17-1 策略

 彼のアパートの敷地に見慣れたケイナのエアバイクがあるのを見てふたりは呆れるとも驚きともつかない表情で顔を見合わせた。
「もうちょっと派手なことをやらかしてくれると面白かったんだがな」
アシュアはケイナのエアバイクの隣に自分のバイクをとめると、彼のバイクの座席を軽く叩いて笑った。
「ほかの住人が警戒しなけりゃいいんだが……」
カインはそうつぶやきながらエントランスに近づくと、回りを伺いながらセキュリティシステムの入っている壁面の突起を外し、持ってきた薄いカードからコードを伸ばして取り付けた。そして小指の先ほどのキイボタンを押すとエントランスはあっけなく開いた。
「こんな簡単に開くならセキュリティの意味がないな」
アシュアは言った。
「この機械は誰もが持ってるものじゃないよ」
カインはそう答えてコードを片付けた。
「なるほど。リィ・カンパニーのシークレット製品ってわけか」
アシュアは言ったが、カインは少し笑みを見せたきりだった。
 ふたりはケイナの部屋のある階まであがり、同じようにしてカインは持って来たカードで彼の部屋のドアを開けた。
そっとドアを開けて中をうかがったが、すぐ目の前に見えるリビングに人陰はなかった。
しかし、エアバイクがある以上ケイナが部屋にいることは間違いない。アシュアとカインは顔を見合わせ、足音をたてないようにそっと部屋の中に入った。
やはりリビングにもキッチンにも人の気配はなかった。
「シャワールームにも誰もいないぜ」
アシュアは小さな声でカインに言った。
ふたりは残った寝室に歩み寄り、そっとドアを開けた。
そして中を見てそのまま呆気にとられて立ち尽くした。
ベッドの上ではケイナとセレスがお互いの背中をくっつきあわせるようにして毛布にくるまって眠っていた。
その寝顔はふたりとも全く何も警戒していない無防備そのものだった。ケイナが人の気配を感じて飛び起きないのが何よりも安心しきっている証拠だ。
「アシュア」
カインはふたりから目を離さずに小声で言った。
「ジェニファを呼んで来て欲しい」
アシュアは思わずカインを見た。
「ジェニファは暗示を解く方法を知っているかもしれない。ケイナがここにいるなら好都合だ」
「了解」
アシュアが出ていったあと、カインは心地良さそうな寝息をたてているふたりに再び目を向けた。
どうしてこんなに気持ちが沈むんだろう……
カインはそっと寝室のドアを閉めると、リビングの窓際に寄った。
分かっている…… まだ気持ちの整理がついていないんだ。
ケイナが安らぎを求める相手をセレスに求めたことが…… 悔しいんだ……
セレスとぼくらは違う。そのことは何をどうあがいても変わらない。
いったいいつまでこんな思いを抱えることになるんだろう……
 背後に気配を感じて振り返ると、アシュアが大きな黒いストールをかぶったジェニファを連れてそっと入ってきたところだった。
もう彼女に説明したのか、と訝し気な目を向けるカインにアシュアは手を振ってみせた。
「ジェニファにそんなに説明はいらなかった。おれたちのこと待っていたんだとさ」
カインは思わずジェニファを見た。ジェニファはにっこり笑った。
「あのふたりがここに来ていたことも知ってたのよ。たぶんね、ケイナが自分でここに来ないといけないって分かってたのね」
「…………」
カインは恐怖めいたものを覚えて思わずジェニファから目をそらせた。彼女が自分の心すらも読むのではないかと恐れを抱いたのだ。
「心療治療はやったことはあるの。でも、あまり自信はないわ。だけど、暗示は早く解かないとまずいと思う。催眠術にかけて彼自身に聞き出すほうがいいと思うの」
ジェニファはそう言うと懐から小さな丸い箱のようなものを取り出し、ふたを開けた。中には白い粉のようなものが入っていた。
「あの男の子にはもう少し深い眠りについてもらうわ。途中で起きると面倒でしょう」
そしてそれを片手に寝室に入っていった。
「何をするつもりかな」
アシュアがカインにささやいた。
「あの粉はきっと眠り薬のようなものなんだろう。とりあえずジェニファに任せよう」
カインは答えた。
