27-5 ミント・キス

『ああ、うっとうしい……!』
カインは頭を振った。
毎日データを睨みつけていると伸びた前髪が気になってしようがなかった。
後ろの髪はもう肩に届いている。アシュアのように結んでしまいたくてもふぞろいの髪はあちらこちらから飛び出してひとつにはまとめられなかった。
「カイン、クレスのお母さんに切ってもらったら」
頭をがしがしこすっているカインを見てクレスの手を引いたセレスが言った。
輸血後少し元気がなかったがもう今は以前と変わりがない。
彼のいいところは、落ち込んでも迷ってもどこかで必ず立ち直ることだ。これだけ立ち直りの早い人間にカインは出会ったことがない。
「おれ、一度切ってもらったよ」
そう言うセレスの髪はすでに肩を越している。
長い髪は彼のもともとの線の細さも手伝ってひどく中性的な雰囲気を作っていた。少年とも少女ともつかない危うい感じだ。
15歳という年齢はとっくに声変わりを終えていたが、男性の声にしてもセレスの声はだいぶん高い。いかにも少年らしい少しぶっきらぼうな話し方をしなければ全く知らない人間はセレスが男なのか女なのかで迷うに違いない。慣れているカインですらも、大きな目で見上げられるとその奥に潜んだ『女性』の部分を感じてぎょっとすることがある。
「ママ、呼んでくるねー…!」
クレスが無邪気にそう言って駆け出した。
「いや、ちょっと……!」
カインが言ったときにはすでにクレスの姿はテントに消えていた。セレスはくすくす笑った。
「クレスのママ、上手だよ。おれ、伸びるの速いからほったらかしてるけど」
カインは観念してテント脇に座り込んだ。
夕方、テントに入って来たカインを見てアシュアが口笛を吹いた。
「久しぶりに『カイン』を見たような気がするぜ!」
クレスの母親はまるでカインの心を読んだように彼の髪を短く切り、赤くなってしまった髪を染め粉で元の黒い髪に戻してくれた。
ケイナはカインの顔をちらりと見たきり何も言わなかった。
お帰りカイン。おまえの顔が見れてサイコウ。
そんな嬉しい言葉を口にしてくれたのが夢の中のできごとのようだ。
「明日、子供たちが森へ行くんだそうだ。ケイナのリハビリとおまえの気分転換を兼ねて午前中はふたりに護衛して欲しいってさ。トリが」
アシュアの言葉にカインは目を細めた。
「森?」
「ときどき、子供たちにハーブの種類や森の植物の勉強をさせに連れてくみたいなんだ。午後はおれとセレスが代わるから」
「…………」
カインは訝しそうにケイナを見た。ケイナは何か本を読んでいて顔をあげない。
「おまえもちょっと休め。そのほうがいいよ」
アシュアは言った。気乗りがしなかったがカインはしかたなくうなずいた。

