09-05 凍る青

 すぐ帰る……? 頭の中であざ笑う声がする。
200mの距離から撃ったやつ。
(行っちゃだめ……  行っちゃだめなの…… )
寝室を出る前にブランがつぶやいた言葉を思い出した。
ブランは予見していた。彼が来ることを。
カインは懐から銃を引き抜くと、非常階段の扉を開けて階段を飛び降り始めた。
12階から10階はホールばかりがあるフロアだ。12階では今日は何も行われていない。
(勝てないって。青い目のお兄ちゃんに)
ブラン……
12階のドアを開けてカインは口を引き結んだ。
「でも、もう、どうしようもないだろ……」
ずきずきする頭の中で何度も聞こえるブランの声にカインは答えた。
12階には人の気配が全くなかった。
青い絨毯が敷いてある広い通路にうっすらとダウンライトがついている。
両側に並んでいるガラス貼りのホールの中も同じように明かりがついているが誰もいない。広い空間が広がっているばかりだ。空間を挟んで向こうに外の景色が見えていた。
あいつは追ってきていないのだろうか。カインは前方と背後に注意しながらゆっくりと歩いた。
ここのフロアは櫛の目のように通路が走っているが、見通しはいい。特にイベントのない日は壁のガラスが透けたままになるので人の姿はすぐに分かる。それなのに誰もいない。いるのは自分だけだ。
もし、あいつがヨクを追っていたら?
いやそんなはずはない。挑発するように自分を見て彼は降りた。
じゃあ、見失ったのだろうか。まさか。
後ろを見ていた顔を前に向けたとき、いきなり自分の横の壁のガラスが大きな音を立ててこなごなに砕け、反射的に腕をあげて頭をかばった。
離れていたのでガラスはかぶらなかったが、大きな警報の音が響くのが分かった。それがカインを余計に緊張に陥れた。警報が鳴ったということは人が来るということだ。つまり、自分は人が来る前にカタをつけられるということになる。
反対側のガラスが再び大きな音をたてて割れた。
カインは舌打ちをすると、急いでガラスになっていない壁に身を寄せた。
いたぶられている、と思った。
本当なら一発で済むところを関係のないところを撃っている。
「早くしろよ、人が来るだろ……」
かすれた声でつぶやきながら周囲を見回したが、やはり人の気配を感じることができなかった。いったいどこで狙っている……。
次の瞬間、足に猛烈な熱を感じて床に転がった。撃たれたと知ったのは倒れたあとだった。
「つう……」
顔をしかめて身を起こすと、通路の向こうに初めて人の姿を見た。
ダウンライトの下に立ったその姿を見たとき、体中が総毛立った。
金色の髪に青い瞳。彼は銃をこちらに構えて立ち止まった。
「ふふっ……」
薄情そうな口元に笑みが浮かび、彼は小さな笑い声を漏らした。
「おまえ、誰だ!」
カインは足の痛みをこらえながら身を起こして銃を構えて言った。
体重をかけた途端に撃たれた右足から猛烈な痛みが頭の先まで貫いていった。
倒れるものか。絶対に。
カインは歯を食いしばった。
こいつはユージーを撃った。絶対に許せない。
「おまえは…… 誰だ!」
「ケイナ」
彼は言った。
「ふざけやがって……」
そうつぶやいた途端、カインの銃は弾き飛ばされていた。右手の甲が焼けた。
冗談じゃない。こっちは一発も撃ってないっていうのに。
痛みに顔を歪めながら無駄と分かりつつ、床に落ちた銃に手を伸ばそうとしたとき、再び手を撃たれた。今度は反対側の手だ。呻いた途端に右肩に熱を感じて倒れた。
足と両手と肩。体中に響く痛みに起き上がることすらできない。
こいつ、普通じゃない。
捕まえた虫の足を一本一本むしりとるような危険な気配がする。
何発も急所を外されながら弄ばれる自分の姿が脳裏に浮かんだ。
熱で皮膚をえぐりとられた両手の甲からじくりと血が滲みだしているのが目に入った。
もうだめだ、そう思ったとき、カインは自分の体を飛び越す黒いブーツの足を見た。
足は弾かれたカインの銃を蹴り、その銃が弧を描いて空中を飛んで誰かの左手にキャッチされるのをカインは目で追った。
手が銃を握った、と思った途端、すさまじい勢いで銃が連射されたので、あちこちでガラスが弾け、破片が飛び散った。
自分の周囲に降り注ぐガラスにカインは思わず呻き声を漏らして身を縮ませた。
しばらくして音がなくなり、カインは自分の顔の前にコトリと銃が置かれるのを見た。
顔をあげてその手の先を見て呆然とした。
「7年もたつと、銃も性能がよくなるんだな」
自分を見下ろす青い目。
「ケイナ……」
かすれた声でつぶやくと、ケイナは小さく笑った。