01-7 予感

 アシュアの視線を感じてはいたが、カインはそれを無視した。
彼の読みは当たっている。自分はたぶんティに惹かれているのだろう。
ティは色白で笑うと左側の頬にかすかなえくぼができる。でも、それ以外にとりたてて個性を主張するような部分もなく、特に美人というわけでもない。
オフィスにはたくさんの女性がいて、そうした女性たちの中に入るとティは目立たないほうだろう。
性格はいたって温厚、基本的な気配りもできる。いや、どちらかといえばお節介なほどかもしれないが、秘書としてはまあ普通なのかもしれない。
 オフィスの女性たちが自分をどういう目で見ているのかカインには分かっている。若いトップの隣にいるのは自分であればと夢見ている。
そりゃそうだろう。ほんの少し前までカンパニーで働くことはひとつのステイタスでもあった。
今はもういっときほど勢力もなくなってしまった組織だが、それでも医薬品と化学部門のシェアではまだ上位に入る。その組織のトップが若くて独身であれば夢も見たくなるだろう。
しかし彼女たちは遠巻きにカインを眺めるばかりだ。仕事のことで声をかけるだけでも相手が全身に緊張をみなぎらせるのが分かる。
自分は怖がられているんだろうとカインは思う。
東洋系の顔立ちに特徴ある切れ長の目は見た目にも冷たい印象を持たれることも多く、理知的、冷静、感情をあまり表に出さない。
それは企業を担うトップとしては申し分ないことかもしれないが、本当は違う。
毎日不安ばかりを抱えている。気を許すといつも大きな責任に押しつぶされそうになる。
26歳という年齢は社会的にはそれぞれがさまざまな分野でプロフェッショナルになっているのだ
が、そうはいってもその上にさらなるプロフェッショナルがいるというのが普通だ。生まれたそのときから決められていたとはいえ、何の下積みもなくいきなり企業のトップにならざるを得なかったカインは常に緊張と不安を強いられていた。それを顔に出すまいとするだけで精一杯だった。
たぶんそんな自分を分かってくれているのは10代の頃から一緒にいたアシュアといつもそばにいるヨク、そしてティだけだろう。
ティに惹かれたのは彼女が毎日顔を合わせ、気負わずに言葉を交わす唯一の女性だったという単純な理由だったのかもしれない。
彼女の笑顔を見るとふっと肩の力が抜ける気持ちになることをカインは感じていた。
彼女の声や物腰、彼女が気に入ってよく使うかすかにふわりと漂う甘い香水の香りもカインにとっては張り詰めた毎日の中で一番気持ちが安らぐものだった。
不謹慎かもしれないが、オフィスでふたりきりになると、彼女の淡いピンク色の唇につい視線を向けてしまうことがある。
ヨクやアシュアの煽りは必死になって理性を働かせている自分を突き崩してしまいそうでカインは怖かった。
数年かけて今まで築き上げた彼女との仕事上の信頼関係すらも壊れてしまいそうに思えた。
そもそも、ティ自身の気持ちはいまひとつ掴めない。
ほんの少しでもそぶりや表情や言葉があれば判断できただろうが、彼女はヨクがけしかけても顔を赤らめるだけでそれ以上の意思表示はなかった。
赤らめた顔は迷惑がっているふうでもなく、怒っている感じでもなく、かといって嬉しいというわけでもない。
ヨクが勝手に誕生日に花をオーダーしたときも社交辞令としての礼を言いに来ただけだった。
ポーカーフェイスにかけては彼女のほうがずっと上手なのかもしれない。
ティのことを意識し始めて、カインは7年前のケイナへの思いがやはり恋愛感情なんかではなかったのだと改めて思い知った。
あの時はまだ子供だった。
友情と恋愛の区別がつかなかった。トゥとの軋轢やカンパニーへの反発も混乱に拍車をかけた。
誰にも胸の内を明かそうとしないケイナだからこそ、余計に気持ちを自分に向かせて独占したかったのだと思う。
そうすることで、自分の中にぽっかりと開いた深淵を埋めたかったのだ。
ただ、今は違う。もうあれから7年もたった。どこか落ち着きのない心の空虚な部分は今も感じることはあったが、それに振り回されるほど子供でもなくなった。それでもどこかで気後れがある。
『アライド』の血、『トイ・チャイルド・プロジェクト』の責任……
彼女にもしその気持ちがあったとしても、自分は、彼女を守ってやれるのかどうかわからない。
何一つ自分の責任を果たせていない。どうして彼女を守っていけるだろう。
「着いたぞ」
アシュアの言葉にカインははっとして我に返った。
「どうした、ぼうっとして」
アシュアは既にプラニカを降りていた。カインの座席側に回って窓越しに覗き込んでいる。
「ああ、ちょっと考え事してた」
カインは苦笑してプラニカのドアを開けた。
「疲れてんじゃないの?」
アシュアが心配そうに言う。カインはかぶりを振った。
「大丈夫だよ」
これからセレスに会うというのに、ぼくはティのことを考えていた。
ケイナもセレスも7年前から時間が止まったままだ。こうしてぼくはさっさと自分の時間の中を生きていくんだろうか。彼らを置き去りにして。