10-01 天の青

「今は最低限のものしかありませんけど、必要なものがあればそろえますからおっしゃってください」
ティはケイナを部屋に案内すると、パタパタと歩き回ってクローゼットやキッチンを確かめながら言った。
「カインさんの部屋は隣です。何かあれば部屋の通信音とこれが鳴ります」
彼女はそう言って、小さな腕時計型の軍用通信機をテーブルの上に置いた。たぶんクルーレが置いていったのだろう。
ケイナはぼんやりと部屋を見回した。記憶にある『ライン』の部屋よりずっと広い。
あの小さなブースの仕切りが全て取り払われたほどの大きさのリビング、壁一面の大きな窓、椅子とテーブル、ソファ、コンピューターの置いてあるデスク……
もちろん、自分の住んでいたアパートよりも広い。
「金持ち……」
ケイナはつぶやいた。
「あちらは寝室です」
ケイナのつぶやきが聞こえなかったのか、ティは奥のドアを指差して言った。
「クローゼットの中に部屋着も入っています。リネン類は定期的に係が取り換えに来ますが、お好きな時にサイドテーブルの上のシステムで予約していただいてもかまいません。明日、クルーレさんがあなたのサイズに合う軍服を持って来られると思います。そのほうが動きやすいからとおっしゃってましたけど……」
ティはケイナの顔を見て小首をかしげた。
「何か好みがあるんでしたら、そろえますよ?」
ケイナはそれには答えず、ガラス張りの壁に寄った。
「ここ、閉めるときどうすんの」
「ウィンドウ」
ケイナの問いにティは言った。一瞬のうちに透明なガラスが曇った。
「開くときも同じ。曇っていれば開くし、開いていれば曇るし。壁のモニターはオープンとクローズで。ほかの言葉に変えることもできます。もちろん手動も可能です」
ケイナはティに目を向けず、興味がなさそうに小さくうなずいた。
「アシュアとリアさんは向かいの部屋です。わたしは一階下の左側の一番奥。ヨクはその対面です」
ティはそう言うと言葉を切った。
ケイナの姿をまじまじと見つめて、この子はなんて綺麗な子なんだろうと思った。
全身が美術品のようだ。人目も惹くだろうし、愛想が良ければ女の子にもてるだろう。それなのに妙に反抗的な態度はやはり18歳という年齢だからだろうか。
「あの……」
彼女は口を開いた。ケイナの目がこちらを向いた。
ぞくりとするほどの鋭い目にティは思わず目を伏せたが、顔をあげて思い切って口を開いた。
「あなたはクルーレさんを好きじゃないって言ってたけど…… あの人はいい人よ。あなたのことも迎えに行ってくださったわ」
ケイナはデスクの端に体重を預けると腕を組んで彼女の顔を見た。かすかに首をかしげて、いったい何を言い出すんだろうという表情だ。
「わたしのこともとても心配してくれたの。あの人はあなたの思うような人じゃないと思うわ。嘘をつくような人でもないわ」
ティはそう言って、再び目を伏せた。
「……わたしが言うことじゃないかもしれないけど」
ケイナはかすかに肩をすくめた。
「迎えに来てくれて、心配してくれたらいい人なの?」
彼の言葉にティは思わずケイナの顔を見た。
「クルーレはユージーの命令で迎えに行ったって言ってたじゃないか」
「それは……」
ティはむっとした表情になった。
「わたしが言うのはそれだけのことじゃないわ。これまでだってずっといろいろ尽力してくださってたのよ。今日だって警備をつけてくれてるわ」
「あんたさ……」
ケイナはかすかに首をかしげると、身を起こしてティに近づいた。
「クルーレはユージーの部下だって分かって言ってるの?」
「分かってるわ」
見上げるほどにケイナが近づいてきたので、ティは少し後ずさりながら答えた。
「ユージーは1週間で意識を回復したって言ってただろ。そりゃ、すぐにしゃべれたわけじゃないだろうけど、クルーレが自分の意思で動いたのは7日だけだ」
「あとは全部カート社長の命令だというの?」
ケイナは顔をそむけるとティから離れてソファにどさりと腰掛けた。
背もたれに肘をかけて馬鹿にしたように見上げる仕草が小憎らしい。
実際にはケイナはそんなつもりで彼女を見上げたわけではなかったが、ティは彼の表情が無機質なだけに馬鹿にされているような気分に陥った。
「クルーレが自己判断でできることには限界があるよ…… エアポートの事件が収束していない状態ならなおさらだ。いい人とか悪い人とかは関係ない」
ケイナは言った。
「そんなことないわ。クルーレさんだってわかってたはずよ。でもエアポートの件よりあなたとアシュアを迎えに行く方に従ったのよ? 異存があればおっしゃるはずよ。それが社長と組織のためだと思ったからだわ」
ティは言い募った。
「だったらやっぱりいい人とか悪い人とか関係ないじゃないか」
跳ねつけるようなケイナの言葉にティは言い返すことができず口をゆがめた。
ケイナはしらけたような表情でティから目をそらせた。
「カインさんが一生懸命になっていたっていうのに…… こんなひねくれた子だなんて思わなかったわ」
ケイナのうっとうしそうな視線がこちらを向いた。
「カインさんは一生懸命だったのよ、あなたのことをずっと心配して!」
ティは言った。悔しさのあまり気持ちを抑えることができなくなっていた。
「どんなに命令だっていっても、クルーレさんはあなたを迎えに行ったのよ。こっちはエアポートの事件でどれだけ混乱していたか分かってるの? その中であなたを迎えに行ったのよ? どうしてそんな言い方しかできないの?」
ケイナが再びティから目を逸らせたので、彼女はその視線の先に回りこんだ。
怒りでかすかに赤くなった彼女の顔をケイナは見上げた。
「おれに、どうして欲しいの?」
彼の言葉にティは顔を歪めた。
「なんなの、それ……」
「何を言って欲しいの? 何かをしなきゃならないんだったら、あんたの望むようにするよ。ありがとうございましたって深く感謝の意を現せばいいわけ?」
ティは口を震わせた。
信じられない。この子は感情が欠落しているわ。
「おやすみなさい」
ティはくるりと身を翻すと足音をたてて部屋を出て行った。
ケイナはため息をついてソファに身を沈めた。
彼女とはあまりうまくいきそうにない。
「ひねくれた子」というのはナナもつぶやいていた。
『ライン』にいたときは「無愛想」と言われたが、場所が変わると「ひねくれた」人間になった。
あっちが思うことを言ったから、こっちも同じように返事をしただけなのに。
ケイナは顔をあげて視線を宙に泳がせた。
……いや、そんなことよりクルーレだ……
クルーレはユージーの直属の部下だ。ユージーの命令なしに個人で動くことはない。軍人世界のカートの一員ならなおさらだ。でも、彼は絶対何か知っている。
問いただしてもクルーレは絶対に言わないだろう。それがユージーの意思であるならなおさらだ。
7年前の自分を鏡で見るようなあの男。
なんでおれのコピーみたいなやつがおれの前に現れる?
どうしておれの姿でないといけないんだ?
ケイナはブランが渡してくれたノマドの剣を取り出した。
この剣を最後に持ったとき、とても後悔した。
もう誰とも戦いたくないと思った。
殺めたくない人を殺めなければならないような気がする。
今はそれもただの予感でしかなかった。