28-1 消える点

 治療を開始して三週間後、リンクはケイナの片耳のピアスを外した。
右側のピアスは残したままだ。
「脳波やスキャンにはとりあえず悪い徴候は見られないから、このままいけば来週にはもう片方もとれると思うよ。簡易なスキャンだから確実というわけではないけどね」
リンクの言葉にケイナはうなずいた。
「頭痛や手足のしびれはない? 視力が落ちるとか」
「ないよ」
不安そうに尋ねるリンクにケイナは笑みを見せた。それを見たリンクは少し驚いたように彼の顔をまじまじと見た。
「なんか…… 感じが変わった…… かな……?」
「え?」
ケイナは目を細めてリンクを見た。リンクはピアスを手のひらで転がした。
「いや、笑った顔がね。いい顔で笑ったよ、いま。こいつのせいかな。両方外すともっとハンサムになるかな」
ケイナはそれを聞くとしらけたような視線をリンクに投げかけてテントの外に出ていってしまった。
ケイナは顔のことで何かリアクションされることを神経質なくらい嫌う。相当疎ましく思うようだった。
美しい顔をしているのに彼の視線はいつも冷たく相手の頭の中をえぐるようで、笑うときは可笑しくて笑うというよりも人を皮肉ったような笑みを浮かべる場合がほとんどだ。
そもそもケイナは表情が乏しい。相当機嫌が悪いとかよほど痛みがあって顔をしかめているときくらいは分かるが、それ以外では彼の表情で気持ちを察することは難しい。彼が意識してそういうふうにしているのではないということはリンクも分かっていたからあまり気にしないようにしていたが、ごく普通に当たり前の感情でケイナが笑うとこんなにも目を奪うものかと少し驚いたのは事実だった。
リンクはため息をつきピアスをガラスケースに放り込んだ。
こいつはもう用なしだ。そうなってくれなければ困る。
ケイナ、ごめんな。辛かったろうな。
リンクはカランと音をたてて小さく光るピアスを見つめた。
 ケイナがテントの外に出てみると、目に入ったのはちょっと信じられない光景だった。
カインが子供たちの中に座り込んでうつむいて一生懸命何かを作っている。
近づいてみると木組みの動物だった。
「ケイナ」
カインの横にいたセレスが顔をあげてケイナを見た。
「カイン、すごいよ。おれよりすごく上手に作るんだ」
「こら、重いって」
カインは顔をあげずに背中から抱きついてよじのぼってこようとする子供に言った。
ケイナは顔を巡らせるとテントの脇でリアが何やら一生懸命アシュアに話しかけているのを見た。アシュアの表情は見るからに興味がなさそうで大きな欠伸をしている。それを見たリアがむっとしてアシュアに手を振り上げるのを視界の端にとらえながら再び子供たちの中にいるカインに目を戻した。
「おまえにこんな特技があったなんて、驚き」
ケイナは身をかがめて言った。
「手先は器用だよ。キイボードたたくだけが能じゃない」
カインは顔もあげずに答えた。確かに長く形のいいカインの指は器用そうだ。この手がトウ・リィのしずくのような爪を持つ手とよく似ていることをケイナもセレスも知らない。
「はい」
しばらくしてカインは木片を組み合わせた小さな馬をそばにいた子供の手に乗せてやった。それを見たほかの子たちがわれもわれもと手を差し出すのを見てカインは悲鳴をあげた。
「もう、だめ。今からまたデータ見なきゃならないんだ!」
セレスがくすくす笑って子供たちをうながし、やっと彼らはセレスに連れられて離れていった。
「ちょっと外に出るとこれなんだ。少しでも相手しないと離れない。下手すりゃテントの中までついてきそうで」
カインは座り込んだままため息をついて言ったが、まんざらいやというわけでもなさそうだ。
「ピアス、外した?」
ケイナを見てカインは目を細めた。
「うん…… 右はまだしばらくつけてる」
「そうか」
カインは顔をそらせると子供たちとセレスが駆け回っている姿に目を向けた。
「セレスは…… 強いな。なにがあっても絶対立ち直る…… まるで命の期限をつけれられていることも忘れているみたいだ」
「自分じゃ何もできないからだろ」
ケイナがそう言ったのでカインは再びケイナに目を向けた。
地面に座って立てた膝に肘をついて頬杖をついている。こういう何気ない仕種が人目を惹くことをケイナは分かっていない。カインは少しまぶしそうに視線をそらせた。
「自分でデータ見れるんならそうしてる。鬱々とした顔見せたって周りがうっとうしいだけだって分かってるんだ」