ジェニファは粉をひとつまみ取るとセレスの鼻先に持っていき、そしてそのあとベッドをぐるりと回って反対側に眠っているケイナに近づくと、彼の額に手をあてて、何かを彼の耳もとでぼそぼそとつぶやいた。
するとケイナはゆっくりと身を起こし、ジェニファはその手を持って寝室から彼を連れて出た。
「ケイナはまだ眠ってる状態なのよ。無防備だからあっという間に術にかかったわ」
ジェニファは言った。
「悪いけれど、壁際にクッションを置いて、ケイナを座らせる場所を作ってくれない?」
アシュアはそれを聞いて、床に散らばっていたクッションを拾いあげて壁際に置いた。
ジェニファはケイナの手をとって彼をそこに座らせた。
アシュアは怪訝そうにケイナの顔を覗き込んだ。ケイナは伏し目がちに目を開いているが、その焦点は全く合っていない。
「何も見えていないのか?」
アシュアが聞くと、ジェニファはうなずいた。
「だって、彼はまだ眠っている状態ですもの」
彼女はそう言って、ケイナの前に座った。
「名前を言える?」
ジェニファはケイナに向かって言った。
「ケイナ……」
ケイナはくぐもった声で答えた。
「ケイナ…… トラヴィア…… エスタス……」
「ノマド時代の名前ね……」
ジェニファは言った。
「もう名前はない?」
再びジェニファが尋ねた。ケイナの表情がかすかにゆがめられた。
「ケイナ…… カート…… カートは…… きらいだ……」
カインとアシュアは顔を見合わせた。
「なぜ、嫌いなの?」
ジェニファが言ったが、ケイナは答えなかった。
「ケイナ・カートもケイナ・トラヴィア・エスタスも同じあなたじゃないの?」
「彼は危険…… きっと…… いっぱい…… 人を…… 殺す……」
「人を殺す? 大丈夫よ、あなたはそんなことしたくないって思ってるでしょ?」
「…… 魔が…… いる……」
「暴走したときの自分のことを言ってるんだ……」
カインはつぶやいた。ジェニファがしっと指をたてた。
「彼は…… なにも…… 見えてない…… 強烈な…… 色を求めてる……」
「…………」
3人はケイナを見つめた。
「…… そいつは…… おれの首を…… 絞める…… だから…… 葬らなければ……」
「彼はあなた、あなたは彼なのよ。彼を殺したらあなたも死んでしまうわ」
ジェニファは言った。
「このままだと…… 黒の敵が…… 来る……」
「黒の敵?」
ジェニファの眉がひそめられた。
「それはなんのこと?」
しばらく沈黙が続いたあと、俯いたケイナの顔がゆっくりとあがり、そしてだらりと下がった左腕がスローモーションのように伸びてぴたりと一点を指差した。
アシュアはその先を見て呆然とした。ケイナの指の先にはカインの姿があった。
カインは凍り付いたようにケイナを凝視した。
ジェニファはカインを振り返り、そして再びケイナに顔を向けた。
「ケイナ、彼はあなたの友人よ」
しかし、ケイナの指はカインを差したままだった。
「トウ・リィ…… 彼の、母親……」
ケイナはつぶやいた。
「…… おれを欲しがってる……」
ジェニファはカインを振り向いた。彼女はケイナが何を言っているのか分からないのだ。
ケイナは腕をゆっくりとおろしたが、その目は瞬きもせずカインを見つめ続けていた。
カインは思わずあとずさりした。体中が総毛立つ。
「彼女の息子…… そして…… グリーン・アイズ……」
ケイナはつぶやいた。
「グリーン・アイズ?」
ジェニファは目を細めた。
「カインとトウは親子じゃないぜ」
アシュアが思わず口を挟んだ。
「血は繋がってるけど、親子じゃない。ケイナは混乱してるんだ」
ジェニファは困惑したようにアシュアをちらりと見て、ケイナに目を移した。彼の目は依然カインを捉えている。
「トウ・リィの息子…… おれを欲しがってる……」
「やめろ……」
カインは思わず呻いた。
「おれが…… ホライズンに入れば…… 自分のものになると…… 思ってる……」
ケイナの目はまるで頭の中をかきまわすような感じだった。
カインは自分の背にケイナと反対側の壁が突きあたるのを感じながら、小さく呻き声をあげた。
「カイン」
アシュアは慌ててカインに近づいた。