28-9 消える点

「ほら」
こわばった表情のまま暗い外を睨みつけているカインにユージーは片手に持ったミネラルウォーターのボトルと補給食のスティックビスケットの袋を差し出した。もう片方の手には自分のものを持っている。
カインはちらりと見て、いらない、と言おうとしたが結局黙って受け取った。
「あと二時間以上はかかるんだ。飲まず食わずじゃ体がもたないぞ」
ユージーはカインの横に座って言った。
腕につけたナビはコリュボスを離れると作動しなくなってしまった。いくらなんでも星間で読めるタイプではなかったらしい。
「星間艇が一機、コリュボスから強引に出発みたいだ。エアポートを経由せずに。裏の運び屋だな」
ユージーはミネラルウォーターのボトルに口をつけてひとくち飲んで言った。
「出発してるってことは、乗り込んだってことだ」
カインは無言で手に持ったボトルを睨みつけた。
「ノマドたちが運び屋と契約したことくらいはおれの耳に入ってたけど、とんでもねえよ」
ユージーの言葉にカインは彼に目を向けた。ユージーはその顔をちらりと見て少し肩をすくめた。
「おれも知らなかったけど、ノマドに手出し無用っていう規則が軍にはあるんだぜ。もちろん裏規則。ただ、対外的に完全見逃しっていうのは治安を守る以上難しいから、ある程度の許容範囲はつけてる。違法移動については時間規則がある」
ユージーは座席に身を沈めると前の座席の背を蹴った。座席が前に倒れたので、彼は足をそこに乗せた。
「プロジェクトの被害者…… そういう立場の人間なんだろうけど、あいつらの独自輸入も無許可だぞ。何が彼らにこんな自由を許す理由になるんだ? まあ…… 何となく分かるけどな。おれ、ノマドに一度行ったから」
カインは行儀悪く伸ばされたユージーの足を見るともなしに眺めた。
「あんな集団意識の強い場所、恐ろしくて二度と行く気はしない。ケイナの顔を見たとき、あいつがあっちの人間だと思った。それが恐ろしくてあいつの利き腕を掴んだまま離すことができなかった」
集団意識…… カインは目を横の窓に向けた。相変わらず真っ暗で何も見えない。
確かにノマドの結束力は生半可じゃない。たくさんの人間が集まれば集まるほど、それを統合するのはよほど統率力のある人間でなければ難しい。しかし、彼らは分岐しても意志の疎通ができる。同じ目的を共有して動くことができる。そんな彼らは自分たちの持つ他への脅威をはっきり認識していた。
「ノマドでのケイナの立場がよく分からないけど、あいつにはできる限りの情報を伝えて来た。頭のいいあいつならその情報を効果的に使う方法を考えるだろう」
それを聞いたカインの目が訝し気に細められた。
「情報?」
ユージーはカインに顔を向けずうなずいた。
「クレイ指揮官の居場所と、おれの個人機のキイナンバー、ホライズンのセキュリティホールと使えそうなウィルスの保存先。ウィルスなんざどうしようもないかもしれないけどな。 あいつが万が一運び屋の船に乗れていなくても、おれの専用機にうまく辿り着いて動かせれば通信機なんかは一式乗せてある。あいつならどうにかして地球に来るよ」
「ケイナがどうして乗っていないって思うんだ?」
「50人いたんだよ。森の中に。おまえも見ただろ」
ユージーは答えた。その言葉にカインは絶句した。
「ノマドの人間がケイナを助けに来れば情勢は変わっただろうが、そうでなければあいつひとりで50人を相手にするようなもんだ。運び屋の船の出発時間や停泊時間を逆算すりゃ、乗れたかどうかなんて神のみぞ知るだ」
「ノマドがケイナを見捨てるっていうのか?」
カインは思わず言った。そんな予見は全く出ていなかった。いや、待てよ。トリがいた。ノマドに行ってから予見らしき予見は何も見ていない。見えかけても…… 見えかけても全部トリが消していた……?
