08-06 ブラン

 数日後、カインはモニターの前でめずらしく欠伸をした。
口元をこぶしで押さえて渇き気味の目を何度かしばたたかせた。
なんだか異様に眠い。
どこからかエネルギーが抜け出てしまっているような疲れ方だった。
いつからだっけ……
そう思って、リアとブランが来てからだと気づくのにそう時間はかからなかった。
ブランに髪を渡すんじゃなかった……
カインは思った。
ブランの断固とした態度に根負けして目立たないところで髪を切って渡してやったが、そのときはまだ半信半疑だった。
ブランはそれを挟んでセレスと手を繋ぐと言った。
そんなことで何がどうなる、と考えていたが、今となってはやはり渡すべきではなかったと思う。アシュアがケイナと手を繋いで悲鳴をあげた気持ちが痛いほど分かった。
げっそりとやつれて目の下にクマを作っていたアシュアの顔が脳裏に浮かぶ。
自分の顔もこのままだと遅かれ早かれ似たような感じになるだろう。
もう、だめ、と横になるために立ち上がったとき、ヨクがオフィスに入ってきたので少しげんなりした。
「カイン、No.55の開発結果だけど……」
そう言いながらカインのデスクに近づいて、その表情にヨクは眉をひそめた。
「どうした?」
「疲れた」
カインは答えた。体中にスポンジでも巻きつけられているような気がする。
「体調が悪いのか?」
ヨクは心配そうにカインの顔を覗きこんだ。カインはかぶりを振った。
「ただ、眠いだ」
「ちゃんと寝てないのか?」
カインは手を振って立ち上がった。もう、何を答えるのも億劫だった。
「ちょっと眠らせて。2時間したら起きるから」
カインはそう言うとソファにふらふらと歩み寄り、腰をおろすなりぱたりと横になってしまった。
「おい」
それを見てヨクは慌てた。駆け寄ってカインの額に手を当てた。熱はない。顔色も別に悪くない。ただ、様子がいつもと違うのは、すでに彼がすうすうと寝息をたてていることだった。
「どうなってんだ……」
ヨクはつぶやいた。周囲を見回して、何もかけてやるものがないので、しかたなくティに毛布を用意するよう言いに出て行った。
 2時間後にもう一度ヨクがオフィスにやってきたとき、カインは宣言したとおり目を覚ましていたが、やはり頭が動かないようでぼんやりとソファに座ったままになっていた。
「今日はもう帰ったほうがいい」
ヨクの言葉にカインはうなずいて、体が重くてたまらない、というようにオフィスを出て行った。
翌日、カインは普通どおり出社したが、やはりぼんやりとしたままだった。
それでも何度か横になりながら一日を過ごした。
3日目の午後になるとカインの疲労の度合いは傍から見てもすぐに分かるほどになった。声をかけても反応が遅く、いらいらとした様子を見せた。
リアとブランが来てから一週間が過ぎていた。
「医者に診てもらったほうがいいんじゃないか?」
ヨクは言ったが、カインはかぶりを振った。
「病気じゃないんだ」
「でも……」
「ちくしょう……」
カインの口から普段聞かないような言葉が漏れたと思った途端、彼はデスクの天板を両手で叩いて立ち上がった。ヨクは仰天して目を丸くした。
「『ホライズン』に行く」
カインは言った。口調は断固とした調子だったが、目が空ろだ。
「え?」
「『ホライズン』に行って、手を繋ぐのをやめさせる」
「は?」
上着を引っつかむカインをヨクは慌てて止めた。
「ちょっと待て、そんな状態で運転できやしないだろ!」
「仕事にならないんだよ!」
カインはいらいらとした口調でヨクを睨んだ。
「大事なのは分かるけど、こっちも大事なんだ!」
カインはそう怒鳴るとオフィスを飛び出した。
訳が分からなかったが、カインの目が普通ではないと悟ったヨクは、慌ててカインの後を追った。物音に気づいて顔を覗かせたティにヨクは叫んだ。
「ちょっと外出! すぐ戻るから!」
ティは呆然としてふたりを見送った。

 ヨクはカインを後ろの座席に押し込むとプラニカを出した。
「『ホライズン』に行けばいいんだな?」
そう尋ねるとカインは不機嫌そうにうなずいた。
何がこんなに彼を苛立たせているのかヨクにはさっぱり分からなかった。ほとんど殺気立っているといってもいい。
カインは『ホライズン』につくまでずっと俯いて苦しそうにこめかみを押さえていた。
プラニカが『ホライズン』の駐車場に入り、停まりきる前にカインはもう外に飛び出していた。
「ち、ちょっと待て! カイン!」
ヨクは必死になって叫んだが、彼はずんずん歩いていく。
