04-06 ゼロ・ダリ

カインは再び向き直って彼を見下ろした。ヨクはじろりとカインを見上げたが、すぐに目を逸らせた。
「ボルドーの会社とはとっくの昔に取引はなくなってるよ。たぶんこれからもない。知らせる必要なんかないだろう?」
「父はどんな人だったんですか」
カインはヨクの言葉を無視してせっついた。ヨクは肩をすくめた。
「頭のきれる男だったよ。おれはあんまり好きじゃなかったけどね」
カインは目を細めた。ヨクはちらりと笑った。
「頭が良くて、女性をうっとりさせるだけのご面相も持っていたよ。これで満足?」
カインは一瞬口を引き結んだあと、イラついたように彼の隣に腰をかけた。
「煙草、いいかな」
ヨクはそう言うとカインの返事を待たずにキッチンに行って前に自分が灰皿として使わせてもらった小皿を見つけ出して持ってきた。そして再びソファに座った。煙草に火をつけると話し始めた。
「トウは最初こそボルドーに惚れていたと思うけれど、彼が心変わりをしてからはあっさり彼のことなぞ諦めたと思うよ」
カインは彼の口から吐き出される煙を見るともなしに眺めた。
「きみのお父さんと、きみにとっては叔母にあたるサエの話は聞いていると思うが、一番の原因はボルドーの弱さだ。きみには悪いが、所詮それだけの男だったとおれは思うね」
ボルドー。名前しか知らない父。母であるトウを裏切って姉のサエと結婚した男。
でも、トウはボルドーを責める言葉は一度も口にしなかった。彼女の心の中には姉のサエへの憎しみで一杯だった。トウの立場からすればそうでも、第三者として端から見ていたヨクは違う面を見ていたようだ。
「サエ・リィの性格もまあ、いろいろ問題はあったがね。ただ、彼女の場合、それは自分でもどうすることもできなかったと思う」
「どうして……」
カインは目を細めた。
「サエは…… 精神を患っていたんじゃないかと思う」
カインは呆然としてヨクを見つめた。
「それは明確な話? それともあなたの推測ですか?」
ヨクはカインをちらりと見て首を振った。
「当たり前に見てサエは普通じゃなかったよ。彼女の危うさは、重役連中は全員知っていたと思う。たまに経営会議にしゃしゃり出ることもあったんだが、言っていることが今日と昨日とで口調から方針までまるっきり違う。そのことを指摘するとそんなことは言った覚えがないの一点張り。様子からして本当に思い出せなかったようだったけどね」
「トウはそのことが分かっていたんですか?」
「分からないはずがない。でも、はっきりと彼女が口にしたことはないな」
「なぜ祖父は叔母にしかるべき治療を受けさせなかったんです?」
カインの言葉にヨクは紫煙を吐き出して一瞬口を引き結んだ。
「おれの父がシュウ・リィの側近で、当時父は彼に忠告したこともあったそうだ。だが、シュウ・リィは聞かなかった。何よりも彼自身がそのことを認めたくなかったみたいだ。彼はトウもサエも両方大切にしていたけれど、トウは人に媚びないし、ずっと自立している。そういう点では彼にとってはサエのほうが可愛かったんだろう」
ヨクはソファに身を沈めて重いため息を吐いた。
「トウはきみが生まれたとき、ずいぶん心配していたよ。サエがそのうちきみを育てることに飽きて放棄してしまうことは目に見えていたからな。そのとき、ボルドーが責任を持つとも思えなかった」
「ヨク……」
カインは少し口篭ったあと思い切って尋ねた。
「叔母が代理出産をしたというのは…… 本当なんですか」
ヨクはカインの顔をちらりと見てうなずいた。
「本当だよ。そのこと自体は限られた人間しか知らないけれど。今でもきみはトウが養子に迎えた彼女にとっての甥だと思っている人間は多いと思う」
ヨクは短くなった煙草をもみ消した。
「あのとき、サエはトウを脅迫したんだ。子供を生むからボルドーをよこせと。それが許されないなら、隠された子供を世間に公表すると」
「隠された子供?」
「ケイナだ ……ふたりのケイナ」
