30-5 グリーン・アイズ

 バッカードは険しい顔で所長室に入って来たカインを訝し気に見た。
「どうされました? こんな時間に……」
カインはその言葉を無視して彼の前につかつかと歩み寄った。
バッカードはちらりと部屋のドアに目を向け、顔をしかめた。
どうして秘書はこんな時間に通してしまったんだろう。断ればいいのに。その声が聞こえて来るようだ。
「北緯72度、西経40度」
カインは言った。
「『人の島』に何がある?」
「何のことですか?」
その返事は予想していたものだった。バッカードはのたりくたりとしらばっくれるに決まっている。
「『人の島』だ。イヌイット語で『Kalaallit Nunaat』。70年前は使われていた言葉だったんだろう」
カインはバッカードの前に手をついて、彼の顔を睨みつけて言った。
「70年前にね。ほう…… 確かにその頃にはまだ人はいたかもしれませんな」
「北極圏にいったい何を作ったんだ」
「だから、何の……」
次の言葉は出せなかった。カインが銃を取り出して彼の額に突きつけたからだ。
「ご子息、冗談はやめてください」
バッカードの顔がみるみる赤くなった。目玉が飛び出さんばかりに目を見開いている。
「冗談でこんなもん持ち出すかよ」
カインは言った。
「あんたの耳でも腕でも吹っ飛ばす決心はついてる。ただし、この銃はしばらく使ってないからうまく狙ったところに当たってくれるかどうかは保証できないけれど」
バッカードの顔が今度は青くなった。
「ミズ・リィは…… 全部をあなたにお話する必要はないとおっしゃっていた……」
「そうだね」
カインはうなずいた。
「だからこういう手段に出てる。どうする? ぼくは撃つよ」
額から銃口を耳に向けたとき、バッカードは悲鳴をあげた。
「アクセスroudskyの83番です! それであちらの様子が分かる!」
あちらの様子が分かる? どういうことだ……。カインは目を細めた。
「通信室に一緒に来てもらおうか」
カインの言葉にバッカードは恨めしそうな目で渋々立ち上がった。

「グリーン・アイズは危険な種で、ある一定の年齢が来ると死にとりつかれる」
バッカードは誰もいない部屋に入ると仏頂面で言った。部屋にはたくさんの計器が並んでいた。
「彼女はもう70年近く生きていてとっくにその許容量を超えているんです。人はそばには近寄れないんですよ。危険すぎて」
「でも、彼女は眠っているはずだろう」
カインの言葉にバッカードはうなずいた。
「そう。最初はそう思っていた。だけど、彼女の奥底の意識だけは絶対眠らないようなんです」
意識だけは眠らない……。だから飛んで来たのか? ぼくのところに……。
「いったいどこで彼女の存在を知ったんですか?」
振り向いて恨めしそうに言うバッカードの言葉にカインは肩をすくめた。
「遊びに来たんだ」
「は?」
「話をしに来たんだよ。ぼくのところに」
カインは苛立たし気にそう答えて、バッカードに早くしろという身ぶりをした。
彼に説明したって分からないだろう。彼女はわざわざぼくを選んで意識を飛ばして来た。
飛ばせるものならいつでも飛ばせたはずだ。今、この時期に自分のところに来たのは、きっと何か理由があるはずだった。
バッカードは画面の前に座るとキイをいくつか叩いた。
「なぜ、北極圏なんて場所に彼女を仮死保存したんだ」
カインが言うと、バッカードは目をちらりとこちらに向けた。
「万が一のことがあっても、あの環境なら生きることはできませんからね」
「万が一って……」
カインは彼の顔を見た。
「逃げ出す、ということか?」
「そうです」
仮死保存されているのに、意識は眠らない。もしかしたら逃げ出すかもしれない。そんな人間がいるのだろうか……。カインはバッカードが操るキイを見つめて思った。
しばらくして目の前の大きな画面に映った映像に、カインは息を飲んだ。
今度ははっきり見える。緑色の髪に痩せた体。透けるような白い肌。
彼女は堅く目を閉じて眠っていた。間違いなくあの少女だ。
「彼女の意識にコンタクトできるんですよ。やってみますか?」
バッカードの言葉にカインはうなずき、彼の立ち上がった席についた。
「しばらく呼び掛けると答えると思います」
カインは少しの間躊躇したあと、口を開いた。
「ケイナ」
バッカードがびっくりしたような視線を向けるのを感じたが、そのまま呼んだ。
「ケイナ。聞こえるか?」

