09-01 凍る青

 翌朝、カインは鼻っ柱を何かではたかれてびっくりして飛び起きた。
身を起こすと横にブランのあどけない寝顔があったので、彼女の手が自分の顔を叩いたのだと悟って苦笑した。
ベッドをブランに譲って自分はソファで横になるつもりだったのだがブランが眠るまで話をして欲しいとせがんだので、しかたなく適当な本を書架から取って一緒に横になってやった。結局そのままふたりとも眠ってしまったらしい。
それにしてもすごい寝相だ。
ベッドから半分投げ落ちているブランの足をベッドの上に戻し、毛布をかけてやって時計を見てカインは思わずため息をついた。午前10時半だった。朝は7時には起きるつもりだったのに。
どうして誰も起こしに来なかったのだろう。リアはいったいどうしたのだろう。
髪をかきあげて首をかしげながら寝室を出てキッチンでコーヒーを淹れた。
デスクに行ってティのオフィスに連絡を入れると、彼女はすぐに画面に現れた。
「おはようございます、社長」
ティはいつも通りの笑みを浮かべていた。
「何か連絡が入ってる?」
尋ねるとティは目を別のモニターに移した。
「8時半に『ホライズン』のドアーズ博士から、都合のいいときに連絡が欲しいと。それと、クルーレさんから星間機を無事着陸させたのでこちらに向かって出発すると伝えて欲しいと9時15分に連絡が入りました。到着は今日の午後4時だそうです」
カインはうなずいた。
「ヨクは?」
「一時間前にウォーター・ガイド社との契約に出かけました。先方と昼食をとって帰ってくるそうです」
「リアはどうしたの?」
「ヨクが出るときに一緒に『ホライズン』まで送って行きました」
カインは額を押さえた。
「起こしてくれればよかったのに……」
思わずつぶやくと、ティはちらりと外をうかがうように目をモニターから外して再びカインを見た。
「カインさん、起こしたのよ。3回も」
「え?」
カインはびっくりしてティの顔を見た。
「呼び出しをずっと鳴らしたの。8時と9時と9時半に。でも、出ないんだもの。ドアーズ博士もクルーレさんも、一度はそちらに連絡をなさったみたいだったわ。誰も出ないからこちらに連絡が来たの」
誰が聞いているはずもないのに、ティは声を潜めた。
「ヨクが疲れているんだろうから寝かせてやれって……」
カインは息を吐くと椅子の背にもたれ込んだ。
自分に呆れた。いったいどれだけ深く眠りこんでいたというのか……。
「それで、悪いと思ったんですけど……」
ティは一瞬ためらったが、口を開いた。
「ヨクとリアさんが出てからお部屋に一度入りました。昨日の報告書がいただきたくて…… 社長決済を待っていたんです」
カインはデスクの上に目をやった。確かに昨日見た報告書の束がなくなっている。
「寝室に入って起こそうかとも思ったんですけど……」
ティは申し訳なさそうに言った。
「今日は会議もありません。そちらで仕事をなさいます?」
気遣わしげにこちらを見るティにカインはかぶりを振った。
「いや、ブランを『ホライズン』に送って出社するよ。ドアーズにも会って用件を聞いてくる」
「わたしがブランを送りましょうか」
「いや、いいよ」
カインがそう答えると、ティはうなずいた。
画面からティが消えたあと、カインはデスクから立ち上がって寝室に戻りブランを揺り動かした。
「ブラン、そろそろ起きろ」
ブランは少し声をあげたが目を開けなかった。
「ブラン」
彼女の頬に手を触れてカインは目を細めた。熱い。
額に手を当てると、自分の手よりもはるかに熱をもってかすかに汗ばんだ感触があった。
カインはベッドの端に腰をおろすと、彼女の顔をかくしている長い髪をかきわけた。
ブランはうっすらと目を開いてカインを見た。
「カインさん……」
ブランは小さな声でつぶやいた。
「暑い…… のどかわいた」
「水でいい?」
カインが尋ねると、ブランはうなずいた。
カップにミネラルウォーターを入れて持ってきてやるとブランは辛そうに身を起こしてごくごくと飲み干し、再びぱたりと横になった。顔が赤い。
「カインさん、今日どこにも行かないで。そばにいて」
「リアを呼ぶよ」
少し甘えたような口調で言うブランにそう答えると、彼女はかぶりを振った。
「カインさんがいい」
カインはしばらく考えたのち、ブランの髪を撫でて立ち上がった。
リアを呼び戻すしかないだろう。医者に診せるにしても母親である彼女に一度話しておく必要があった。
カインは再びモニターの前に座った。
『ホライズン』を呼び出すとすぐにセレスの部屋に接続された。画面に出てきたのはドアーズだった。
「博士、すみません、あの……」
「ご子息!」
言いかけたカインの言葉を遮って、ドアーズは叫んだ。
「すばらしい! 彼女はもう起き上がって自分で食事がとれるようになった! 反応も昨日の比ではない。会話もするよ!」
「え……」
ドアーズは興奮したように目を見開いていた。こんな顔をするドアーズを見たのは初めてだった。
「会話といっても、とつとつとした喋りだがね、単語を並べるような。さすがにひとりで立つことはできないがこの分だと相当なスピードで回復するんじゃないかと思う」
セレスが会話をする……
面食らって、ただドアーズの顔を見つめるしかない。
昨日までのセレスの記憶しかないカインには信じられないことだった。
「昨日までは夢を見ているような感じだっただろう? 今はもう違う。視線も合うし、リアクションも普通だ。いや、全く信じられん! やはりあのお嬢ちゃんの言うようにきみに会ったからかもしれん!」
ドアーズは画面の向こうでこぶしを握り締めて勢いよく振り始めた。
なにがどうなっているんだろう。
カインは少し不気味さを感じた。
「博士…… すみません、リアを呼んでいただきたいんです。ブランが熱を出していて……」
カインが言うと、ドアーズは振っていたこぶしを頭の上で止めた。
「あのお嬢ちゃんが? 風邪でもひいたかな?」
「さあ…… 分からないんですが、医者に診せるにしてもリアに伝えたほうがいいと思うので……」
「そうだな、ちょっと待ってくれ」
ドアーズは画面から消えた。