30-6 グリーン・アイズ

 再び自分の部屋に戻ると夕食はまだそのままテーブルの上に乗っていた。
しばらくそれを見つめたあとカインは疲れ切ったように椅子に座った。
『ファー・システム』か…… 50年前の輸送船じゃあ、動かないだろう。
それでも明日連絡をしてみようとデスクに乗せたままの書類を取った。
一番上にディスクの入った薄いケースが止められている。

– オコラナイデ –

『グリーン・アイズ・ケイナ』の言葉が甦る。眠っていた彼女に何ができたというんだ……
カインはそう思いながらコンピューターにディスクをセットした。
キイを叩いて画面を見つめた。
地図を背景に事故機のフライトラインが伸びる。
最初はノース・ドーム行きの868機。次はウエスト・ドーム。事故機の行く先はバラバラで、飛び立つ場所もバラバラだった。経由して最後にアライドに行く船もある。
これにいくらなんでも『グリーン・アイズ・ケイナ』が干渉するのは無理だ。
そうして画面を見つめていくうち、カインは血の気が引くのを覚えた。
別々の旅客機はいくつかルートを重ねて飛んで行く。
3つ4つと重なり…… そしてすべての機がある一点の上空を飛んでいた。
「『人の島』……」
呆然とした。まるで『人の島』を中心に放射線状の線が増えていくように見える。
そして最後のフライト・ラインが伸びていくのを見たとき、心臓が狂ったように動悸を打つのを感じた。
たった一機……『人の島』の上空を飛ばない事故機があった。
見たくないと思いつつ乗客名簿に目を走らせた。18年前、アライド行き262機。乗客560名、死者560名……
サエ・リィとボルドー・ハリソンの名前を見つけたとき、とてつもない後悔が襲った。
「この機だけは…… 違う……」
カインはつぶやいた。
テーブルの上に置かれた皿に目をやり、デスクに突っ伏した。

