。でも、いったいどうして。
セレスは立ち上がって3人に向き直ると、少し怯えたような表情を見せた。
「セレス、元気か」
アシュアは身をかがめるとセレスの顔を覗きこんだ。
「おれの嫁さんといつも一緒にいただろ? リアと」
「リア?」
セレスは小首をかしげてアシュアを見た。アシュアは『グリーン・アイズ』を知らない。彼の頭の中ではあくまでセレスはセレスなのだろう。
「うん。そうだよ」
アシュアは笑ってみせた。セレスの顔にかすかな安堵の笑みが浮かんだ。
「ごめんな、ブランは今日、家に帰ったんだ。明日からまたリアが来るから」
「うん。大丈夫だよ」
セレスは答えた。その口調は以前のセレスだ。
「ブランはそろそろ帰って休まなくちゃ」
「だいぶん話せるようになったね」
ドアーズが言うと、セレスは嬉しそうに顔をほころばせた。
「リアのおかげ。前はね、あんまり口が動かなかった。でも、ときどき男の子みたいなことを言っちゃだめって叱られる」
これもセレスだ。
「いろいろ記憶が混乱している部分があるのかもしれないね。焦ることはないよ」
ドアーズは優しく言った。
セレスはケイナに目を向けた。アシュアは気を使ってセレスの前から体をどかせた。
ケイナはこれまでセレスのことを一切口にしなかった。
セレスのことを考えると自制心がなくなりそうだったからだ。
だからあえて思い出したくなる気持ちを抑えていた。
今、目の前にいる彼女を見て、手を伸ばして触れたいと思うのにどうしてもそれができない。
「セレス、ケイナだよ」
アシュアが黙っているケイナに代わって言った。
「…… ケイナ……」
セレスはケイナを見上げた。
「きれいな目……」
そうつぶやくとセレスの手がゆっくりとケイナの頬に伸びた。細い指が頬に触れて、ケイナはぞくりとしたものを背筋に感じた。
「赤いピアス……」
彼女がそうつぶやいたので、アシュアがびっくりした。
「覚えてるの?」
しかし彼女は首を振った。
「ううん。なんだかそんな気がしただけ。つけてたの?」
ケイナの耳に空いた小さな穴を見つけてセレスは尋ねた。ケイナは困惑したように目を伏せた。赤いピアスにはあまりいい思い出がない。
「ピアスが似合いそう……」
ケイナは曖昧にうなずいた。そしてしばらくして口を開いた。
「セレス……」
その途端、セレスの手が弾かれたように引っ込められた。大きな目に不安が宿り、ケイナから身を遠ざけると両手を握り締めてせわしなく周囲を見回した。
「カイン」
セレスはつぶやいた。そしてドアーズのほうを向いた。
「ドアーズさん、カインさんはいつ来るの?」
アシュアが困惑したようにドアーズの顔を見た。ケイナは無言でセレスの様子を見つめている。
ドアーズはセレスに近づくと、彼女の顔の高さに身をかがめた。
「ご子息は忙しい方だから、なかなかここには来ることはできないんだよ」
「来てくれないの?」
セレスは不安そうに言った。
「カインさんに会いたい」
ドアーズはアシュアを振り返った。アシュアは困ったような表情になった。
カインは同行したがったが、山のような仕事で身動きがとれなかったのだ。
「あの人、怖い」
セレスはケイナをちらりと見てつぶやいた。
「あの人の声…… 怖い」
アシュアがケイナの顔を見ると、ケイナはかすかに眉をひそめていた。
「カインさんなら……」
「今日はこれくらいにしましょうか。あまり混乱させるとよくない」
ドアーズが身を起こして言った。
「あ、じゃあ、おれたち帰ります」
アシュアは慌てて言った。送ろうとするドアーズを彼は手で押しとどめた。
「帰れます。セレスを見てやってください」
アシュアは突っ立ったままのケイナの腕を掴むと、そそくさと部屋を飛び出した。
「ごめん、ケイナ、こんなことになるとは……」
部屋から出るなりうろたえたように言うアシュアの顔を、ケイナはかすかに笑みを浮かべて見た。
「アシュアのせいじゃない」
「う…… うん、でも……」
「あれ…… セレスじゃないよ」
ケイナはそう言うと背を向けて歩き出した。アシュアは慌ててあとを追った。
「セレスじゃないって…… どういうこと」
「昨日、ブランが言ってたんだ」
ケイナは歩きながら言った。
「ブランが? 何を?」
ケイナはアシュアの顔を見上げた。
「『間違えて起こした』って」
「……」
アシュアは訳がわからないというように彼の顔を見た。
「あれはグリーン・アイズの娘だ」
アシュアはまだ分からないようだった。
ケイナはそれきり何も言わなかった。