28-8 消える点

「ケイナ!!」
セレスは叫んだ。ケイナと別れてから30分くらいしかたっていない。それなのに嘘のように森から人の気配がなくなっていた。
「ケイナ!」
どうしてこんなに静かなんだろう。ケイナはどこにいるんだろう。
足元に何かがひっかかって転びそうになり、目を向けたとたんぎょっとした。人の腕……
思わずうめいて反らせた背に後ろの木が当たり、それに驚いて振り返ると幹にべっとりとついた血しぶきが目に入った。
そして気づいた。あっちこっちが暗がりの中でも分かるほど赤く染まっている。まるでペンキをぶちまけたみたいに……
足が震えた。血なまぐさい。吐き気をもよおすほど血の匂いがする。
ケイナ、どこ…… セレスは歯をくいしばって歩を進めた。そして彼の姿を見つけた。
ケイナは剣の柄を手に木の幹にもたれかかってぼんやりと立っていた。
「ケイナ!!」
叫んで走り寄っても、ケイナは顔もあげなかった。
「ケイナ。怪我……」
彼の顔を覗き込んでセレスはどきりとした。ケイナの目は虚空を見つめて生気をなくしていた。
「どうして…… 銃じゃなくて…… 剣で…… 戦ったの?」
セレスの言葉にケイナは力なくうなずいた。
「動き…… やすかったから……」
憎しみと怒り。ケイナは自分の手で確実に相手を倒しているという手ごたえを感じたかったのだろうか。それにしても、むごすぎる。叫びだしたくなるような惨状が広がっていた。
「アシュア…… は……?」
絶望とも悲しみともつかない目を向けるケイナに、セレスは戸惑いながらも小さくうなずいてみせた。
「ちゃんと運んだよ…… 今頃手当て受けてる。途中で出血も止まったんだ。一瞬意識も回復したんだよ……」
ケイナの顔が歪んだ。彼は剣の柄を持ったまま両手で自分の額を押さえた。
「ちくしょう……」
ケイナは呻いた。
「トリ…… いったいどこまで見えてたんだ……!」
トリがどうしたっていうんだ……? セレスはケイナを見つめた。
「どうして、こんなことができるんだ…… なんでこんな残酷なことが……」
「ケイナ、ここから離れよう」
セレスはケイナの腕を掴んだが、ケイナの怒りに燃えた目を向けられてぎくりとした。
あっという間に彼の右手で首を掴まれ、仰向けに倒れた。背骨に激しい衝撃が伝わる。
ケイナはセレスの首を掴んだまま、左手の剣を構えてセレスに馬乗りになっていた。
「さぞかし面白かっただろうな。全部…… 全部トリの筋書き通りだ。トリは分かってたんだ…… あいつはおれが正気を無くすことをあえて選んだ。カインはカンパニーに発ち、おれたちはここに残った。あいつはいったいどこまで見通していた? ここから先も、終わりもみんな知ってる」
首を掴むケイナの手を両手で掴み返しながら、セレスはケイナを見つめた。
恐ろしいほどの殺気が伝わってくる。
そのとき、頭上からの低い唸りがふたりの体に伝わった。
ノマドたちを乗せる船。もう、戻っても間に合わない。ケイナの頬がかすかに歪んだ。
「トリはおれたちを裏切った。あいつが欲しかったのは何だったんだろうな。自分の血筋 ……自分の遺伝子だけだったんじゃねえのかよ」
「何言ってんだよ」
ケイナの手の力は強い。いつも思う。彼の指が首に食い込む痛みに顔をしかめながらセレスは言った。
「裏切るなんて、しないよ。トリはしないよ…… おれたちにお守りくれたじゃないか……」
「あんなもん、お守りじゃねえよ……」
ケイナは吐き出すように答えた。
「全部、あれで動かされてたんだ…… おまえの動きがおれに分からないのも、おまえが混乱したのも、全部……」
ケイナは言葉を切って息を吐いた。
「リアが生む子供の父親を殺さないための操作だよ!」
苛立たし気に叫ぶケイナの指にさらに力がこもる。セレスは顔をしかめた。
違うよ ……必死になって思った。
トリは操作なんかしてない ……トリはきっとアシュアを助けてくれたんだ…… アシュアはきっと助かるよ……
「コミュニティに戻ろ、ケイナ……」
締めつけられる痛みに顔をしかめながらセレスは言ったが、ケイナはかぶりを振った。
「もう…… あそこには誰もいねえよ……」
「そんな……」
低い唸りが聞こえる。船の音。
カインも…… アシュアもいなくなってしまった。
トリとリアも…… リンクも…… クレス、タク、子供たち…… 何のために、何をしていたんだろう。
逆らいがたい狂気がケイナの胸に沸き起こっていた。
分かってるよ、トリ。これが一番いい方法なんだろ。
このままふたりでここで死んでしまえば、もう誰も傷つくことはないじゃないか。
おれだったら、セレスに一瞬の苦しみも与えずに逝かせることはできるよ。自分が死ぬのはもっと簡単。
セレスはケイナが剣を振り上げるのを見た。
ケイナは…… おれを殺す気だ。どっと汗が吹き出て呼吸が荒くなった。
セレスのパニック状態と裏腹に、ケイナの顔は冷静そのものだ。かすかに笑みさえ浮かべているように思える。
やだよ、ケイナ。あんたと戦うのなんか厭だ。
そう思いながら、セレスは反射的に自分の剣を引き抜いていた。
思わず閉じた目を開けたとき、セレスは我が目を疑い、かすれた悲鳴が口から漏れた。
振り上げられたケイナの剣は空中でそのまま止まっていた。
「なんで…… よけないんだよ……」
ほんの一部のケイナの正気は、セレスに殺されることを願っていた。
斜めに彼の首をかききろうとしていたセレスの剣がもっと動いていたら、ケイナはあっけなく死んでいただろう。
手を止めたのはケイナではなく、セレス自身の正気だったのかもしれない。
セレスは震えながらケイナから剣を外した。
ケイナはセレスの首から手を離すと、そのまま彼の頬に手を滑らせ、冷えた自分の顔を彼の頬に押しつけた。
こんな極限状態で狂おしい欲求が沸き起こる。
生の渇望…… 死ぬことへの狂気。遺伝子が命令する、相反するふたつの感情。
この緑色の目、両方の感情で無茶苦茶にしてやりたくなる。
「今度戻らなかったら、殺して。頼むよ……」
耳もとのケイナの声にセレスは激しく首を振った。
「厭だ。もう、二度とケイナに剣は向けない。絶対にいやだ!」
ケイナの細い金色の髪だけが見える。首筋にかかる彼の温かい吐息がたまらなく悲しかった。涙がこぼれてこめかみを伝っていった。
「ケイナ、地球に…… 行こう ……まだ、海を見てない……」
嗚咽をこらえながらかすれた声で言ったが、ケイナは何も言わなかった。何も言わない代わりに、自分の頬に触れた冷えきった彼の指がかすかに体温を帯びたことをセレスは感じた。
おれたちまだ生きてる。
生きてたらできることがある。死んじゃうのはそれからでもいい。
ケイナが顔をあげたとき、ほんの刹那彼のくちびるがセレスの口元をかすめたが、ケイナはそのまま身を起こし、セレスに手を差し出した。
彼の手をとって立ち上がりながら、セレスは涙をぬぐった。
きっと帰る場所があるよ……
ふたりとも頭の隅でそう思った。