08-01 ブラン

 ティは午前6時前に目を覚ますとカインを起こさないようにそっとベッドから抜け出した。
とにかくアパートに戻ってある程度片づけをして着替えをしてそれから出社……。
そう考えていた。
(大丈夫かな……)
身支度を整えながら思った。
オフィスでカインの顔を見ていつものようにしていられるのだろうか。
上着をとりあげたときカインのデスクで通信音が鳴り響いたので、ぎょっとして飛び上がった。
しばらく様子を見ていたがレコードシステムに切り替わる気配がない。
どうしようかと迷ったが、通信音が鳴り止まないのでしかたなく寝室に戻った。
「カイン……」
肩を揺さぶったがカインは全く起きる気配がなかった。こんなに深く眠る彼はめずらしいかもしれない。何度か揺さぶったがやはり起きる気配がないので再び部屋に戻ると、通信音はまだ鳴っていた。
ティは深呼吸すると両手で髪をなでてカインのデスクに近づき、キィを押した。モニターに映ったのはクルーレだった。
彼の顔を確認しながら視界の隅に昨晩渡した書類のチェックが全て終わってデスクの上に乗っているのを見た。
カインは起き出して仕事をしていたらしい。この量だと眠ったのはほんの一、二時間前だろう。目が覚めないはずだ。
「早朝にすみません。社長は?」
クルーレはティの顔を見て少しびっくりしたような表情になった。
「まだお休みなんです。さっき声をかけましたが起きる気配がなくて……」
ティはできるだけ普段通りを心がけながら答えた。
「あなたも大変ですね。こんな早くから仕事ですか? ずいぶん疲れた顔をしておられますよ」
「あ、いえ、大丈夫です」
必死になって答え、咄嗟にデスクの上の書類をとりあげた。
「これが、朝一番に必要だったので、入らせてもらったんです」
クルーレはティの返事に特に興味がないような表情で小さくうなずいた。単なる挨拶程度のつもりだったのだろう。ティはうろたえた自分が少し恥ずかしかった。
「クルーレさんこそ、こんな早くからどうかなさったんですか?」
「今日はこれから現場に出ます。一日不在になりますので、それで先にお知らせをと。社長にお伝えください。ケイナとアシュアが『A・Jオフィス』の小型星間機で飛びます」
クルーレの言葉に、ティは慌ててカインのデスクからペンと紙をとりあげた。
「こちらで受け入れ準備をする予定です。『アライド』を飛び立つときはあちらのエアポートを経由しませんので、通常よりは戻って来るのに時間がかかるのと、彼らが星間機に乗り込むまでは連絡がとれません。詳しい日時はまだ不明ですが、そこまでの確認はしましたので」
「……分かりました。伝えます」
ティは自分で走り書きをしたメモを頭の中で読み直し、クルーレの顔を見た。その顔を見てクルーレはとりあえず彼女に伝わったと思ったようだ。うなずいたあと一瞬視線を落とし、再びモニターの向こうから目をこちらに向けた。
「さしでがましいようですが……」
「はい……?」
ペンを元に戻していたティは彼の顔を見て小首をかしげた。クルーレの声の調子にさっきと違う雰囲気を感じ取ったからだ。
「あなたは今、ビル内で生活をしておられますか?」
「え?」
ティは目をしばたたせてクルーレの顔を見た。
「どういうことですか……?」
「いえ、数人の方は先日の事件でそちらに泊まり込んでいるとうかがったものですから」
「ええ……」
ティは戸惑った。なぜクルーレはそんなことを聞くのだろう。
「マスコミ対応が大変だったので…… ヨクとわたしと、あと数人の者がこちらに。でも、昨日から自宅のほうに戻っています。わたしも今日には戻ろうと思っていましたけれど……」
そう答えて、クルーレの顔をうかがうように見た。
「それが…… なにか?」
クルーレはうなずいて少し息を吐いた。
「できればもうしばらくビル内で生活したほうがいいかもしれません」
ティは目を細めた。
「どうしてですか?」
「昨日、わたしの直属の部下が撃たれました」
「撃たれた?」
ティは呆然としてクルーレを見つめた。
「命に別状はなかったのと、状況的に強盗ではないかという判断でしたが、彼はそのとき軍服でしたから…… 公表はされていないようですが、軍服をわざわざ狙う強盗はあまり考えられない」
ティは戸惑ったように視線を泳がせた。
「こちらではいろいろと妙なことが続いていましてね。撃たれたようなことは今回初めてなのと、一連の事件と何か関係があるかどうかはまだ不明ですのでリィ社長に申し上げるにはまだ曖昧な点が多すぎたのですが、あなたがお出になられたので失礼を承知のうえで申し上げています」
「あの、それって……」
ティは口の渇きを覚えながらつぶやいた。
「ツカヤ氏は長くご経験があると思いますので、ご自身の身の置き方やこういった状況についても冷静に判断なさるでしょう。おふたりで相談なさってください」
「社長には報告せず、ふたりで相談しろと?」
「そうです」
クルーレは答えた。
「あなたにもしものことがあるかもと考えると、リィ社長は冷静ではいられなくなるのではありませんか?」
返事をしようと思ったが、ティは次の言葉を思い浮かべることができなかった。
クルーレはしばらく画面の向こうで彼女の顔を見つめていたが、かすかに肩をすくめた。
「個人的なことですが……」
ティはクルーレの顔を見た。顔つきはいかめしいが、目はそんなに怖くない。そんなことをふと思った。
「わたしにはあなたと同じくらいの娘と息子がいます。ふたりとも軍人ですので、ある程度自分の身は自分で守ることができますが、常に誰かがそばにいるようになっています。お恥ずかしい話ですが、これが事実です」
ティはどう言えばいいのか分からず、ただクルーレの顔を見つめていた。
「では、そろそろ行かなければなりませんので」
ティは小刻みにうなずいた。
「はい」
クルーレはぷつりと画面から消えた。
ティは大きく息を吐くと、カインの机の上に両肘をついて頭を抱えた。