31-13 クローズ・アイズ

 『ケイナ』の体は一瞬散った火花と同時にぴくりと跳ね上がったが、そのまま彼女は動かなくなった。
彼女の血はあっという間に彼女の白い服を染めていったが、それよりもあとに漂った肉の焦げる匂いにセレスは思わず嗚咽を漏らした。
しばらくして部屋の中の空気がかすかに流れるのをセレスとケイナは感じた。
酸素が供給され始めたのだ。
だが、気温はどんどん下がっていく。 たぶん数十分もたたないうちに部屋の中は凍っていくだろう。
セレスが鼻をすすって手の甲で涙を拭った。
「ノマドに一緒に帰ろうって言ったのに……」
ケイナはセレスの肩に手を回すとできるだけ自分の体を近づけて抱き締めた。
こんなことをしても気休めかもしれない。
この寒さではきっと一時間ももたないだろう。その一時間の間に助けが来る可能性は皆無であることをケイナは悟っていた。
「寒くない?」
「寒くないよ。大丈夫。ケイナ、あったかいよ」
セレスはケイナの背に手を回してしがみつきながら答えた。
それを聞いてセレスも同じことを悟っているとケイナは思った。
しかし、セレスは決してそのことを口にはしない。
ずっとそうだった。セレスは死を見ない。それが遺伝子の宿命を乗り越える術だったことを最後の最後に知った。
「ケイナ、海を見に行こうね」
セレスの言葉にケイナはうなずいた。
「うん……」
「おれ、寝ちゃってたけど、地球に着陸するとき、ケイナは海を見た?」
「……見たよ」
左足の感覚がどんどん薄れていくのを感じながらケイナは答えた。
「大平洋だったのかな…… 真っ青で、でかかった…… でも、おまえと一緒に見なきゃ意味ねえよ……」
「じゃ、今度一緒に絶対見よう。リアやアシュアもいるといいな。カインも」
「うん……」
ケイナの手が自分の顔の髪をかきわけ、彼の顔が寄せられるのをセレスは感じた。
唇にケイナの吐息がかかる。
冷たく凍えた感触は前よりずっと涙が出るほど切なく優しかった。
セレスにキスをするのは、もうこれが最後かもしれない。
「人を好きになるって、怖いことなんだな……」
ケイナはつぶやいた。
「え?」
顔を離したケイナの顔をセレスは思わず見た。
赤いわずかな光の中に浮かぶケイナの整った顔が見える。彼の顔がもっとよく見たい。
おれも怯えてたよ。
セレスはケイナにさらに力をこめてぎゅっと抱きついた。
おれもずっとこうしたかったけど、できなかったもん……。
普通の恋人同士だったら良かったね。
遺伝子とか、男とか、女とか、ややこしいこと全部抜きにして、普通のことしたかった。
手を繋いでキスをして、時々冗談を言ってくすくす笑って。
好きって普通に言えたら良かった……。
何にも望まない。それだけのことなのに、おれたちできなかった。
しばらく沈黙が続いて、セレスはケイナの顔を見上げた。
「ケイナ、眠っちゃだめだよ」
「大丈夫だよ……」
ケイナはかすかに笑みを浮かべたが、その表情が辛く歪んでいることはわずかな光の中でも見てとれた。
血に濡れた服は彼の体温をどんどん奪っていくだろう。
失った血も彼の体を冷やしていく。
セレスはケイナにできるだけ体をくっつけた。それでも自分の手もほとんど感覚がなかった。
絶対離さない。ケイナを離さない。セレスは必死になって彼にしがみついた。
しばらくしてケイナは言った。
「海、見ような……」
彼はセレスの肩に顔を埋めた。これまでも何度か彼はこんなことをしてきた。
甘えるような、慈しむような行為。首筋に少し温かい吐息が触れた。
「マスクなしで…… コリュボスの湖みたいに、砂浜を歩けるといいな……」
ケイナの声の調子がおかしい。セレスはトクトクと鳴る自分の心臓の音を聞いた。
かじかんだ手を必死になってケイナの背に回して撫でた。
お願い、ケイナ、しっかりして。
「生きてて、良かったって…… 今は…… 思う…… ありがと…… ごめんな……」
ささやくようにそう言ったあと、ケイナは小さく長い息を吐いた。そしてその次の呼吸はもう聞こえなかった。
「ケイナ……」
あふれた涙はあっという間に冷たくなって頬を流れた。
「眠っちゃだめって言ったのに……」
セレスは動かなくなったケイナの体を必死になってかき抱いた。
「なんか、しゃべってよ…… 目、開けてよ…… 先に行かないでよ……」
小さな子供のような嗚咽がセレスの口から漏れた。
「もう頑張らなくていいのに…… ううん、頑張ったよね…… ケイナ…… 頑張り過ぎちゃった…… お休み…… もう…… ゆっくり眠れるね……」
ぼろぼろと冷たい涙が流れていく。
ケイナ、ずっと一緒にいよう。ずっとずっと。
兄さん、ユージー、アル、トニ、リア、カイン…… アシュア、リンク、クレス……
ごめんね。
みんな、ごめんね。
もう一度会いたかったけど、できそうにないんだ。
ごめんよ……
ケイナの凍えた頬に自分の頬を押しつけて、セレスは目を閉じた。