31-3 クローズ・アイズ

「無理無理!」
男は錆びついた機体を叩いてみせ、勢いよくかぶりを振った。
横でジュディが口をへの字に歪めている。
カインは男が叩いた船を見上げてため息をついた。
確かにこれじゃあ…… 飛ばない。ほとんど朽ち果てているといってもいい……
「今までずっと倉庫に入れてたのは、要するに解体費用が捻出できなかったってだけなんですよ。もう一度飛ばすためじゃない。あの島はとにかく50年前に閉鎖命令が出たんです。その時点で、もう、うちの設備はおじゃんですよ」
男は白髪まじりの頭をゆすって冗談じゃないと言わんばかりにカインに言った。
「だいたい、万が一動いても半世紀も前の設備機能であの苛酷な環境に行くのは正気の沙汰じゃないよ」
「修理費用を出すと言っても?」
カインが言うと、男は呆れたようにカインを見た。
「人の話を聞いてんですか? 半世紀も前の船だって言ってるでしょう。パーツがあるわけない」
ちらりとジュディの顔を見ると、彼は申し訳なさそうに俯いた。横にいる父親には一切反抗できないようだ。
再び口を開きかけたとき、腕につけていた通信機が鳴った。
「失礼」
カインはそう言うとふたりから離れた。
受信すると、すぐにホライズンのバッカードの怒りに燃えた半身が現れた。
「あんた!」
バッカードは怒鳴った。カインはその剣幕に思わずたじろいだ。
「何か『人の島』に干渉したのか!」
「何のことです?」
カインは目を細めた。
「システムが暴走してる! 『ケイナ』が覚醒するぞ!!」
覚醒? 一瞬ふらりとした。なんで? システムが暴走してるって……
「ぼくじゃない。ぼくは何もしていない」
バッカードはいまいましげにカインを睨みつけるとあっという間に消えた。
グリーン・アイズが覚醒する? 目が覚めるのか? どうして……
怪訝な顔をしているジュディとその父親を振り向いた。
「また、来ます」
「何度来ても一緒だよ。飛べない」
にべもなく言う男の腕をジュディは突っついた。
「無理なもんは無理なんだよ」
男はジュディを睨みつけた。
カインは視線を泳がせながらうなずくとふたりに背を向け、倉庫から走り去った。
「父さん」
ジュディは父親を見上げた。
「本当に飛ばないの?」
「奇跡が起これば話は別だがな」
そう言い捨てて倉庫をあとにする父親を見つめたあと、ジュディは船を見上げた。
無理かもしれない。奇跡はそうそう簡単には起こらない。
彼はため息をついた。

