27-4 ミント・キス

 一週間後、ジュナは自らの足で直接森の入り口までやって来た。
今回もカインはアシュアとともに彼を出迎えた。
セレスの輸血が終わり、ケイナは昨日から少しずつ睡眠剤の投与を減らしている。
ピアスは以前のものではなくもっと抑制機能を押さえたものを両耳につけることになった。
全部を押し込めてまた耳を切られてはたまらないというのと、ある程度外部から反応を見ることができる状態でなければ経過が分からないというのが理由だった。
「戻って来たときにはケイナは完全に目覚めてるよ」
リンクはそう言ってふたりを送りだした。出るときにそばにいたトリをカインはちらりと見たが、トリは一瞬目を合わせたあと目をそらせて何も言わなかった。
トリと一緒に何かを見たような気がする。なんだっただろう……
カインは問いたい気持ちを押さえつつコミュニティをあとにした。
「ベクターだ。すでに遺伝子の指示を与えてある」
ジュナはふたりの前に平たい銀色のケースを開いてみせた。細いガラス管がずらりと並んでいる。
ジュナは前のような白衣ではなく、ごく普通の普段着に顔を隠すように帽子を目深に被っていた。
「ちょうど、ぼくの患者で遺伝子治療が必要な子供がいた。その子の治療と偽ってRt9を入手したけれど、彼はしばらくしたらホライズンに引き取られるだろうな」
「ホライズンに? なぜ?」
カインは目を細めた。それを見てジュナはかすかに笑みを浮かべた。
「Rt9レベルの治療が必要な症状だったら、もうホライズンの管轄だよ。そんな治療は必要ないじゃないかとせっつかれる前にぼくは父のいるアライドに行くつもりだ。患者たちを見捨てていくのは辛いけれど、医者はぼくひとりじゃないし」
カインは言葉をなくしてジュナを見つめた。
「なぜそんな顔をする。こうなることは分かっていただろう」
呆れたように言うジュナからカインは目をそらせた。
「すみません…… あなたの言うとおりだ。ぼくは何も分かっていない」
ジュナはケースの蓋を閉じるとカインに差し出した。
「父はね、察していたんだろう。ケイナ・カートの早急な治療法を考えていたみたいだ。その途中で倒れた。彼の病状についてぼくはあまり詳しくは分からないが、父が特に脳に与える影響を除去する治療計画書を作っていたから、それに基づいてこれを作った。もしかしたらほかに治療が必要な部分があるのかもしれないが、たぶん脳が与える影響のほうが一番の優先課題だったんだろうね。だけど、ぼくはもうそれ以外は協力できない。段階を追って治療していくしかないから、この治療が完結したあとのことは早い目に手を打っておいたほうがいい。まあ、そうは言っても半年後だから……」
「半年すればケイナは何とかなるんですか?」
カインのすがるような目をジュナは見つめた。
「ケイナ・カートってどんなやつなんだい?」
カインはジュナの質問の意図が分からず黙って彼を見つめ返した。
「世の中にはどんなに助けてと言っても手を差し伸べられない人がたくさんいるというのに、彼だけはいろんな人間が必死になって手を掴んでやろうとするんだな」
重い言葉だった。カインだけでなく、アシュアも目を伏せた。
「責めてるわけじゃないよ」
ジュナはなかなか受け取ろうとしないケースをカインに押しつけて言った。カインは手を伸ばしてケースを受け取った。
「月2回の投与だ。糖液か生食液で点滴静注する。うまくいけば2ヶ月程度で効果は見えるだろう。効果が出れば月1度でいい。その後は少しずつ投与期間を伸ばす。詳しくは中のディスクに入れてる。ただし、今すでに脳に異常が出ていれば、その部分は手術して除去するしかないよ。スキャンできれば一番いいんだろうけれど、そういう設備はないんだろうね……」
カインの無言の表情を肯定と見たジュナはふたりに背を向けた。
「じゃあ、さようなら」
「ジュナ!」
カインは思わず叫んだが、ジュナは振り返らなかった。
「アライドに行きます! レイを…… あなたを迎えに行くから……!」
ジュナは振り向いた。後ろ向きに歩きながら彼は笑った。
「連絡はするなとぼくは言ったはずだ」
ジュナは手をあげた。
「『ご子息さま』のご訪問はお断り」
カインは抱えたケースの冷たさを感じながらジュナを見送った。

