08-08 ブラン

 カインは自室に戻っても仕事を続けていたが、自室だとブランが騒いでもほかに人がいないだけに気は楽だった。
ブランは部屋に入るなりカインのベッドの上でひとしきり飛び跳ね、書架から写真集を出して眺めたり壁のモニターを出してはいろんな局を見てはしゃいだ。
2時間くらいするとさすがに飽きてきたようだったのでゲームのできるチャンネルを教えてやり、ブランはそれに夢中になった。ティに連れられてリアがやってきたのはその30分後だった。
「いい子にしてる? ブラン」
リアは持ってきた食事のトレイとブランの着替えを抱えて心配そうにブランに言った。
「してるよ」
ブランはモニターから目を離さない。『ノマド』暮らしだったブランにとってここで見るもの体験することすべてが目新しくてしようがないのだろう。
「夕食、作ってきたわ。わたしあまり上手じゃないから口に合わないかもしれないけど、食べて」
リアはカインにそう言うとテーブルにトレイを置いた。
「カインさん、これ、追加の報告書です。これだけ今日中に見てもらいたいそうです」
ティはカインのデスクに近づくと紙の束を置いた。
「分かった」
カインはそれをちらりと見てデスクのモニターに目を戻した。
「あの……」
ティが小さな声で言ったので、カインは顔をあげた。
「大丈夫?」
彼女はブランにちらりと視線を投げかけて言った。リアがブランの肩越しにゲームをめずらしそうに見ている。
「なんとかなるよ」
彼女の視線の先を辿ったあと、カインは答えた。
「また、事情を話すから」
ティはうなずいた。
「今日、リアさんはわたしの部屋に泊まってもらうことにしたの。何かあったらわたしのところに連絡をして」
彼女はそう告げるとデスクから離れた。
「行きましょうか」
ティが声をかけると、リアははっとして立ち上がった。
「あ、ごめんなさい。仕事の邪魔しちゃ悪いわね。退散するわ」
そしてブランに声をかけた。
「ブラン、迷惑かけちゃだめよ」
「はーい」
ブランは生返事だ。顔も向けない。
「ごめんね、カイン。明日の朝、迎えに来るからね」
リアはそう言うとティと一緒に部屋を出ていった。

 1時間ほどしてカインはモニターから顔をあげた。
「ブラン。食事しようか。お母さんが作ってくれたみたいだぞ」
カインが声をかけると、ブランはかすかに顔をしかめた。
「いい。お母さんのごはん、美味しくないもん」
カインはテーブルの皿を見た。ブランが食べやすいように小さく切られたサンドイッチと煮込んだ肉、温野菜類が乗っている。典型的な『ノマド』の食事だ。
「カインさんはいつも何を食べてるの?」
ブランは顔を向けないまま尋ねてきた。
「ぼくは適当だよ。プログラムされたものを少しだけ」
「だから手を繋いでも続かないんだよ」
カインは肩をすくめた。キッチンでブラン用にミルクを注いだカップを持って戻って来ると、カインは「クローズ」と言った。壁のモニターが一瞬のうちに閉じた。
「やだ! どうしてっ!」
ブランが憤慨したように声をあげてカインを振り返った。
「ゲームはもう終わり。食事して、ちゃんとシャワーを浴びて、子供は寝る準備」
「子供扱いしないでよ」
「子供だろ」
ブランは渋々テーブルにやってきた。そのままサンドイッチをつまもうとするのをカインは見咎めた。
「手を洗っておいで」
「カインさんて、お父さんよりうるさい」
ブランは口を尖らせたが、それでも椅子から滑り降りて手を洗いに行った。
確かにアシュアはこんな躾はしないかもしれない。
「ねえ、カインさんはいつもずーっと仕事をしているの? 今日みたいに」
テーブルについてサンドイッチをほおばりながらブランは尋ねた。
「ん、まあそうかな…… 今ちょうど忙しい時期だし」
ブランの対面に座ってコーヒーを飲みながらカインは答えた。
「カインさんてシャチョウサンなんだよね? シャチョウサンて、長老みたいなもの?」
ブランの無邪気な言葉にカインはかすかに首をかしげた。
「そうだな…… そんなものなのかな……」
「長老はもっとぼーっとしてるよ?」
思わず吹き出した。
「それはきみにそういうふうに見えるだけじゃないかな」
「そうかな」
ブランはもぐもぐと口を動かしながら考え込んだ。
「夢見たちだって、座ってるだけみたいに見えるけど、そうじゃないんだろ?」
「ん、まあ、そうね」
ブランは部屋の中を見回した。
「カインさんのお部屋ってきれいだし、広いし、いっぱいいろんなものがあって楽しいね」
ブランは床につかない足をぶらぶらさせながら言った。
「毎日いっぱい遊ぶの?」
「遊ぶことなんかないよ」
カインは苦笑した。
「部屋に戻ったら、たいがい仕事するか寝るだけだ」
「こんなにいっぱいいろいろあるのに、遊ばないの?」
「……ん、まあね」
カインはあいまいに答えてコーヒーを口に運んだ。
「ブラン」
カインが声をかけると、ブランは無邪気な顔でカインを見た。
「今日は、本当にごめんな」
「いいよ、もう。お泊りしてるもん」
ブランはミルクのカップを持ち上げた。
「明日からも…… やっぱり手を繋いでもらいたくないんだ」
「うーん……」
ブランはミルクを口に運んだ。カップから口を離したとき、白い筋がついていたので、カインはナプキンを渡してやった。
「青い目のお兄ちゃんが来ると大丈夫って言われたんだけど……」
ブランは口を拭きながら言った。
「青い目のお兄ちゃん? ケイナのこと?」
カインは目を細めた。
「名前知らない。ケイナって笛の名前だよ?」
カインは視線を泳がせた。ケイナが来ると大丈夫? どういうことだろう。
「ごちそうさま」
ブランは丸めたナプキンをテーブルに放り出すと椅子から滑り降りた。
「まだ残ってるぞ」
カインが注意すると、ブランはかぶりを振った。
「あとはカインさんの分」
ブランの言葉にカインは皿に半分以上残っているサンドイッチを見てげんなりした。
食欲はあまりなかった。それでもしかたなく一切れ持ち上げて口に運ぼうとしたとき、通信音が鳴ったので立ち上がった。ブランはまた壁のモニターを開こうとしていた。
デスクでキィを叩き、画面に映った姿を見てカインは目を丸くした。
「アシュア!」
ブランがぱっとこちらを振り向き、転げるようにして走ってきた。
「お父さん!」
「ブラン!」
ブランの顔を見るなり、画面の向こうでアシュアが目を剥いた。
「おまえ、なにやってんの、そんなところで……」
「緑のお姉ちゃんところで手を繋いでる。お母さんもいるよ」
「手を繋いでる?」
アシュアの目がさらに大きく見開かれた。
「手、繋いでるって、どういうこと」
「セレスが目を覚ましたんだ」
カインが言うと、アシュアは呆然とした顔をした。
「それでね、あたしが手を繋いでるの。カインさんの髪をもらって。今日ね、声出したよ」
「ち、ちょっと待って」
アシュアは顔をしかめた。
「セレスの目が覚めたの?」
「そうだよ、でもまだぼんやりしてるの」
「おまえ、黙ってて。カインと話をするから」
アシュアの言葉にブランは口を尖らせた。