「地球に着けば、個人艇がコリュボスを出たかどうかだけは分かるよ」
ユージーはつぶやくように言った。
いったい何がどうなっているんだろう。ノマドはケイナの味方じゃなかったのか? アシュアやセレスはいったいどうなったんだ……
「食えよ」
ユージーは言った。
「次はいつ食えるか分からないぜ。着いたと同時に牢屋に放り込まれるかもしれないだろ?」
カインは気乗りのしない様子でビスケットの袋をあけた。
しっかりしなけりゃ…… みんな絶対助かってる。地球に来ている。それを信じないと。
細いビスケットを口に入れるとビタミン臭い甘い味がした。
地球に着いたら、とにかくホライズンでやってることをやめさせるんだ。
ホライズン…… 地平線…… 水平線か。なんでこんな名前をつけたのかな。
目の端に何かがひっかかったような気がしたが、 意識を凝らそうとするとすぐに消えてしまった。
それがトリが消した記憶であることも、カインには分からなかった。

 セレスは足の速いケイナのあとを必死になってついて歩いていたが、とうとうつまづいて転んだ。
「ケイナ、ちょっと待って。おれ、追いつけない」
「なんで、歩いてるときはそんなによく転ぶんだよ……」
ケイナは少し呆れたように言うと、戻ってきてセレスの腕を掴んで立ち上がらせた。
「知らない。アシュアにも言われた。遅いって」
セレスは手のひらを見た。草で切ったのか、赤い筋がいくつもついている。その手をケイナは握った。
「あともう少しだから」
ちょっとびっくりした。手を繋いで歩いてくれるっていうの? ケイナが?
ケイナは前に顔を向けるとさっきと同じように歩を進め始めた。
自分よりもずっと大きなケイナの手。ほっそりとしたカインの手や、やたらと大きくいかつかったアシュアの手とも違うケイナの手。
でも、男の人の手だ。手首の太さが全然違う……。
少し前は自分のこの細い手足が嫌いだった。少しでも男らしくなるようにと願った。
今はもうそんなことはどうでもよくなっている。動けばそれでいい。しかし、まるで小さな子供か、弟の手をひいてやるかのようなケイナの手が妙に切なかった。なぜ、せつないと思うのか、よくわからない……
そんなセレスには全く頓着せず、ケイナは黙々と半ばセレスを引きずるようにして歩き、しばらくして森の入り口に辿り着いて立ち止まった。
「どうするかな……」
ケイナはつぶやいた。彼の視線の先を追って、たくさんのプラニカが乗り捨ててあるのをセレスは見た。4人乗用のものではなく、もっと大きなタイプのものだ。たぶん、あの兵士達はこれに乗って来たのだろう。
残っていて風向きが危うくなったのを察して慌てて逃げ帰った兵士もいただろうが、これだけのプラニカに乗って来た人間がもう二度と乗って帰ることはないのだと思うとやりきれない思いが押し寄せる。
おれたちきっとどこかで罰を受けるんじゃないだろうか。
あの兵士たちが殺されなきゃならなかった理由なんてどこにもないじゃないか……。
ケイナが一台のプラニカに近づいていったので、セレスははっとして彼に目を移した。彼はプラニカのドアを持ち上げて中を覗き込んだ。
「……乗るの?」
運転席に入り込むケイナを見てセレスは言ったが、ケイナは肩をすくめた。
「おれ、運転できない」
「そうだったの?」
セレスは目を丸くした。でも、そう言われればケイナがプラニカを運転したことは一度もない。
「エアバイクより距離が稼げる乗り物の免許は一切とらせてもらえなかった」
ケイナはそこいらの計器をいじくりながら言った。
「逃亡防止。たぶん、18歳より前にラインを卒業してても、航空訓練は受けられなかっただろうな」
「…………」
セレスは目を伏せたが、次の瞬間、エンジンがかかったのでぎょっとして目をあげた。
「それでも、乗る度胸ある?」
