08-05 ブラン

 後ろでドアが開く気配がしたので振り向くとドアーズが入ってくるところだった。
「いや、すみませんでした。ちょっと会議が長引いて」
カインはそっとセレスから手を離すとドアーズのほうを向いた。
「セレスのそばにいてくれる、リアです」
カインが紹介するとドアーズはうなずいてリアに手を差し出した。
「これは、どうも。彼女の治療の統括をしているドアーズです」
リアはカインの顔をちらりと見たあと、『ノマド』の挨拶ではなく彼の手を握り返した。
「セレスは目覚めてからずっとこの調子ですか?」
カインは尋ねた。
「そうです。だいぶん起きている時間も長くなりましたけどね」
「おじさん」
ブランがドアーズを見上げて言った。
「ドアーズさんだってば」
リアが小さな声で叱咤した。
「すみません、娘なんです」
ドアーズは笑ってうなずいた。
「ドアのおじさん、このお姉ちゃんはカインさんのそばにいたほうがいいと思う」
「ブラン」
カインはびっくりして思わず声をあげた。ドアーズは手をあげてカインを押しとどめると、ブランの目の高さに身をかがめた。
「どうしてですか? お嬢さん。」
「だって、ずっとカインさんを呼んでるみたいだもの」
ブランは言った。ドアーズがカインを見上げたので、カインは分からないというように小さく首を振った。彼は再びブランの顔に目を移した。
「お嬢さん、確かにセレスはご子息の声に反応したし、ご子息がいると安心できるみたいなんだけどね、ここから出ていくことはまだ難しいよ。ご子息も忙しい体だ」
「でも、カインさんと会えないと、お姉ちゃんは寂しいと思うよ?」
ブランは口を尖らせた。
「ねえ」
リアがカインに言った。
「ケイナがアシュアと手を繋いだみたいに、セレスにとってはあなたが必要なんじゃないの?」
「それは無理だよ……」
カインは面食らった。ケイナと手を繋いでいたときのアシュアのことが思い出される。
そんなことはとてもできない。
「しかたないなあ……」
ブランはふてくされたようにつぶやいた。横顔がリアそっくりだ。彼女はカインを見上げた。
「じゃあ、カインさんの髪をひと房ちょうだい。わたしが手を繋ぐから」
「髪?」
カインは目を細めた。
「ダイが夢見たちと手伝ってくれるから、大丈夫だと思う」
ブランは不機嫌そうに言った。
「その代わり、時々ちゃんと来て。でないと危ないよ」
「危ないって、なにが」
「カインさんがだよ!」
ブランは小さく怒鳴った。
「わかんないかなあ、もう。カインさんて、頭いいんじゃなかったの?」
「ちょっと、ブラン!」
リアが真っ赤な顔になってたしなめた。
ドアーズが立ち上がってカインの顔を見た。
「お嬢さんのおっしゃることの全てがわたしには理解できるわけじゃありませんが、当たっている部分はあると思いますよ」
ドアーズはブランの頭を撫でながら言った。
「セレスはご子息の声や体温にとてもよく反応するんです。彼女は記憶がないかもしれないが、ご子息に関することだけはしまい込まずに置いていると思えるんですよ」
カインはため息をついた。それがケイナだというならカインも納得しただろう。
なぜぼくなんだ?
カインには分からなかった。
リアはブランの顔を覗きこんだ。
「ブラン、セレスはまだ外に出るのは無理よ。それまでお母さんと一緒にここに来よう。ね? それならきっとセレスも寂しくないよ」
「分かってるわよ。あたしがそう言ったでしょ?」
ブランはふてくされながらうなずいた。
3人はかすかに笑みを浮かべながら眠るセレスを見て、部屋を出た。
帰りのプラニカの中では誰もしゃべらなかった。
「何か食べて帰る?」
しばらくして、とっくに夕食の時間が過ぎていることに気づいたカインが尋ねた。リアがブランの顔を見たが、ブランはかぶりを振った。
「いいわ、遠慮しとく。部屋にキッチンがあったから、何か作って食べるわ」
リアは答えた。
 オフィスのあるビルの駐車場にプラニカを停めると降りるなりブランはカインに走り寄って彼の手をとった。カインは出たときと同じように手を繋いでやったが、どうしてこの子はこんなに自分と手を繋ぎたがるのだろうと不思議に思った。
オフィスの前ではティが待っていた。
「お帰りなさい」
彼女は3人の姿を見て笑みを浮かべた。
「ティ、もう今日は帰っていいよ。遅くなると危ないし」
カインが言うとティはうなずいた。それを見てリアが慌てて彼女の腕を掴んだ。
「待って、わたしたちも一緒に。この建物、広くって部屋に戻れるかどうか自信ないの」
「いいですよ」
ティは笑ってうなずいた。
「じゃね、カイン」
リアはそう言うと、ブランの手をとった。カインは彼女たちと別れてオフィスに戻りかけて、ふと気がついてその足を止めた。
「ティ」
カインは振り向いた。
「はい?」
ティはカインの顔を見た。
「きみ…… アパートに戻っていないの?」
ティの顔がはっとした。
「あ、あの……」
ティは必死になってヨクの言葉を思い出そうとした。
「か、帰るには帰ったんですけど、まだアパートの前に記者がいて……」
「……と、ヨクに言えと言われた?」
カインは不機嫌そうに彼女をみおろした。
「どうしたの?」
リアは心配そうにふたりを交互に見つめている。
ティは俯いた。
うっかりしていた。朝にあれだけヨクと話をしたのに、あっという間にカインにばれてしまった。
「ちゃんと話してください。何があった?」
ティはしかたなく、朝のクルーレからの話を伝えた。
カインは口を引き結び、黙っていた。
「カインさん」
ブランがカインを見上げた。
「お部屋に戻るまでお姉ちゃんと手を繋ぐから。お姉ちゃんを怒らないでよ。」
カインは目を細めた。
「手を繋ぐって…… どういうこと?」
「カインさんと手を繋ぐとカインさんを覚えるの。お姉ちゃんと手を繋いだらお姉ちゃんを覚えるの。覚えるから、緑のお姉ちゃんとも手を繋げるの。あたしには分かるから。ダイと夢見たちが助けてくれるから」
「たぶん、ブランが危険を察知するんだと思う」
リアが助け舟を出した。
「ダイは『ノマド』でずっと夢見たちと寝起きしてるの。ダイが夢見たちといれば、ブランに力を飛ばせるからって長老が言ってた」
『ノマド』の話…… カインは束の間ぎゅっと目を閉じた。
現実とそうでない世界の間に挟まれて眩暈がするような気分になる。
カインはブランを見つめて、それからティとリアに目を移した。
「分かった…… 今日はもう、いいよ。疲れてるだろ?」
ため息まじりにそう言って背を向けた。
「いこ、ブラン」
リアはブランの手を引いた。ブランが手を差し出したので、ティは彼女の反対側の手を握った。カインはオフィスに入る前にちらりと3人を振り返り、そして部屋の中に入っていった。