ヨクの言葉にカインは呆然とした。
「あの当時は『ノマド』に行ったケイナの居場所は捜索中だった。もうひとりのケイナは氷の下だ。トウはだいぶん悩んだみたいだったけどな。結果的には了承した。彼女自身、子供が欲しかったということもあったんだろう。昔から子供は好きだったからな」
子供が好き……
カインは信じられなかった。彼女のどこを思い浮かべればそんな気持ちが見えるというのだろう。
「母が一度封印されたプロジェクトを始めるということに周囲は反対をしなかったんですか?」
「したさ。当たり前だろ」
ヨクは苦笑した。
「苦い経験があるんだ。しないわけがない。でも、最終的には彼女が押し切った」
カインは眉をひそめた。
「どうしてそこまで……」
「きみと同じ理由だよ」
ヨクがそう言ったので、カインは険しい目で彼を見た。
「ぼくと同じ理由? どういうことです」
ヨクは再び煙草の箱を取り出し、一本口にくわえた。
「病気を持たない子供たちを生まれさせたかったんだ」
カインは言葉を失って彼の顔を見つめた。ヨクはそんなカインに笑みを見せた。
「プロジェクトはもともとそれが目標だったはずだろ?」
「でも、道を誤った」
カインは言った。
「再び同じことを繰り返すのは目に見えているじゃないですか」
「トウは遺伝子操作をしようとしていたわけじゃない。遺伝子治療をしようとしていたんだ」
「同じだ」
カインは吐き出すように言った。
「あなたはトウと同じことを言うんですね」
「でも、きみはケイナやセレスに遺伝子治療をしているだろう」
カインは心外だという顔でヨクを睨んだ。
「あなたは…… あのふたりを助けることがプロジェクトの継続だと思っているんですか?」
「そうじゃないよ」
ヨクは答えた。
「でも、彼らは遺伝子治療を行って正常に生きていけるだろう? 病気になる因子を持たず。彼らが結婚して子供が生まれたらどうだろう。そのまた子供は? 繰り返す命はたとえば100年後、何をもたらすのかな」
カインはヨクから顔を背けた。
「きみは環境の改善から、トウは遺伝子の改善から。おれはどっちかというときみのやり方のほうに賛同する。ただ、トイ・チャイルド・プロジェクトで生まれた命も継続している。『ノマド』もそうだろ? 思うようにはいかないかもしれない」
「それは分かってます」
カインは言った。
「結局は淘汰されていくのかもしれない。最後に残るのはどの血なのか分からないけれど、でも、星が病んでいるのは確かだ」
「そうだな。どちらにしても、もうプロジェクトの資料は何もない。残っているのはあのふたりだけだ。それは事実だよ。つまり、彼らがプロジェクトの資料そのものだってことだけは忘れるなよ」
ヨクは二本目の煙草をもみ消した。カインは険しい表情で口を引き結んだ。
ふたりがプロジェクトの資料そのもの。
そうかもしれない。でも、もう過ちは繰り返さない。生きている限りぼくは彼らを守っていく。
「話を元に戻すがね、きみが生まれてからトウがきみを気にかければかけるほど、サエは意固地におまえを放さなかったみたいだ。それはさながら自分のおもちゃをとりあげられようとするのを拒む子供のようだったんだ……。そのくせ、彼女はきみの世話など何もしていなかったんだよ。おむつを替えることもミルクも与えることもしなかった。トウは忙しい中をぬってこっそりおまえの面倒を見ていたんだ。ベビーシッターを雇えれば良かったがね。トウの雇うベビーシッターなぞ、サエが受け入れるわけがない」
「それで思い余って母は…… ボルドーとサエを殺したんですか」
カインが言うと、ヨクはかぶりを振った。
「あれは事故だよ。トウがやったんじゃない」
「でも…… あの日、同じ旅行機に母から雇われた男がひとり乗っていた」
「あれは……」
ヨクは言いかけて口を引き結んが、決心したように再び口を開いた。
「あれは、おれの父が雇った人間だ」
「え」
ヨクはカインをちらりと見てため息をついた。