ケイナがかすかに疑念を浮かべた目を自分に向けたので、セレスはうなずいた。そしてすばやくケイナの横に身を滑り込ませた。
大丈夫。ケイナは運転したことがなくても運転できる。そういう人だ。
「どこに行くの?」
眼下になっていく地面を窓から見ながらセレスが尋ねた。
「エアポート」
ケイナは素っ気無く答えた。
「ユージーが個人艇の場所とアクセスナンバーを置いていった」
「でも、操縦できないんじゃ……」
セレスは言ったが、ケイナはそれには答えなかった。代わりにちらりと後部座席に目をやった。
「うしろに何があるか確かめて」
セレスは座席を乗り越えて後部座席に体を移した。なんだかいろんなものがいっぱいあるが、暗いのでよく分からない。いきなり前から何かが放り投げられてゴツリと頭に当たった。
「いたっ……」
拾い上げて見ると、筒の形をしたハンドライトだった。前の座席にあったものをケイナが放ってよこしたのだろう。
「投げんなよ、もう……」
小声で抗議しながらセレスはライトをつけてあたりを探った。
「何がある?」
ケイナの声を聞きながら、セレスは薄汚れた誰かの上着を見て顔をしかめた。
「固形食がひと箱……飲みかけのミネラルウォーターのボトル……」
セレスはつぶやいた。
「これ、なんだろう……」
小さな黒いケースを見つけて、セレスは目を細めた。蓋を開けてみると小さなランプと、ボタン、わずか数センチ四方の画面があった。
「変なもんいじくるなよ。爆弾だったら怖い」
「ひあっ……!」
ケイナの言葉にセレスは慌ててケースを閉じた。
爆弾だ、これ。こんなものまであいつら持って来てたんだ。
「通信機はない?」
セレスは当たりを見回して、細長い銀色のケースを見つけた。
「これかな……」
座席の後ろから差し出すと、ケイナは受け取ってケースを開いた。
「さっきの爆弾らしきものも別にしといて」
「使うの?」
セレスは驚いてケイナを見たが、ケイナは何も言わなかった。
彼が何を考えてるか分からない。でも、彼の頭の中ではめまぐるしくいろんな計画が動いているのかもしれない。
いいよ。ケイナと一緒だったら。爆弾使ったって。
セレスは黒いケースを取り上げた。
しばらくしてエアポートの明かりが見えてきたとき、ケイナはかなり手前でプラニカをおろした。あまり近づき過ぎると警備網にひっかかるからだ。
プラニカから降りてエアポートのほうに目を凝らすケイナをセレスは無言で見つめた。
彼はすぐに振り返ると座席を覗き込み、小型爆弾のケースをとりあげた。そして再びエアポートを振り向いた。
「賭けだな……」
「何をするの?」
ケイナは黒いケースを開いてから、さっきセレスから渡された銀色のケースのほうも開いた。
「ユージーが教えてくれたナンバーで遠隔操作できるんだ。個人艇が」
ケイナは言った。
「ケイナ、操縦できないんじゃ……」
「そんなことはユージーだって知ってるよ」
ケイナはじろりとセレスを見て言った。
「たぶん、全部コンピューター制御でプログラムしてあるんだ。居場所を知らせてこっちに飛ばせるためのキイナンバーだと思う」
セレスは不安を感じつつケイナを見つめた。ケイナの緊張感が伝わって来る。
何かやるつもりだ。
「これでうまく指示が届いたら、あそこの格納庫を破って強引にこっちに飛んで来る」
銀色のケースを持ち上げて言うケイナをセレスは目を丸くして見た。
彼の脇からエアポートに目を向けると、黒く並んでいる建物が見えた。あの中のひとつにあるのだろうか。
「でも、そんなことしたら…… 警備の自動発射の弾にねらい撃ちされるよ。おれ、兄さんからそういうの聞いたことあるんだ」
「知ってる」
ケイナは答えた。