 コミュニティに戻って来たとき、びっくりしたのはケイナがテントの外に出て座っていたことだった。
ちょうどリアが彼にカップを手渡そうとしていてふたりに気づいて顔を向けた。
「起きていいのか……?」
アシュアが近づきながら不安そうにケイナを見たあと、リアに言った。一瞬彼女が無理をさせたのではと思ったらしい。
「さっきまではベッドで座ってたの。少しずつ起きて血圧を慣らせばいいってリンクが」
リアは答えた。
「でも、まだ、立って歩けないのよ」
カインは背中にたくさんクッションをあてがわれたケイナに無言で近づいた。
ケイナはゆっくりと顔をあげてカインを見た。
「おか…… えり」
ケイナはかすれた声で言った。カップを持つ手に力が入らず、取り落としそうになったので、リアが慌てて手を添えた。
「おかえり…… カイ…… ン……」
ここに来て、ケイナの目が自分をはっきりと捉えたのは初めてじゃないだろうか。
「うえ…… 向くの、辛いんだ…… ごめん……」
眩しそうに目を伏せるケイナに、カインははっとしてケイナの前に膝をついた。
「気分、どう?」
カインの言葉にケイナは笑みを浮かべた。
「おまえの…… 顔が見れて…… サイコウ」
カインは思わず手を伸ばすとケイナの肩を抱いた。
「おかえり…… カイン」
ケイナはカインに抱かれながらつぶやいた。
リアはそんなふたりを見て、アシュアを見上げた。アシュアはリアを見てかすかにうなずいて目を伏せた。

「森の中は何も異常なかった?」
トリの言葉に、リアが入れてくれたお茶を受け取りながらアシュアは彼に目を向けた。
「今んとこ別に。だけど、ここにいることはバレてんだからいつかはまた来ると思うよ。今度は20人や30人じゃねえかもしれないな ……あ、あつーっ……!」
アシュアはカップに口をつけて思わず叫んだ。リアが慌ててアシュアの顔を見た。
「いい。気にすんな。おれが確かめないで口つけたからだ」
泣き出しそうな顔をするリアにアシュアは言った。
指に熱さを感じることができれば、少し飛んだしずくででも入れたお茶の熱さを知ることができただろう。リアを責めることはできない。彼女が自分でお茶をいれてくれた、ということが有り難いくらいだ。
 ケイナは早速点滴を打たれている。Rt9は効果が出るのが早い。2週間たてばもしかしたらピアスを外すことも可能かもしれないとリンクは言った。
ただ、問題はこれまでの状態ですでに異常が出ているかどうかはやはりコミュニティにある簡易のスキャン装置では厳密には解析が無理らしかった。
それと…… セレスだ。セレスの中の見張り役のウィルスは残ったままだ。
カインが戻って来るなり早速データを睨んでいるが、ケイナのようにパスワードが分からない限り特定をするためには相当の時間がかかりそうだ。
「一ヶ月たったら…… 地球に戻ろう」
トリは床を見つめて言った。
「それくらいすればケイナも体力が戻るだろう。治療の効果もあらわれるかもしれない。何にしてもコリュボスは狭すぎる。早く地球の同胞たちと合流しよう」
「一ヶ月の間にトウが何もして来ないとは限らないぜ」
アシュアの言葉にトリはうなずいた。
「レジー・カートが動かない限り軍も動かないから大丈夫だよ。あれからだいぶんたつのに軍が動いて来ないというのは、たぶんレジーは生きているんだろう…… 彼が生きていれば、ほかの指示では軍は動かない」
「カート司令官はこっちの味方につくと思うか?」
アシュアは少し冷めたことを確かめてカップを口に運んで言った。だいぶんこのお茶を飲んで分かってきたが、どうも疲れを取る効果があるらしい。
「さあ、それは…… でも、ぼくが直接彼に会うことも考えてるよ」
トリの返事にアシュアは仰天した。
「直接会うって、そりゃ…… 無茶だろ」
「ケイナもたぶん同じことを考えてるよ」
トリは言った。
「地球に行ったらあっちの司令官がいる。コリュボスにいる軍を味方に入れていればそれくらい心強いことはない」
リアは口を引き結んで兄とアシュアの顔を交互に見つめている。アシュアは息を吐いた。
どんどん話が危なっかしい方向に動いていく。
クーデター? それともテロ? 元はなんだ。たったひとりの…… 誘惑に負けた、たったひとりの人間のやったことが…… こんなにもことを大きくしている…… 取り返しのつかない大きな過ち……
「セレスは?」
アシュアはカップを置いてリアを振り返った。
「休んでる。血をとったあとは少し安静にしておいたほうがいいって」
リアは答えた。
おれはどうすればいいだろう。
……どうしようもない。できることはひとつしかない。あの3人を守ってやることだ。
アシュアはトリの視線から逃れるように立ち上がった。