02-02 ノマド

 あとに残ったのは最高に不機嫌な表情のヨクと、わずかに目を潤ませているティだ。
窓に目を向けると外はもう暗かった。
ベッドのサイドテーブルにいつも置いている時計に目を向けると、午後9時を過ぎていた。6時間ほど気を失っていたことになる。自分の部屋に運び込まれたということは外傷などはなかったということだろう。
「ヨク…… 会議はどうなりました」
顔を巡らせてカインはヨクに目を向けた。両手をポケットに突っ込んで椅子の背に身をもたせかけて立っていたヨクは床に向けていた顔をあげた。
「会議のことなんか心配するな」
ぶっきらぼうにそう答えると彼はカインから目をそらせた。不安と怒りとが混ざり合った表情だ。
どこに何をぶつければいいのか分からないのだろう。
「カインさん」
ティがカインの目を覗きこむようにして言った。
「あなたはしばらく静養が必要なんです」
「してもらわないと困るんだよ」
ティの言葉が終わらないうちにヨクが畳み掛けてくる。ティはきゅっと口を引き結んでヨクをちらりと見た。そして続けた。
「対外的には怪我をしたことになっています。全治一ヶ月ほどの。社内でも限られた者以外はそういうふうに説明を受けているはずです」
それを聞いてカインは小さく息を吐いてうなずいた。
カート・コーポレーションとリィ・カンパニーのトップが揃っているときに狙撃された。それはミストラル食品会社の社長が狙撃されたことなど比ではないほどのセンセーショナルな大事件だ。
公に姿を現さないほうが無難だということだろう。
ヨクは片手をポケットから出すと疲れきったように首筋をなでた。
「頭に怪我をしたことにしたよ…… つい2時間ほど前まで恐ろしいほどマスコミが詰めかけていたんだ。そのあたりは広報担当のスタンリーが全部対応している。たぶん、彼に任せておけば今後も大丈夫だろう」
ヨクはそう言って部屋の中をぐるりと見回した。
「実際、医師からは疲労が嵩んでいるという所見があった。静養は嘘じゃないが、病院じゃなくてこっちで休んでもらってるのはマスコミシャットアウトの方針からだ。オフィスと同じビル内にあるきみの部屋でならガードもしやすい。さすがにここまではマスコミもあがって来れないからな。
一週間後にきみのオフィスの必要なものはこっちに移動させるよう手配してる。多少暮らしにくくなるかもしれんが、我慢してくれ」
彼の言葉を聞きながら、カインはエアポートでのことを思い出していた。
誰もいないフロアの中で背を押し付けた壁の硬さと冷たさがまだ残っている。
エレベーターから出て来たケイナそっくりの少年の、踏み出した最初の靴音さえも耳から離れない。
そういえば…… カインはふと思った。エアポートの監視カメラに『彼』の姿が映っているかもしれない。
「ヨク」
カインが声をかけると、ヨクは目だけをこちらに向けた。
「エアポートの監視カメラの映像の話は聞きましたか?」
「聞いたよ」
ヨクはすぐに答えた。
「何にも映っていなかった」
「映っていなかった?」
目を細めて疑わしそうに自分を見るカインにヨクは肩をすくめてみせた。
「正しくは『見えなかった』。きみが3番棟のエレベーターホールに走りこんで来たあたりから約5分間、画像が荒れた。原因は何か分からないんだそうだ。そのあとに映っていたのは、きみがエレベーターの前で倒れている姿だ」
映っていなかった……
カインは視線を泳がせた。あのときの声は確かにケイナだった。7年たったとはいえ、忘れるはずがない。
アシュアはたぶんケイナは『アライド』で眠っているという返事を持って帰ってくるだろう。だとしたら、あのケイナはいったい誰だというのだろう。
(助かったね。カイン・リィ)
『彼』の言葉を思い出して、思わずぞくりとした。
そう、あのとき自分はユージーが落としたものを拾おうとして身をかがめた。
ユージーが撃たれたのはその直後だった。
と、いうことは、もしかしたら『彼』が狙っていたのはぼくだったのか?
でも、なぜ。
「ユージーを狙った場所は特定できているんですか」
再び向けられたカインの目をヨクはしばらく見つめ返したあと、口をゆがめた。
「できている」
彼はそう答えて口を閉じてしまった。続きを促すようなカインの表情に、ヨクは言いたくないんだけど、という顔をして再び口を開いた。
「できているけど…… 不可能なんだそうだ。3番棟の50階付近。距離が200mある。200mの距離をぶれることなく貫き通す銃もあり得なければ、それを撃つことが可能な人間もあり得ない。そういう所見だそうだ」
200m…… カインはヨクから目をそらせた。青い瞳が頭に浮かんだ。
『彼』なら不可能ではない……
「横になられたほうがいいんじゃありません?」
俯くカインにティが気づかうように言った。顔をあげると不安をいっぱいに浮かべた彼女の目があった。
「仕事のことやカート社長のことが気になると思いますけれど、とにかく今はあなた自身が静養されることが第一です」
カインはしかたなくうなずき、枕に身をもたせかけた。