「ユージーの個人艇がどんなものかおれは知らないし、どれくらいの装備があるのかも知らない。ただ、飛んで来る警備の弾はエンジンの動力波に反応して追尾して来る。プラニカを爆破してそっちの衝撃のほうを弾がうまく感知すれば、個人艇をそれてプラニカのほうに来る。二回目の発射は一回目の爆破のあと一分後。最初のやつが目的を達しなかったと察したら飛んで来る」
「…………」
セレスの緑色の目がさらに大きく見開かれた。怖い…… それって……
「もし、成功して一発目がプラニカに来たとして、個人艇に乗り込む時間は40秒しかない。40秒後にはもう飛び立っていないと…… こっちから二発目を撃ち落とせない」
「ユージーの船に迎撃用の装備がなかったら?」
セレスは震える声で言った。
「そのときはアウト」
ケイナの返事にセレスは困惑したようにかぶりを振った。どう答えればいいのか分からなかった。
「飛んで来たら分かる。見てその時点で迎撃装備がなかったら、この計画は諦めるしかない」
ケイナはため息をついてエアポートを振り返った。明かりこそついているが、今はもう離発着のある時間ではない。人気もなく静まり返っていた。
「ユージーのことだから全部読んでこういう情報を流してるんだろうとは思う。だけどほとんど勘と運だ。それと…… これが一番早く地球に行く方法。あっちに着けば着いたで、またいろいろあるだろうけど」
「いいよ…… やろう。コリュボスにいたってどうしようもないし。それに、海、見なきゃ」
セレスはケイナの顔を見て言った。ケイナは手を伸ばすとセレスの頭をくしゃっと撫でた。
「じゃあ、こいつをセットして」
ケイナが黒いケースを持ち上げたので、セレスは再び後悔した。おれが爆弾担当なの……
「大丈夫。スイッチ押すところまでおれがやっとくから」
ケイナは手早く蓋を開くと指を走らせ、セレスに差し出した。
「おれが合図したら、ここのスイッチを押して、座席に残しておれとプラニカのちょうど中間地点まで走って来い。おれも個人艇を呼んだらすぐ行くから。爆破は2分後だ」
怖い、と言う前にケイナはプラニカから離れていった。セレスは自分の手に残された黒いケースを見た。小さな画面に2:00の文字。横に点滅する赤いランプがついている。スイッチはそれだ。
ケイナに目を向けると、彼はプラニカからすでに50m以上は離れていた。
セレスは暗がりの中で身をかがめるケイナを見た。手が震える。緊張のあまり息もうまくできない。
しばらくしてケイナが振り向いた。
「セレス!」
反射的にセレスはスイッチを押し、ケースを座席に放り出すとプラニカから飛び出した。走り出した途端に、エアポートのほうからものすごい音が聞こえた。
ケイナの言ったところまで走ってくると、ケイナも一緒に草の上に滑り込んでセレスの腕を掴んだ。
エアポートに目を向けると小さな黒い機体がすでに飛び上がっているところだった。後ろから火と煙があがっている。
本当に格納庫の扉を破って飛び立ってきた。信じられない……
ケイナは飛んで来るユージーの個人艇に目を凝らせた。迎撃装備は…… ある。警備の攻撃がまだ来ない。プラニカの爆破のほうが早かったらもうアウトだ。
なぜ来ない。そう思った矢先、個人艇を追って飛んで来る白く光る線を見た。
光の尾を引きながら、個人艇のあとに弧を描いてついてくる。
「ケイナ」
セレスの震える声を聞きながら、ケイナは必死になって判断をしようとしていた。
プラニカと個人艇が着陸するちょうど中間地点。弾はどっちに来るだろう。
プラニカだと分かった時点で個人艇のほうに走り出していないと間に合わない。
だけどもし判断を間違えていたら? 個人艇の着陸が遅れたら?
みるみる近づいて来る個人艇と白い光をケイナは睨みつけた。背後で爆音が響き、セレスは思わず目を閉じて肩をすくめた。
……プラニカが爆破された。弾はどっち! セレスは目の前の黒い機影とその後ろの白い光を見た。