 頭ががんがん痛んでいたが、一晩たってカインの気持ちは決まっていた。
書類をまとめ、重い体に鞭打つように立ち上がった。
結局手をつけなかった昨晩の夕食をちらりと見やり、カインは部屋をあとにした。
トウのオフィスに入ったとき予想通り彼女は早朝にも関わらずデスクの前に座っていた。
自分の部屋にはほとんど戻らなくてもこの部屋には何度も来た。そう、嫌というほど。
「おはよう」
カインの顔をちらりと見てトウはすぐにまた目の前の書類に目を落した。
「ちゃんと寝てるの? 顔色が悪いわよ」
「あなたも寝ていないような顔をしている」
トウはカインの言葉に目をあげずにかすかに口をゆがめた。
「そう?」
カインは黙ってトウの目の前に書類の束を置いた。トウはそれを見てカインの顔を見上げた。
「頻発していた航空機事故の調査書」
カインは言った。それを聞いてもトウの表情は変わらなかった。
「10年間で68機。小さな事故から大きなものまで。死者の数は2万を超えてる」
トウはそれでも無言だった。
「乗客の中には必ずリィの研究所がらみの人間がいた。あなたの言う通りだ」
「そう」
トウは目をそらせると、再び手元の書類に目を落した。
「北緯72度、西経40度……」
カインは言った。トウの目が一点に止まった。
「事故機は必ずこの上空を飛んでいる。だけど、たった一機、そうでないものがあるんです」
カインはトウの手に目をやった。短く切られた爪。
トウの身だしなみにはいつも隙がなかった。着飾ることはしなくても、彼女は美しかった。
見るともなしにいつも見ていたトウの指。
いったいどれほどの時間がかけられているのかと思うほど、彼女の指の先には赤く艶やかなしずくが光っていた。短く切られた爪にささくれだった指先を見ると心が痛むのはなぜだろう…… ぼくは、この母の指が好きだったのだろうか。
カインは頭の隅で考えていた。
「アライド行き262機…… サエ・リィとボルドー・ハリスンの乗ったものです。」
カインは思いを振り払うように言った。
「それで?」
トウは小首をかしげた。カインは一枚の写真入りの紙をトウの前に置いた。中年の男の顔が写っている。
「乗客の中にはリィの従業員も何人かいた。彼らの家族は事故後、カンパニーから慰問金をもらっているけれど、この人…… だけは、受け取った額が法外だった。あなたが個人名で別に出してますね。自分の部署の人だからという理由で」
「それが何か不自然なことかしら」
トウは挑むようにカインの顔を見上げた。
「じゃあ、その直前、あなたの口座から振込み先不明の多額のお金が動いているのは?」
「そんなことまで調べたの?」
トウは笑みを浮かべた。
「よく調べられたわね」
カインはうなずいた。
「そういう教育を受けさせたのはあなただ」
カインは言った。
「数日あればどこに振込んだか、隠しても分かりますよ。事故死した彼の席は操縦席に一番近かった。彼は手荷物ひとつで乗っている。わずか3キロの。アライドまで行くのに。でも、滞在申告書は5日だった。5日もアライドに滞在するのに、手荷物ひとつだなんて不自然だ」
カインは軽い目眩を覚えながら言葉を続けた。
「搭乗セキュリティを突破させるのは、そう難しいことじゃなかっただろう。ただ、乗った彼が本当に自分の役目を知っていたかどうかは定かじゃないけれど」
「何が言いたいの?」
トウはカインの顔を見た。カインは目を伏せた。
「経営者同等権を持つ間に言います。社長退任を要請します」
トウの表情はやはり変わらなかった。もしかしたら、彼女はこうなることを予測していたんじゃないだろうか。カインはふとそんな思いに駆られた。
「18年前の事件はもう表に出ることはない。でも、あなたが使ったひとりの従業員だけのことじゃない。あなたは同時に560人もの命を奪ったんだ。その中に自分の姉と恋人が入っている。そのあなたが…… 経営者でいることは……」
その言葉が終わらないうちにトウは持っていた書類をカインに突き出した。
怪訝な顔をしてそれを見つめるカインにトウはさらに突きつけた。手にとって見たが、何のことか分からなかった。
「カートが手を引くって言って来たのよ」
トウはかすかに笑みを浮かべて言った。
「カートが?」
手を引く? どういうことだ……。
「カンパニーの業務には今後一切関与したくないと申し出て来たわ。今、全部確認していたところ」
ありえないことではなかった。
トウは半ば共同経営者ともいうべきカートに手荒なことをやり過ぎた。
シュウ・リィの威厳はもはやない。カートを縛る理由もないのだ。
「従業員たちのこともあるし、これまでの運営のこともあるわ。今、カートが担っているような部分はそのまま渡すしかないわね。どっちにしてもリィだけじゃ担えない。コリュボスはもう完全にカートの運営になるわ」
トウはカインを見て、少し肩をすくめた。
「重役たちも半分くらいは向こうに行くわね。リィの規模はほぼ半分になる。ちょうど良かったじゃない。どう? それくらいならあなたも頑張れそう?」
カインは何も言わず目を伏せた。
「ホライズンは…… カートの管轄になるわ」
トウはカインから目をそらすと椅子の背に身を沈めた。
「『人の島』は?」
カインの言葉にトウはちらりと彼に目を向け、すぐに背けた。
「あそこは、カートは知らないわ。よしんば知ったとしてもどうすることもできないわよ」
「でも、もう続けることはできない」
「取締役会を開くわ。」
トウは言った。
「私があんたにと言えば、誰も異存はないだろうけど」
そして窓の外に目を向けた。
「もしかしたらカートはあんたに座を譲ったら戻って来るつもりかもね。2日後でいいかしら?」
カインはかぶりを振った。
「これから、『人の島』に行きます」
それを聞いてトウの顔色が変わった。
「あそこは危険よ」
「彼女が、航空機事故を起こしてるんですよ」
カインは言った。
「グリーン・アイズはもう眠りたがってる。このままにしておくのは危険だ」
「そのまま放っておいても死ぬわ。誰も管理しなくなる」
トウは言ったが、カインは首を振った。
「リィの立場として…… 自分で彼女の生命維持装置を止めます。止めたあとは全部を破壊します」
トウは何も言わずにカインの顔を見つめた。
「もし、ぼくが帰って来なければ……」
カインは一瞬口をつぐんだ。
「次期経営者としては諦めてください。ほかの人を社長に」
カインは自分を見つめるトウの視線から逃れるように背を向けた。
「待ちなさい、カイン」
トウの声が追いかけてきた。それでも部屋を出て行こうとするカインに、トウは立ち上がると走って来てその肩を掴んだ。
「帰って来ないのは許さないわ」
カインはトウの顔をしばらく見つめたあとうなずいた。
「ぼくだって…… 死にたくはない」
カインはそう答えて再び背を向けた。
「ここまでのこと、あんたならすぐにやってのけると思ってたわ」
トウの声がまだ追いかけてきた。カインは足をとめて振り向いた。
「だけど、あなたは一番大切なことを忘れてる。あなたの個人的な感情で組織はもう放棄するわけにはいかないのよ。いったい何万人の人がこの下で生活を作っていると思うの。リィが破綻するということは、その人たちを路頭に迷わせるということよ」
カインは無言でトウの顔を見つめた。
「私なんかへの恨みつらみでしてやったりと思うんなら大間違いよ」
「恨み?」
カインは言った。
「恨んで憎んで何かできるんなら、とっくにそうしてるよ、お母さん」
そう言い捨ててカインは部屋をあとにした。