翌日、カインはリアの剣をアシュアから手渡されて面喰らったような顔をした。
「剣なんて…… 持つの数年ぶりじゃないかな……」
カインはぎごちなく鞘をつけた。
ケイナはアシュアがリアに手ほどきをしていたときの剣を受け取った。
さすがにあの柄だけの剣はリンクも持たせることをためらったのだ。
「使うときになりゃ、すぐ勘を取り戻すさ。まあ、そんなこたぁないってトリは言ってた」
アシュアは言った。確かにこれを振るうような気配があったら、トリはふたりどころか、子供たちも森に行かせはしないだろう。
女性がひとり子供たちを引き連れて行く後ろについてふたりはコミュニティをあとにした。
10分ほど歩いて草地に出るとここでしばらく子供たちを遊ばせるからと女性が言ったのでカインとケイナは少し離れて木の根元に腰をおろした。
何人いるだろう。15人くらい? 18人? ちょろちょろ動き回るから数えられない。どの子も6歳にも満たないような子ばかりだ。なかにはよちよち歩きの子もいる。
こんな子を森になんか連れて来ていいんだろうかとカインは子供たちを見てふと不安になった。
「ノマドの子は逞しいよ。転んだくらいじゃ泣かないし。ケンカはするけど」
カインの心を読んだように、ケイナが言った。目を向けると退屈そうに草をちぎって弄んでいる。
「体調はどう?」
カインが尋ねると、ケイナは肩をすくめた。
「別に。どうってことない」
耳についたピアスがなければもう少し愛想のいいことを言うのだろうが、これが聞き慣れたケイナの返事だった。
「セレスのデータの分析がなかなか進まないんだ……」
カインは子供たちに目を向けて言った。
「見張り役のウィルスの情報が出て来ない。どこかに隠されているのかとひとつひとつ見ていくんだけど、数が膨大過ぎて……」
「戻ったらおれも手伝うよ」
ケイナは答えた。
「おまえ、少し休んだほうがいいよ。ずっと緊張しっぱなしだろ。ノマドの生活にも慣れてないだろうし」
子供がひとり駆け寄って来た。まだ3歳くらいの男の子だ。彼はカインのそばによると、その足の間にちょこんと座った。
「慣れるとかどうとかいうより、焦ってる気持ちのほうが大きいかもしれないな……」
無意識のうちに男の子の脇に手を差し込んで、自分の膝の上に座らせ直していることにカインは自分で気づいていなかった。
「セレスの場合、Rt9でなくても治療は可能だけれど、とにかく見張りの干渉ウィルスが特定できないとどうしようもない。リンクはとりあえずセレスの性別を女性に特定させる治療だけをしようかって言うんだけど、それも見張りウィルスがどう出るか、やってみないと分からないんだ。ただ、その前にセレスの気持ちの問題もあるし……」
カインはふと口をつぐんだ。ケイナの顔に今にも吹き出しそうな笑みが浮んでいたからだ。
「なに?」
カインは訝し気に目を細めた。ケイナは無言でカインの膝の上を指差した。それでやっとカインは気づいた。いったいいつの間に……
「おい、あっち行って来い」
カインは男の子の頭に手を置くと、その顔を覗き込むようにして言った。
「にいちゃといる」
あどけない声で男の子は即答した。ケイナはくすくす笑い出した。
へえ…… ピアスがついていてもこれくらい笑えるのか……
頭の片隅でそう思いながら、カインは男の子を立たせた。
「ちゃんとみんなと遊んで来い!」
お尻を軽く叩くと、男の子はそのままほかの子たちのところへ危なっかしく走って行った。
「おまえが子供にモテるとは思わなかった」
「ぼくも」
ケイナの言葉にカインは子供たちを見つめて答えた。
「子供に触ったことなんか、ここに来て初めてなんじゃないかな。 ……かわいいな」
子供らしい甘い匂い。柔らかい髪や手。確かにそんなものに触れた機会はこれまでなかった。触れてかわいいと思える自分も初めて知ったことだった。
「あの子たちも大きくなったら自分のルーツを知るのかな」
「その頃には自分のルーツなんでどうでもよくなってるよ」
カインが目を向けるとケイナは木の幹にもたれかかって笑みを浮かべてカインを見つめ返した。
「カイン・リィがそういう世の中にしてくれる」
カインは思わず目をそらせた。そんな重いことを言わないでくれ、ケイナ。
きみに言われるのが一番重い。
ケイナは黙り込むカインの横顔をちらりと見て目をそらせた。

 子供たちがお弁当を広げ始めたので、ケイナとカインは時間潰しに木立の間に入っていった。
もうすぐアシュアとセレスが来るだろう。
森の空気は心地良かった。光も匂いも心地いい。カインはこんなに大きく息をしたのは久しぶりのような気がした。
「ほら」
ケイナがいきなり何かを投げてよこした。カインが空中で掴んで手の平を広げてみると小さな紫色の実だった。
「なに、これ」
「食べてみな」
その言葉に戸惑った。見たこともない植物の実を食べてみろと言われても普通警戒する。
「訓練のとき、ハーブを食べるってのはやらなかったのかよ」
ケイナは笑った。
「ミントの変種だよ。実も使うんだ。コリュボスの土壌は汚染されてないから、生で食べても死なねえよ」
カインはためらったのち、口に入れてすぐに吐き出した。甘みはあったが、かなり強烈なミントの刺激が口一杯に広がったからだ。息がつまりそうなほど鼻がツンとして咳き込むカインを見て、ケイナはさらに笑った。
「ちょっとお子さまには無理だったかも」
「ふざけんな」
カインは潤みかけた目をこすってケイナを睨みつけた。ひりひりするのを通り越して突き刺すように咽が痛い。
「ひとりで戻るのは許さないからな」
「……は?」
ふいのケイナの言葉にカインは目を細めた。
ちくしょう、あんなもん食べさせやがって、目が痛い。
「おまえは自分ひとりでトウ・リィに会おうとしているだろう」
ケイナは言った。
「ひとりで行くのは許さない。おまえひとりでなんか行かせない。行くときはおれも一緒だ」
「なに、言って……」
カインは咳き込んだ。
「一ヶ月たったら、トリは地球に戻ると言ってる。おれたちを地球のノマドに送ったら、おまえはひとりで何とかしようと思っているだろう?」
カインはケイナから目をそらせた。
何か言いたくても舌がミントの刺激で自分のものじゃないように感じる。
それでも無理にカインは口を開いた。
「き、きみがリィに乗り込めるわけが…… ないだろう ……わざわざ相手の懐に…… と、飛び込むようなもんだ」
言い終わったとたんに咳き込んだ。ミントはだいたい苦手かもしれない。
「それをしなきゃ、何ができるっていうんだよ」
ケイナは言い募った。しかし、カインも負けてはいなかった。
「きみにも、セレスにも…… そんなことさせられるわけがないじゃないか ……トウに会うならぼくしか…… あり得ない」
「トウ・リィはおまえの言うことなら聞くのかよ」
カインは腹が立ってきた。こっちの気も知らないで……!
手の甲で目をこすり、いい加減にしろと怒鳴りつけようとして顔をあげたとき、ケイナの顔に浮かんだ表情にカインは口をつぐまざるをえなかった。
なんで…… なんでそんな悲しい顔をする……