「そうだな……」
カインは答えた。冷たい返事に少しセレスが可哀想な気もした。一番気を使ってるのはおまえにだろ、と言いたかったがそれは口にしなかった。
「トリが明日にでも話そうって言ってた。2週間後にコリュボスを発つと言ってる。セレスのデータ、ぼくが見つけられなかったら引き続いて頼むよ」
カインの言葉にケイナは無言で目を伏せた。嫌でも時間は過ぎて行く。
別れの時間は近づいて来る。
「ラインに残してきたブレスレットがあれば良かったんだけど…… 取りに行くことはできないし、セレスの所持品が今もあるかどうか分からない。地球に戻って何とかぼくも調べてみる」
ケイナはかすかにうなずいた。
前にセレスのアパートで一緒にネックレスとブレスレットを見た。
予感がして自分は身につけた。セレスにどうして同じようにしろと言えなかったんだろう。
いまさら悔やんでもしようがない。
あのときはまだ自分の身のことしか考えられなかった。
カインがテントに戻ろうとして立ち上がりかけたとき、ふいに子供の大きな泣き声がした。
なにごとかと顔をあげるとすさまじい形相で女の子が泣きながらこっちに歩いて来るところだった。
てっきりここに来ると思って再び腰をおろしたカインは彼女が自分の前を通り過ぎてまっすぐにケイナのところに歩いていったので少しびっくりした。
「なに?」
ケイナは自分の足の間に立って真正面から大口をあけてわんわん泣く女の子を見た。
泣き声が大きい。甲高くて耳をふさぎたくなるほどだったがケイナは冷たいともいえる表情で彼女の顔を見つめている。
目からも鼻からも水を垂らしまくっている顔はどうひいき目に見ても汚い。
ケイナが女の子越しにちらりと目だけをセレスたちのほうに向けたのでカインもその視線を追った。セレスがクレスに何か言っている。おおかたケンカでもしたのだろう。
そのまま目をアシュアとリアに向けるとふたりは黙ってこっちを見ていた。ケイナの前に来た女の子を彼がどう扱うのか観察するらしい。
どうも女の子はリアのほうに行くつもりだったようだ。 そこに行く直線上にケイナがいたためにてっとり早く彼にすがったと思ったほうが良さそうだ。
「泣いてちゃ、わかんねえ」
冷たく言い放つケイナに、子供に対してくらいもう少しまともに話をしろよ、とカインは心の中でつぶやいた。
「クレスが、すな、かけた!」
女の子は途切れ途切れにそう言うと、再び大声をあげた。
「きったねぇ……」
ケイナは鼻水を垂らしている彼女の顔を見てそうつぶやいて少し顔をしかめたが、次に彼がやったことはカインの度胆を抜いた。
「そういうときはこう言ってやれ」
ケイナは中指を女の子の前に突き立てた。
「『ぶっ殺されてえか、てめえ』」
「ばっ……!」
ばかなことを教えるな、とカインは思わず叫びかけたが、女の子の泣き声がぱたりと止んだので目を細めた。
しかし泣き止んだのは一瞬で、彼女は再び甲高い声をあげた。
「やーだ!! リアにおこられるう!」
ケイナはかすかに口をゆがめて笑った。
「じゃ、なんて言うんだよ」
女の子は服の袖でぐいと顔を拭った。鼻水が頬に伸びた。 顔の真ん前でそれを見せつけられるケイナはたまったものではないだろう。
「なかよくしよって、いう」
「そう言えば?」
彼女が動かないのでケイナは手を伸ばすとくしゃくしゃになった彼女の黒髪から砂をはらい、自分の手の平で鼻水まみれの彼女の顔を拭った。
それを見てカインは仰天した。鼻水まみれの子供の顔を素手で拭うなんて、自分はできない。とんでもない。
「行け、ほら」
ケイナが軽く女の子の肩を押すと彼女はくるりと背を向けると再び子供たちのほうへ走っていった。
「子供の扱いが…… うわっ!」
うまいな、と言いかけて、カインは目の前に突き出されたケイナの手に思わず顔をのけぞらせた。
ケイナが声をたてて笑った。
「『ぶっ殺されてえか、てめえ』って感じ?」
ケイナはそう言うと立ち上がり、こともなげに自分のズボンで手を拭って再び声をあげて笑った。
「ふざけんなよ……」
憤慨しつつカインはふと気づいて思わずケイナを見上げた。ケイナが声をたてて笑ってる……?
「データ、やっつけようぜ」
ケイナはカインを一瞥すると背を向けた。カインはその姿を呆然として見た。
ちらりと見せた笑顔が信じられないほど無邪気だった。
アシュアとリアに目を向けると、そばを歩いていくケイナをふたりとも口をあんぐりと開けて見送っていた。