08-03 ブラン

 午前中の会議が終わったあと、カインは『ノマド』のコミュニティに連絡をすることにした。
もしかしたら受け取ってもらえないかもしれない。
本来『ノマド』との連絡はこちらからは直接しない、ということになっていた。必要なことはアシュアを通じて、という約束だったのだ。
だからリンクが画面に現れたとき、カインはほっと息を吐いた。
「カイン、久しぶりだね」
リンクは笑みを見せた。
「通じないかと思っていました」
カインが言うとリンクは肩をすくめた。
「アシュアからの連絡がここ数日途絶えてるからね。たぶん、きみからあるかもしれないと開いておいた。内緒だけど」
最後の「内緒だけど」で口を手で隠すようにして大袈裟なほど声を潜めて言うリンクにカインは少し笑った。リンクらしい言葉だ。学者然としているリンクだが、ときどきこんなふうにおどけた態度をとるとアシュアが前に言っていた。
(たいして笑えないジョークでさ。聞いてこっちもどうリアクションすればいいか困るんだよ)
アシュアはそう言っていた。
「で、アシュアはどうしてるの?」
リンクが探るような目をこちらに向けたので、カインはうなずいた。
「今、『A・Jオフィス』の誘導で『ゼロ・ダリ』を出てケイナと一緒に『アライド』から出ようとしています。あちらを飛ぶときはエアポートを介さないので、飛び立つまでは連絡がつかないそうです」
「そんなことだろうと思った」
思いのほかリンクは冷静だった。
「『ゼロ・ダリ』は最先端の技術を持つけれど、どうもあんまり信用できないような情報がこっちにも流れてきていたよ」
「どこから?」
カインは目を細めた。
「うん、まあ、いろいろとね」
リンクは言葉を濁した。
「アシュアのことは、ブランが落ち着いていたから特に心配はしていなかった。ブランはアシュアの波長を受け止めやすいみたいでね、あの子が普通にしているなら問題はない」
リンクはさっさと話の方向を変えてこともなげに言ったが、カインは現実的な世界から『ノマド』の不可思議な世界へ急に引きずり込まれたような気分になって少し面食らった。
「ケイナはどんな様子?」
リンクはそんなカインの様子に気づかないように、にこやかにこちらを見ている。
「彼は記憶を失っていないそうです」
「へえ……」
カインが答えると、リンクは目を丸くした。
「それは予想していなかったな……」
「カートがふたりを保護してくれるようなので、たぶん『アライド』を離れたらアシュアからもそちらに連絡が行くと思います」
「分かった」
リンクはうなずいた。
「それで…… 実はお願いがあるんです」
カインが言うと、リンクはなに? というように首をわずかに傾けた。
「セレスが目覚めてます」
「へえ! そりゃすごい。」
たちまち彼の目が輝いた。
「あ、でもまだ動けるような状態じゃありません」
リンクはうなずいた。
「まあ、そうだろうね。で、セレスは覚えてたの?」
カインは口を引き結んでかぶりを振った。リンクの顔が曇った。
「覚えていないの?」
「まだなんとも…… ただ、ぼくが会ったとき、ケイナの名前を聞いても反応はなかった」
リンクはそれを聞いて考え込むように視線を泳がせた。
「そうか……」
「セレスは外傷があまりないので身体的にケイナより回復が早いかもしれません。ただ、担当医がセレスのことをよく知っている人間をそばに付き添わせたほうがいいんじゃないかと言っています」
「うーん…… まあ、そうだろうな……」
リンクは顎に手をあてて思い当たる人間を思い浮かべようとした。
「あの……」
カインはためらいがちに言った。
「……リアに頼むことはできませんか」
「リアに?」
カインの言葉を聞いて、リンクはおうむ返しにつぶやいた。
「そう…… そうだな。セレスはもう女性になってるんだし……」
考え込むように宙を見つめたあと、リンクはこちらを見て笑みを見せた。
「いい考えだと思うよ。長老に相談してみよう」
「お願いします」
「許しが出たらすぐにでも行っていいのかい?」
「ええ。今日中に宿泊先を準備します」
リンクは笑みを浮かべた。
「リアは喜ぶと思うよ。彼女の気持ちはそっちに行きたいって感じだったからね」
カインはかぶりを振った。
「ぼくはそうしたくなかった」
「カイン」
リンクが呼んだので、カインは彼の顔を見た。
「頼れることは人に頼ればそれでいいんだ。ぼくらで力になれることがあればなんでもするよ」
リンクの言葉にカインは幽かに笑みを見せた。
「ありがとう、リンク」
リンクは笑みを返して画面から消えた。

 カインが仰天したのは、その通信を切ってわずか3時間後にリアがやってきたことだった。
まるで待ち構えていたかのような早さだ。
「社長、お客様……」
ティが口を開きかけているのを無視してリアはカインの姿を見るなりものすごい勢いで駆け寄って彼の口の端にキスをした。身構える余裕もなかった。
「カイン! 会いたかった! 呼んでくれて嬉しいわ! あたしもやっと役に立てるのね!」
ティが呆然として見ていることにも気づかず、リアはカインの手をとって両手で握り締めると興奮したように言った。
カインはそれに苦笑しながらそばに小さな少女が立っていることに気づいた。
娘?
