31-1 クローズ・アイズ

「ねえ……」
東の空を見つめていたリアは、そばに立っていたリンクに言った。
「あっちには何があるの?」
リンクは彼女の視線の先を追った。
「あの先は海で、その向こうに大きな島がひとつあるよ。地球上で一番大きな島だね」
「島……」
リアはつぶやいた。
「いったいどうしたの」
リンクの言葉にリアは首を振った。
「分からない…… ほんの一瞬だけど、時々大きな雲みたいなのがむくむく膨らんで来るみたいな気がするの」
リンクは彼女の顔を見て、もう一度その視線の先に目を移した。
「ぼくは何も見えないけれど…… 夢見の力はぼくには全然ないんだ」
「声が聞こえない?」
「声?」
リンクは目を細めた。リアは首をかしげて耳を澄ますような仕種をした。
「誰か泣いてるみたいな……」
「ほかの夢見たちに聞いてみたら?」
「うん……」
リアは気乗りのしない様子で答えた。
誰だろう。すごく悲しくなるような泣き声。それなのに、聞くと怖くなる。
トリがいたなら、もっと詳しく分かっただろうか。
「その島には行くことできるの?」
リンクはそれを聞いて首を振った。
「無理だよ。時期がもう少し早ければ渡れたかもしれないけど、海はすぐに流氷に包まれる。島の8割以上は氷に覆われていて、とてもぼくらの装備では無理だ」
「ふうん……」
リンクはまだ不思議そうに空を見つめるリアの横顔を見た。
(リア、心配ないよ。今、夢見たちはトリと一緒に一生懸命ケイナたちを助けようとしてる。きっと助かるよ…… きみは…… アシュアを呼ぶという役目があるんだ。彼を呼び戻さないと)
リンクは思った。

『ええと……』
アシュアは立ち止まって記憶を呼び起こすように頭に手をやった。
『おれ、どこに行こうとしてたんだっけ……』
ずっと歩いているような気がするけれど、どこに行くつもりだったのか思い出せなかった。
同じところをぐるぐる回っているような気がしないでもない。
『なんか、すごく大事なことを忘れてるような、そうでないような……』
周囲を見回したけれど、何にもない。何にもない真っ白な世界だ。
遠くで誰かの声がする。途切れ途切れにぶつぶつつぶやいているような感じだ。いや、泣いているのかな……。
その声が聞こえる方向に行ってみようと思った。
それにしても足が重い。前に出しているのに、その足が自分のものじゃないように思える。
夢の中ってこんなじゃなかったっけ。おれ、夢の中にいるのかな。
『ああ、疲れた』
重い足がだるくなって、体を折って膝を押さえた。
ふと気配を感じて顔をあげた。目の前に女の子が座っていた。
不思議な長い緑色の髪。この髪をどこかで見たような気がする。
『おとうさぁん……』
彼女は鼻をすすりあげながらしゃくりあげて泣いていた。
何歳くらいだろう。13歳…… 14歳くらいかな。痩せた肩に白く薄い衣が頼り無い。
『どうした』
彼女の前に身をかがめて顔を覗き込むと、白い顔がこちらを向いた。
その顔を見たとき、ああ、綺麗な子だな、と思った。
美人とはいかないまでも、親しみの持てる顔だ。
でも、どこかで見たような顔だな…… ガラス細工のような大きな緑色の目。
『誰?』
彼女は言った。アシュアは戸惑った。誰だっけ。ええと……おれ、誰だっけ。
『連れていく……?』
『んん?』
アシュアは首をかしげた。
『おれが? どこに?』
行ける場所があるんなら、そりゃ連れてってやってもいいけど。
『ずうっと眠れないの。お父さんが待ってるのに、行けないの』
彼女のすがりつくような表情にアシュアは戸惑った。
『お父さん、どこで待ってるの?』
『…… 分からない……』
うーん、それじゃあ、どうしようもないなあ……。
それにしても細い子だな。何年も日に当たってないみたいに、肌が真っ白だ。
『まあ、そう泣くなって』
手を伸ばしてあとからあとから流れて来る涙を拭ってやった。一瞬彼女がほっとしたような顔をした。
『手、あったかい……』
おずおずと伸びた細い指がアシュアの手をとった。
その手を嬉しそうに見つめたあと、自分の頬に押しつけた。
涙で冷えた頬の柔らかい感触が手に伝わった。
『あったかい……』
なんだか、可哀想だな。ずっとひとりでこんなところで泣いていたんだろうか。
『行く場所ないの?』
尋ねると、彼女は悲しそうに目を伏せた。
『だって、動けないんだもの』
『立って歩いたら?』
『歩けない』
困ったな。背負ってやってもいいけど、おれの足もなんだか頼りないしなあ。
『お兄さん、わたしと一緒にいてくれる?』
いいけど、と言いかけて躊躇した。なぜかは分からない。
『こんなところでじっとしてるよか、動いたほうがいいよ。ええと……』
アシュアは何もない周囲を見回して肩をすくめた。
『あんた、名前なんていうの?』
『ケイナ』
『え?』
不思議な呪文のような言葉だった。
『ケイナ』。おれ、どこかでこれを聞いたことがある……
『ノマドの“神の笛”なの。お父さんが大好きで……』
そこまで聞いて、ふいに誰かがものすごい力で背後から自分の腕を掴んだ。
あっという間に彼女の姿が遠ざかる。
誰だよ、なんかすごく大事なことだったような感じだったのに、と憤慨しつつ振り向いて、見覚えのある顔に呆然とした。誰だっけ……
「引きずられちゃだめだよ」
少し泣き出しそうな悲しい顔。この顔どっかで見た。
「せっかく助けたのに、彼女に引きずられてどうするの」
「あんた、誰」
「もうすぐ思い出すよ。それより、聞かなきゃならないのはあの子の声じゃないよ」
「あの子の声じゃないって…… ほかに聞こえるモンがあるっての?」
「ちゃんと耳を使いなさい」
相手がトンと背を押したので、アシュアはつんのめるように前に数歩進んだ。振り返るともう誰もいなかった。
いったい誰だったんだろう。
聞かなきゃならないものってなんだろう。
あの子は寂しそうだったな。あの子はほっといていいんだろうか。
名前なんていったっけ。
あれれ、もう忘れてしまってる……
何だろう。すごく大切なものを思い出しそうな気がしたのに。
しかたなくアシュアはまた歩き始めた。