07-06 ナナ

 不思議なほど人の気配はぴたりとなくなった。
「ケイナ」
斜面を降りきって平地に入ったときナナはケイナに声をかけた。
「あなた、さっきの…… 殺したの?」
ケイナは彼女をちらりと振り向いたが、何も答えなかった。
「ケイナ!」
ナナはその後ろ姿に声を荒げた。
「素人じゃないけど、プロでもなかった」
ケイナは振り向かずに答えた。
「答えになってないわ」
「体制立て直さなきゃ、追って来れないよ。所詮、女とガキだと思ってるんだろ。これ以上答えたくない。面倒臭い」
ナナは口を引き結んだ。
「こんな憎たらしい子だと思わなかった」
ケイナの後ろ姿を睨みつけていると、ふたりの後ろを歩いていたアシュアが追いついて、ナナの背をこづいた。
「あれでも愛想いいほうだよ。昔はもっとしゃべらなかった」
ナナはアシュアを見上げてから、再びケイナに目を向けた。短かった金髪がだいぶん伸びてふわふわと風に揺れている。
「返事するってことは、嫌いじゃないってことだよ。あいつそういう奴だし」
ナナはため息をついてかぶりを振った。
平野部を抜けて再び登りの斜面になった。2日目の夜が訪れようとしていた。
斜面を少し登って、わずかな平坦な場所を探して3人で身を寄せ合って眠った。
翌朝、再び登りはじめたが、前の斜面よりもきつい。ナナがアシュアの力なしでは全く登れなくなっていた。
傾斜はなだらかだが、岩ばかりなので足を踏み外すと怪我をしかねなかった。上を見ても頂上ははるか彼方だ。
ケイナは途中でアシュアの代わりに荷物を持った。アシュア自身がナナの補助で相当疲れてきたからだ。
3日目の夜が来た頃に、3人はようやく山の頂上にたった。
長い長い斜面の下に平地が広がっている。そこは今までのような赤い土の平地ではなく、あちこちに緑が点在していた。
「あのあたりよ」
ナナは平地の一点を指差した。小さな森らしき場所で上からは緑しか見えない。
星間機はその中に隠れるようにして待機しているのだろう。
「本当ならあっちから来る予定だったってわけか」
アシュアは右手のほうからナナの指す方向に伸びている白い線を見て言った。
「予定よりだいぶん遅れてる。何かあったと思ってるかもね」
ナナはそう言うと、斜面を降り始めた。
「ここは自分で降りることができると思うわ」
アシュアはナナに笑みを見せるとそれに続いた。
「ケイナ?」
突っ立ったままのケイナに気づいてアシュアが声をかけた。ケイナは来た方向をじっと見ている。
「音がする」
ケイナは言った。
「音? どこから?」
ケイナはアシュアに目を向けた。
「空」
アシュアとナナの顔に緊張が走った。斜面にいる間は空からだと隠れる場所もない。
「急げ!」
ケイナが叫んで身を翻した。アシュアがナナの手を引っ張った。
走って5分もしないうちにナナがアシュアに引きずられて膝を地面に落としてしまった。
「無理よ! 歩いて半日かかる斜面をいったいどうやって……」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで走れ!」
アシュアが怒鳴った。
「アシュア!」
ケイナが隠れることができる大きさの岩を見つけてアシュアを呼んだ。アシュアは半ばナナをかつぎあげるようにして走った。
「死にたくなかったら走れよ!」
岩陰に身を滑り込ませながらアシュアはナナに怒鳴った。
「足が動くんなら走るわよ!」
ナナは怒鳴り返した。その頭をケイナが抱え込んだ。赤い砂塵が一気に舞い上がった。
「冗談じゃねぇ……」
ケイナがつぶやいた。
「あんなもん、相手にできるかよ」
ナナが顔をあげると、旋回してこちらに再び向かってこようとする黒い機影が目に飛び込んできた。まぶしい光がこちらを向いたとき、ケイナが再びナナの頭を抱えた。
次に襲ってきたのは赤い砂塵だけではなく、すさまじい轟音と爆風だった。
しばらくして顔をあげると、さっきの機影はどこにもなかった。ただ、斜面の下に残骸らしきものが散乱しているのが見えた。
「何があった?」
アシュアが周囲を見回した。
「焦ってあんなもん飛ばしたから、逆に目立ったんだ」
ケイナが言った。
「待機していたやつが撃ち落したのか……」
アシュアはそう言うと、大きく息を吐いた。
「助かった…… だめかと思った」
「もう歩かなくても良さそうだ」
ケイナの声を聞いて、ナナはようやく顔をあげた。星空の下でこちらに向かって来る小さな砂煙を見た。
「お迎え参上。良かったな」
アシュアがナナの背を叩いた。

 3人が黒い小型軍用機とナナを連れて帰る『A・Jオフィス』の大型艇が停まっている場所に着いたのは、もう夜が明ける頃だった。
アシュアは『A・Jオフィス』の灰色のキューブから降りて大きく伸びをした。
「これでお別れね」
ナナはケイナに言った。
「地球に戻ったら目を見てもらって。小さなものなら手術をしなくても壊れると思う」
ケイナはうなずいた。
「それと、これ」
ナナはポケットから小さなケースを取り出した。
「あなたの治療経過と計画書。腕や足のメンテナンスの資料。たぶん、メンテなんてほとんどいらないと思うけど……」
ケイナは無言でそれを受け取った。
「くれぐれも使い方には気をつけて。無茶はしないで」
ケイナはやはり無言だった。ナナはしばらく彼の顔を見つめたあと、アシュアに目を向けた。
「いろいろありがとう」
「礼を言うのはこっちだよ」
アシュアは笑った。
「短い間だったけど、なんかすっげえ長く一緒にいたみたいだな」
「ほんとね」
ナナは笑みを浮かべた。
「気をつけて帰ってね。それじゃ、さよなら」
ナナはふたりに背を向けた。
「ナナ」
ケイナが呼んだので、ナナはびっくりして振り返った。ケイナはナナに近づくと、握りこぶしを差し出した。
「渡すの、忘れてた」
「なに?」
ナナはケイナのこぶしを訝しそうに見た。おずおずと手を出すと、彼女の手に小さな光るものが乗せられた。
「これ……」
ナナは手のひらの上に乗せられたペンダントを見て、ケイナの顔を思わず見た。
「拾ってくれたの?」
ケイナは幽かに笑った。
「美人じゃん」
「中を見たの? ひどい!」
険しい目でケイナを睨みつけたとたん、口の端にふわりと温かい感触を感じてナナは呆然とした。ケイナがキスをしたことはすぐには分からなかった。
「ナナ、5年間、ありがとう。感謝してる」
ケイナは言った。
「あんたがいてくれなかったら、おれはここまで動けるようになってなかった」
「動かしてるのはあなたよ。それを忘れないで」
ナナはようようの思いで答えた。
「あんた、スパイには向いてないよ」
「そうかもね」
ナナは苦笑した。
「本業は医者だしね ……考えとくわ」
口元が震えた。ナナは慌ててケイナから顔を背けた。
「命を大切にするのよ」
彼女はそう言って背を向け歩き出した。一度も振り向かなかった。
ドアが閉まる瞬間、ナナが両手を顔に押し当てようとする後ろ姿がちらりと見えた。
「おれたちも行こうか」
アシュアが声をかけたので、ケイナはうなずいた。
ナナとはそれきり二度と会うことはなかった。