09-04 凍る青

 サウスエンドを出たときには午後5時近くになっていた。
「いい手ごたえだったな。先方はきみのことをえらく気に入っていたみたいだ」
ヨクは上機嫌だった。サウスエンドと契約を結べばエアポートの事件での損失もほぼ相殺されるかもしれない。ヨクが上機嫌なのも当然だった。
カインはプラニカに乗りこむとすぐにティのオフィスに連絡を入れた。
「急ぎの連絡事項はありません」
ティは事務的に答えた。
「No.42の最終結果が出ましたので、お戻りになられましたら報告書を見てもらいたいそうです」
「なんか、機嫌悪い?」
ヨクが運転をしながらティの声の調子に気づいてつぶやいた。
「ブランは熱が下がったわよ」
ティは画面の向こうでかすかにカインを睨みつけて言った。
「ずっとあなたの名前を呼んでいたわ」
カインは無言だった。
「ブランが熱を出したのか?」
ヨクが口を挟んだ。
「ええ。39度も出ていたわ。こんな子供を放り出して出て行くなんて信じられない」
「言ってくれりゃあよかったのに」
無責任に言うヨクをカインは思わず険しい目で睨んだ。
「30分くらい前だったかしら、リアさんが戻ってきたの。お母さんの顔を見たら安心したみたいで、すがりついて泣いていたわよ」
だからあのとき呼び戻すべきだったのよ、と、こちらを見つめる彼女の目は言っていた。
「15分くらいで戻る」
カインはそう言って強引に画面を切った。向こうでティが憤慨しているだろうが、もう何を話す気もなかった。
「喧嘩でもしたのか?」
ヨクが気遣わしげに尋ねてきた。カインはそれには答えず窓の外に目を向けた。
ゆっくりと夕刻の色になっている。
苛立たしいとも情けないともつかない気分に陥った。
どうしてこんなことで不信感を抱き合わねばならないのだろう。
ティはなぜぼくのことを信じてくれない?
ぼくはどうして彼女なら説明をすれば分かるはずだと信じてやれない?
ぼくには誰かに愛情を与えたり、応える度量はないのかもしれない……
外の景色を眺めながら思った。
そのときには出るときに感じた冷気のことを忘れていた。
だから駐車場にプラニカが入りビルの中に足を踏み入れた途端、カインはその冷たい空気を再び感じて緊張状態に陥った。
(まだいる? まさか……)
ヨクはいつもどおり慣れた様子でエレベーターに乗り込んだ。
「どうした? 行くぞ?」
彼が不思議そうな顔をしたので、カインは慌ててエレベーターに飛び乗った。
ここからはエントランスは通らない。そのままオフィスのある上階に向かう。
3階を過ぎてから視界が開けた。シースルーの壁から周囲の建物に灯り始めた明かりが見える。
「日が暮れるのが早くなったな……」
ヨクは外を見てつぶやいた。
隣のエレベーターが下から昇ってくるのが見えた。カインはヨクの肩越しにそれを眺めていた。空気が冷たい。ヨクはそのことを感じないのだろうか。
9階で一度エレベーターが止まってドアが開いたが、誰も乗ってくる気配がないのでヨクがドアの外に顔を突き出して不思議そうな顔をした。その後ろで隣のエレベーターが追い越していくのを見たとき、カインは冷たい空気を吸い込んで心臓までが凍りついたように思った。
青い目が、すれ違う一瞬の間にカインを捉えてかすかに笑った。
カインは慌てて昇っていったエレベーターを目で追った。
3階ほど上で止まっているようだ。
「どうしたんだ」
ヨクが怪訝な顔をしたが、カインはそれには答えることができなかった。
どうしたら…… どうしたらいいだろう。
ヨクの顔を見た。
彼と一緒にいるのはよくないんじゃないだろうか。一緒にいると彼も巻き込まれる可能性がある。
「なに?」
ヨクは相変わらず不思議そうな表情だ。彼の頭の中には今、仕事がうまくいったという喜びしかないだろう。
エレベーターが再び動き始めた。隣のエレベーターは3階上でそのまま止まっている。カインは咄嗟に4階上の停止を表示させた。
「ヨク、忘れものをした」
「忘れ物?」
ヨクはカインの言葉を聞いて首をかしげた。
「出る前に見たけど……」
「ぼくのプラニカだ。取りに行ってくる」
ヨクは少し不審そうだったがうなずいた。忘れ物を取りに行くのに、なぜ4階上でエレベーターが停まるようにしたのか、そこまでは頭が働かなかったようだ。
その間にエレベーターは隣のエレベーターを追い越していった。1階上ならお互いに相手の動きが分かる。
ヨクじゃなくて、ぼくについて来い。おまえが狙っているのはぼくだろう?
カインは祈るような気持ちでこちらを見あげる青い目を見た。
開いたドアに向かうと、青い目も降りる姿が見えた。
「すぐ帰る」
カインはヨクにそう言うなりエレベーターから走り出した。