 ホライズンの中はすさまじい騒ぎだった。
罵声と足音がエントランスに入ったときから飛び交ってる。
カインは血相を変えて目の前を走る男の腕を掴んだ。
「なに!」
男は怒鳴ってカインの顔にぎょっとした顔になった。彼はカイン・リィとしての自分の顔を知っている人間かもしれない。。
「何があったんです」
カインの問いに男は顔を歪めた。
「誰かがウィルスを送って来たんですよ。あっという間にセキュリティを突破した。何とか復旧したけれど、15分も設備がダウンしたんです。微妙な気温調整が必要な研究物がアウトになりそうなんですよ! 無事だったのは治療中の患者がいる一部の塔だけでね、それだけが救いだ! でなきゃ、何人も死んでる! 今もう確認で大わらわだ!」
呆然として男の腕を放すと、彼はすぐにせわしなく走り去ってしまった。
ウィルス…… ウィルスだって?
地球に来る前にユージーの言っていた言葉を思い出した。
ホライズンにとってぜい弱と思われるウィルスをケイナに教えて来た……
目眩がする。
ケイナか? ウィルスを送ったのはケイナなのか? いや、ユージーである可能性もある。
昨日バッカードと入った部屋に向かってカインは走り出した。
部屋の中は外に負けないくらいの喧噪に包まれていた。バッカードがいち早くカインの顔を見つけて険しい顔でやって来た。
「こっちのシステムは回復してないんですよ」
バッカードは言った。
「全然制御できない。完璧にここを狙ってるな」
「彼女がもし逃げても生きることができる環境じゃないと言ったのはあなただ」
カインが言うと、バッカードは顔を歪めた。
「覚醒には順序ってもんがあるんですよ! 70年の肉体ですよ。あっちで生命維持装置をばちっと切ったほうが、どれほどきれいな死に方か」
それを聞いてぞっとした。
「何より重要なのは施設の中に侵入者があるってことですよ! まかり間違って彼女が外に逃げてみろ!止められる者があらわれるまで彼女は殺戮を重ねるぞ!」
彼の言葉が言い終わらないうちに、カインはつかつかと画面の前に歩み寄った。それを追いかけながらバッカードが言い募った。
「彼女の知能指数知ってますか。250ですよ、250!  『人の島』に来た人間が何で来たのかは知らないがね、船だろうが何だろうが乗り込んだら彼女は自分で操作します」
「操作して逃げたって、長くは生きられないんでしょう?」
カインは言った。
「長くは生きられませんよ。ええ、もちろん。こんな覚醒の仕方じゃね。肉体崩壊の哀れな姿で死ぬでしょう。一週間? 二週間? あるいは一ヶ月? あんたはその姿を見たいか? 私はごめんだ」
バッカードはカインを睨みつけて答えた。
目の前の画面は真っ白だ。いったい誰が『人の島』に入り込んだんだろう。
「所長! 衛星経由で島を撮影できました!」
計器にしがみついていた男が叫んだ。しばらくしてすぐに画面に映像が映し出された。黒い機体と輸送船らしきものが停泊しているのが見える。
「軍機……」
カインはかすれた声でつぶやいた。
「軍機はコリュボスのものです。カート管轄。もう一機は地球の船じゃありません」
頭がぐるぐる回った。思わず目の前の椅子の背を掴んだ。
「いったい誰が入ったんだ! 施設の中のセキュリティカメラはまだ回復できないのか!」
怒鳴るバッカードの腕をカインは掴んだ。
「ケイナだ…… 可能性があるのはケイナ・カートとユージー・カート、それに、ハルド・クレイ…… セレスも…… いるのかもしれない……」
「はあ?」
バッカードが目を見開いてカインを見た。
「確信じゃないけど……」
「全員アウトだ……」
バッカードはつぶやいた。
「何考えてんだ…… 全員死ぬぞ」
カインはバッカードの顔を見た。気づかぬうちに呼吸が荒くなる。
「なんで」
そう言って椅子を掴んでいた手をバッカードの胸ぐらに変えた。
「なんで!!」
「い、いや…… うまくいけばケイナ・カートだけは生き残る。運が良ければハルド・クレイもユージー・カートも。だけど、セレス・クレイはだめだ」
バッカードは小刻みに首を振ってカインを見た。
下が上を…… 下が上。

―― モウスグ…… クル…… ――

「遺伝子の順序はどうなってんだ……」
カインはバッカードの胸ぐらを掴む手が震えているのを感じながら言った。
「セレス・クレイ、ハルド・クレイ、ケイナ・カートか」
バッカードは肩で息をしながらカインを見た。
「ハルド・クレイはもうグリーン・アイズの影響を受ける事は少ない。だけど、彼女は誰でも周りにいる人間を引き連れるんだ。逃れるのは精神力だけだよ。彼女に引き込まれなければいい。だが、セレス・クレイは彼女の父親の遺伝子を持ってる。逃げられない。ひとこと『死ね』と言えば自ら命を断つ……」
「なんで……」
思わず言葉が滑り出た。
「なんで、そんな遺伝子を作ったんだよ!!」
「わたしじゃない! 作ったのはあんたたちだ!!」
バッカードの言葉に身がすくんだ。
あんたたち……
ぼくじゃなくても…… ぼくは、リィの……
目の前のバッカードの顔がゴムのようにぐにゃりと曲がる。
まずい…… こんなところで気を失うわけにはいかない……
こんなところで……
次の瞬間にはもう自分が立っているのかどうかも分からなくなった。