―― ダレ? ――

「さっき、ぼくのところに来てくれたんじゃないのか」

―― ダレ? ――

「カイン・リィだ。……さっき、きみの意識を受け取ったよ」

―― ネムラセテ… ――
―― サビ…… シイ…… ――
―― ツレテ イク…… ――

「誰を……?」

―― モウスグ…… ――
―― クル…… ――

「誰が?」
「あそこには人は近寄れませんよ」
バッカードが言ったが無視した。

―― ヨンダ、ノニ、ニゲル、カラ ――
―― イカ…… ナイデ…… オチタ…… ノ…… ――

「落ちた?」
カインは目を細めた。
「何が落ちたの?」

―― オコラ ナイデ ――

「怒らないよ ……何が落ちたの?」

―― ヒコウ テイ ――

ヒコウテイ? 飛行艇? 旅客機?
カインは呆然とした。

―― タス ケテヨ…… ――
―― モウ シナイ ゴメン ナサイ…… ――

ぷつりと画面が切れた。
「どうも動きが悪いな……」
そう言って伸ばしたバッカードの腕をカインは掴んだ。
「『人の島』に行く」
カインは言った。
「どうすれば行くことができる。教えろ」
「正気ですか?」
バッカードは呆れたようにカインの顔を見た。
「必要なものはこちらからでも全部ロボットだけで移送するんですよ。人が行ける場所じゃない」
「でも、昔は人が暮らしていた!」
カインは怒鳴った。
「あそこは今でも唯一ドームなしで歩ける場所だ。人が行けない場所じゃない」
「行ってどうするんです」
バッカードは言った。
「彼女のそばに行くのは危険だ。ひとりでも命を奪うことにまみれてるんですよ」
「だったら、終わらせればいい」
カインはバッカードを睨みつけた。
「もう、終わらせろ。彼女が永遠の眠りにつけば、奪われる命はない」
「私にどうしろっていうんです」
バッカードは泣き出しそうな顔になった。
「あんたができないんなら、ぼくが終わらせる。彼女の生命維持装置を切る」
「それこそ、あっちに行かなきゃできませんよ。こっちではロックされてて切れないんだ」
「『人の島』に行く手段を、教えてください」
カインは真正面からバッカードを見据えて言った。バッカードはしばらくその顔を見つめたあと悲しそうに顔を伏せた。
「北極圏に行くエアラインはいくつかありますが、島の85%が氷に覆われた『人の島』に着陸できるだけの性能を持った機を持っているのは軍しかないんです。あとはこちらの移送機だけだ。あれは人が乗って行くような設備はない」
カインは舌打ちをした。ふと、バッカードは何かを思い出したような顔をした。
「50年くらい前まではあそこにも人がいた。そのときの輸送をしていたのは『ファー・システム』という運送会社だけです。今も持っているかもしれないけれど、50年前の輸送機ですよ。使えるかどうかは分かったもんじゃない。」
『ファー・システム』? どこかで聞いた。
ジュディ……
「いっそ軍に頼んだらどうです。カンパニーの依頼なら引き受けてくれるでしょう」
(それができるなら苦労はしないよ。)カインは思った。
「生命維持装置の解除方法を教えろ」
「ミズ・リィに殺されちゃいますよ……」
バッカードは再び泣きだしそうな顔になった。
「その前にぼくが殺すぞ」
「もう……!!」
カインの銃を見てバッカードはとうとう顔を赤くして泣き出した。
そろそろ所長を交替したほうがいいよ。バッカード。
情けない彼の姿を見てカインは思った。