「カイン、どうしたんだ」
やっとの思いで追いついたヨクは彼の肩を掴んだ。しかし、カインはその手を払いのけた。
「今にも気を失いそうなんだ」
カインは答えた。
「こんな状態、あと一週間も続いたら身の破滅だ」
「いったい何のことを言ってるんだ?」
ヨクは言ったがカインは答えなかった。
セレスの部屋の前でカインは束の間足を止め、そして中に入った。ドアーズも他の所員もいなかったが、リアとブランがセレスのベッドの脇にいた。リアがカインの顔を見て嬉しそうに立ち上がった。
カインは深呼吸をするとセレスのベッドに近づいた。
セレスはいつもと同じように身を起こし、ブランはその手をセレスと繋いでいる。
彼女はカインの顔を見上げ、そしてセレスを見た。
「やっと、カインさんが来たよ、お姉ちゃん」
「ブラン」
カインは苛立つ気持ちを抑えながら言った。
「悪いけど…… セレスと手を繋ぐのをやめてくれないか」
「どうして?」
ブランはカインを見上げた。カインは自分を落ち着かせるように少しの間目を閉じた。
「……仕事にならないんだ」
搾り出すような声だった。
「なに、それ」
ブランはそう答えるとカインからついと目を反らせた。
「これだって、カインさんのお仕事じゃない」
「ブラン……」
カインは息を吐いてブランの目の高さに腰を落とした。
「ブラン、無理なんだ。ぼくは…… アシュアと同じことはできないんだよ」
「どうして」
「だから……」
ブランはかすかに顔をしかめるとカインから再び目を反らせた。
カインはくらりと眩暈を感じて慌ててベッドの端を手で掴んだ。
「カイン、大丈夫?」
リアが心配そうにカインの顔を覗きこんだ。カインはかぶりを振った。
「ブランが手を繋いでいると動けなくなるんだ」
リアはセレスと繋がれているブランの手に目をやった。
「髪のせいで?」
小刻みにうなずくカインをちらりと見てブランはまた目をそらせた。
「ダイも夢見たちも助けてくれてるのに。カインさんは弱虫ね」
突き放すようなブランの口調がカインの頭にかっと血を昇らせた。頭のどこかで子供相手に感情的になるなという理性もなかったわけではなかったが、連日の疲労がその理性を押さえ込んだ。
「『ノマド』の夢見には、付き合えないんだよ!」
カインは思わず大声を出した。ヨクとリアがそれを聞いてびくりとした。カインは立ち上がるとブランを見下ろした。
「ここは『ノマド』じゃない ……そんなまじないみたいなことをしなくてもセレスは回復する。頼むから手を離してくれ」
「怒鳴んないで」
ブランはむっとした顔をカインに向けた。
「それにおまじないじゃないわ。お姉ちゃんにちゃんとカインさんの力をあげてよ!」
その途端、カインはブランの手をセレスから強引に引き離していた。ふたりの手の間にあったカインの髪がぱさりと床に落ち、ブランは椅子から床に鈍い音を立てて転げ落ちた。
ブランは一瞬きょとんとしたあと顔を歪ませた。
「ブラン!」
リアが慌てて助け起こした。
ブランは泣き声をあげて、リアにしがみついた。
「カイン、なにやってんだ」
ヨクが思わずカインの腕を掴んだ。カインは手を握り締めるとそれを自分の額に押しつけた。
自分が抑制できない。その悔しさと情けなさがどっと押し寄せた。
(最低だ、ぼくは)
カインはセレスに目を向けた。セレスは最初から全く表情を変えない。座ったまま何事もなかったかのように目は虚空を見つめている。
「ごめんな…… セレス……」
カインはセレスの顔が目の高さに来るように床に膝をついた。
「ぼくはだめだ…… ちゃんとしてやれなくて…… ほんとにごめん」
セレスの表情にかすかな変化が現れた。彼女はゆっくりと視線をあげると、赦しを請うようにベッドの端に突っ伏すカインに目を向け、手をぎごちなく彼の頭に伸ばした。
自分の髪に触れた感触にカインははっとして顔をあげた。その目がセレスの視線と合った途端、カインは身動きがとれなくなった。
「カイン」
セレスは言った。ブランが泣くのをぴたりとやめた。そしてリアと一緒に目を丸くしてセレスを見た。
「カイン……」
カインはセレスの両手がスローモーションのような動きで自分の顔に伸びてくるのを見た。
口元に笑みが浮かび、手がゆっくりとカインの背にまわった。カインは彼女の細い腕が自分を抱きしめるのを感じた。信じられないほどしっかりとした力だった。
「どうして……」
カインはつぶやいた。
セレスはカインの肩に顔をもたせかけて幸せそうに目を閉じた。