09-08 凍る青

 ケイナは薄暗いエレベーターホールに行くと隅に置いてある椅子に腰をおろして足を小さなテーブルの上に乱暴に乗せた。
仏頂面で横のガラス張りの外に目を向けた。
もうすっかり夜だ。小さな光の群れしか見えない。
クルーレはどうしてあんな回りくどい言い方をするんだろう。
何か隠してる。でも、それが見えない。ユージーはそのことを知っているんだろうか。
人の気配がしたのでそちらに目を向けると女の子の姿が見えた。
栗色の長い髪にちょっと泣き出しそうな顔。
ブランだ。
彼女はケイナに近づくとその表情とは裏腹にケイナのテーブルに乗せた足を指差して強い口調で言った。
「お行儀が悪い」
ケイナは無言で彼女から目を逸らせた。
「足、下ろしなさい」
再び言ったがケイナが無視をしたので、彼女はケイナの足を叩いた。ケイナはうっとうしそうな表情でブランを見た。
「あっちに行け」
そう言い捨てると再び彼女から目を逸らせた。
「勝てそう?」
ブランは小首をかしげてケイナの顔を覗きこんだ。ケイナが目を向けると彼女はちらりと笑った。
「あの青い目のお兄ちゃんに」
ケイナは黙っていた。
「あの青い目のお兄ちゃんには、青い目のお兄ちゃんしか勝てないってダイが言ってた」
「夢見か」
ケイナはそうつぶやくと興味がなさそうに窓の外に顔を向けた。
ふいに組んだ腕にブランが手を伸ばしたのでケイナはぎょっとした。
「触るな」
拒んだが、ブランは両手でケイナの組んだ腕をひっぱってなんとかほどこうとする。
「なんなんだよ……」
顔に不快感を滲ませてケイナは言ったが、ブランは全身の力をこめて腕を引っ張った。
「手、繋がせて」
「うるせぇな」
「つな…… っ…… がせ……っ ……てっ!」
ブランはようやくケイナの腕をほどくとすばやく彼の左手を掴んだ。ケイナは眉をひそめてそれを振り払うと立ち上がった。
「ぶん殴るぞ」
「お兄ちゃんはそんなことしない」
ブランはケイナを見上げてそう言うと、再び彼の手をとった。振りほどこうとはしなかったがケイナはブランを険しい目で見つめた。
ブランはケイナの手を両手でぎゅっと掴むと、その甲に自分の額を押しつけた。
小さく温かな感触がケイナの手に伝わった。
しばらくふたりはその状態でいたが、やがてケイナが口を開いた。
「ブラン」
「ん」
ブランは小さな声で答えた。
「やめておいたほうがいい」
ブランは顔をあげた。怒りが解けたケイナの顔があった。
「おまえの後ろにたくさんの夢見たちが繋がってるんだろうけど、出口が小さかったらドアが壊れる」
ブランは小さな口を尖らせて俯いた。ケイナはその顔の高さまで身をかがめて彼女の顔を覗きこんだ。
「セレスと手を繋いだんだろ? そのときだって辛かったんだろ?」
「お兄ちゃん」
ブランは言った。
「今日、お兄ちゃんのお部屋にお泊りして一緒に寝てもいい?」
ケイナはブランの顔を見つめて、小さくかぶりを振った。
「だめ」
「怖くない?」
ケイナはかすかに笑った。
「怖いよ。でも、自分でなんとかする」
ブランはケイナの青い目をじっと見つめた。
「あたし、明日帰っちゃう。なにかしてあげなくちゃ」
ケイナは少し目を伏せたあと、再びブランの顔を見た。
「辛いこと、無理にやらなくてもいいよ。もう十分頑張っただろ?」
ブランの口がゆがんで目にみるみる涙が溜まった。
「おれの前で泣くな」
ケイナは言った。
「泣くんだったらリアかアシュアんとこに行け」
ブランはこくんとうなずいて服の袖口で目をこすった。
「お兄ちゃん」
ブランはケイナの青い目を見つめて言った。
「お兄ちゃんは緑のお姉ちゃんが好きなんだよね?」
ケイナは少しびっくりしたような顔でブランを見た。
「あのね、緑のお姉ちゃんがふたりいるの」
ブランは右手の人差し指を立てるとケイナの額にその指先をつけた。
「ひとりはね、このへんにいるの」
そして今度はその指をケイナの胸のあたりに落とした。
「もうひとりのお姉ちゃんはね、このへんにいるの」
ケイナは無言で彼女の顔を見つめた。ブランは指をもう一度ケイナの額につけた。
「あたしね、こっちのお姉ちゃんだと思ってたの。だからこっちのお姉ちゃんを起こしちゃったの。カインさんをずっと呼んでたから、カインさんの髪をもらったの ……でも、間違えちゃった……」
ブランの目に再びじわりと涙が滲んだ。
「お兄ちゃんと手を繋いで分かった。あたし、間違えちゃった。ごめんなさい……」
ケイナは彼女が何のことを言っているのか分からなかった。セレスとはまだ会ってもいない。
「こっちのお姉ちゃんはお兄ちゃんを呼んでる。どうしたらいいんだろ……」
泣き出しそうな声で話すブランの小さな手がケイナの胸に当てられた。ケイナはその手を見た。
「ブラン、もういいよ」
ブランが小さくしゃくりあげた。
「泣くなって言ったろ」
「うん」
ブランはまた袖口で目をこすった。そしてケイナの左手を再び持ち上げた。
「お兄ちゃん、勝つと思う。でも、緑のお姉ちゃんが呼んでくれるまで大変かもしれない」
「うん……」
ケイナはつぶやいた。
「大丈夫だよ」
「お兄ちゃん」
ブランはワンピースのポケットをさぐると、苦労して何かを取り出した。
「これ」
彼女はそれをケイナに差し出した。ノマドの剣。柄しか見えない剣だった。
「渡しなさいって言われてたの」
ケイナはうなずくと、彼女の手から剣を受け取った。
「お兄ちゃん、あたしのこと嫌いになったりしない?」
ブランは少しおずおずとした口調でケイナの顔を覗きこんで尋ねた。
「なんで?」
「間違えちゃったから……」
ケイナは小さく笑った。
「ブランは何も悪くない」
「あたしのこと怒ってない?」
「怒ってない」
ブランの顔にほっとしたような笑みが浮かんだ。
その彼女の肩越しに、アシュアの姿が見えた。
「こんなところにいたのか。どこに行ったのかと思った」
アシュアを振り返るなり、ブランは彼のところに走りこんでそのまま大声を張り上げて泣き出した。アシュアが険しい目をケイナに向けた。
「おまえ、子供相手に……」
ケイナは肩をすくめると立ち上がった。ケイナに詰め寄ろうとするアシュアの足をブランは叩いた。
「お父さん、違う! お兄ちゃんじゃない!」
アシュアは困ったようにブランを見て、彼女を抱き上げた。
「じゃあ、なんで泣いてるんだよ」
ブランはそれには答えずアシュアの首に腕を回してさらに泣いた。アシュアがケイナに目を向けると彼はその視線から逃れるように目を伏せた。
「とりあえず、今日は軍のほうで護衛をしてくれるそうだ。おまえも休めとさ。ティが部屋に案内してくれる。明日からカインのそばにいることになるぞ」
アシュアは言った。そしてブランを抱いたままケイナに背を向けた。