カインは目を細めた。リアによく似ている。
娘のブランも一緒についてきたのか?
リアは彼の視線に気づいて娘を見下ろした。
「ブラン、さ、挨拶して」
リアがそう言うと、ブランは足を踏み出してカインを見上げた。そして眉をひそめた。
「背が高すぎて届かないわ。こっちに寄ってくれない?」
乱暴にそう言って手招きする彼女に、カインはしかたなく身をかがめた。
ブランは小さな唇をカインの口の端につけると、
「こんにちは、カインさん」
と言った。
かすかに泣き出しそうな表情なのに、勝気な態度。
本当にリアのミニチュアだ。
「どうしてブランも?」
リアに尋ねると、彼女は少し肩をすくめてみせた。
「長老が連れていけって。なんか、そういう予見があったみたい」
いいのかな……。カインは戸惑った。でも、今さら追い返すわけにもいかない。
そして呆然とした表情のまま3人を見つめるティに顔を向けた。
「ティ」
ティはびくりとしてカインを見た。
「は、はい!」
「こちら、アシュアの奥さん。リアだ。」
「アシュアの……」
緊張が解けたようにティの顔がほころんだ。
「リア、ぼくの秘書のティ・レンだ。彼女にいろいろ相談してもらっていいから」
「よろしく、レンさん!」
今度はティに走りよると、リアはあっという間に彼女の口の端にキスをした。ティは仰天して叫び声が出そうになった口を慌てて自分の手で押さえた。リアがそれを見てやっと気がついた。
「ごめんなさい、『ノマド』の挨拶なの。びっくりさせちゃった?」
「いえ……」
申し訳なさそうに言うリアに、ティはまだこわばったままの笑みを見せた。
「ティ、上の階に彼女の部屋を用意してあげてください。それと……」
カインが言葉を切ったので、リアとティがカインを振り向いた。
「リア、悪いけど…… 着替えてもらっていい……?」
リアは『ノマド』の服だった。革を切りっぱなしで作ったジャケット、くすんだ灰色の長いチュニック、編み上げの靴…… さすがに目立つ。
「あたし、こんなのしか持ってないわよ?」
彼女は腕を広げた。そしてティの姿と自分の姿を見比べた。
「うーん…… でも、だめなんだろうなあ……」
「ティ、見立ててあげてくれるかな。ブランの分も一緒に」
「はい」
ティはうなずいた。
「あの…… レンさん」
「ティでいいわ」
おずおずと口を開くリアにティは答えた。
「ティ、あのね、わたし、そういう格好はちょっと苦手なのよ。動きやすいの選んでくれる?」
リアがティの淡いピンクのセーターにグリーンのスカート、ローヒールのパンプスという姿を見て顔をしかめると、ティは笑ってうなずいた。
「分かりました。じゃ、部屋のほうにご案内しますから、どうぞ」
ふたりが背を向けたので、カインはデスクに戻った。腰をおろしたとたん、ブランが再び走り寄ってきた。
「カインさん」
彼女は両腕をデスクの上に置いてカインを見あげた。
「どうしたの?」
カインはブランの顔を見た。リアそっくりの小さな眉がかすかにひそめられている。
「赤い火が見えるんだけど」
「え?」
彼女の言葉にカインは目を細めた。
「身を守るもの、持ってる? あたし、ノマドの剣、持ってきたよ」
「ブラン、なにしてんの?」
リアが呼んだ。
「今、行く! ちょっと待って!」
「大丈夫。ちゃんと用意してるよ」
カインが答えるとブランはうなずいた。
「あたしが教えてあげるからね」
彼女はそう言うと、母親のもとに走って行った。
こういうことか……
カインは小さな後ろ姿を見送りながら思った。
エリドはブランの予見の力を利用しろと言っているのだ。
「でも…… 子供だぞ……」
カインはつぶやいた。