26-9 螺旋

「ケイナの様子はどう?」
リアはベッドに横たわったまま、テントに入ってきたアシュアに顔を向けて尋ねた。
アシュアは気持ち悪そうに手をさすっている。
「どうしたの?」
「ケイナにちょっと血を分けてきた。血ィ抜かれるのなんか初めてで気色悪い」
アシュアは顔をしかめながらリアのベッド脇に腰をおろした。
「輸血が必要なほど出血したの?」
リアは仰天した。それを見てアシュアは肩をすくめた。
「首から上っていうのは出血量が多くなるんだ。トリのテントで耳を切って、テントの床、大変だったみたいだぜ。それにケイナは出血してんの2回目だしな…… ちょっと貧血起こしてるんだと」
「耳を……」
リアはつぶやいた。
「ピアスを取ろうとして?」
アシュアは腕をさすったまま顔をしかめてうなずいた。
「ケイナは危うい…… あいつ、自分を傷つけることに何の抵抗もないことがあるんだ…… それが自分以外のほかに向いていないだけマシだよ」
「あの、カインて人、すごいわね」
リアはふいに話題を変えた。ケイナの話は辛くなったのだろう。アシュアはリアに目を向けた。
「……ここに戻ってくるとき、わたしのほんのちょっとの説明ですぐに道を判断できるの…… びっくりしたわ。それで、全然余計なことは言わないの」
「カインはちょっとトリに似た能力があるんだ…… けっこう人の言うことを先読みすることがある。ま、もともと頭のいい奴だけど……」
「でも…… なんだかすごく寂しそうな顔をしてるわ。切ないくらい……」
リアはつぶやいた。アシュアはそれを聞いて少し目を伏せた。
「ねえ。アシュアは自分でいくつか決めてることがあるって言ってたわよね。そのうちのひとつは彼に関することなの?」
リアの探るような視線にアシュアは笑みを浮かべた。
「そうだよ」
「なに?」
アシュアは肩をすくめて笑った。
「あいつがカンパニーのトップの座についたとき、雇ってもらおうかなと思って。おれは体を使うことしか能力ねえからたいしたことはできないけど、ボディガードでもなんでもあいつのそばにいてやりたいんだ」
「カンパニーに?」
リアは目を丸くした。アシュアは笑った。
「今のカンパニーじゃねえよ。あいつが社長になったときのカンパニーだ。そんときはたぶん、ノマドだとか、ノマドじゃないとかいう世の中にはなってねえよ。社長のボディガードは給料いいぜ」
冗談ぽく言うアシュアの顔をリアはじっと見つめた。
「アシュア…… あんたの口から出ることは人のことばっかり。お人好し過ぎるわよ」
「そんなことねえよ」
アシュアは答えた。
「おまえのことだけはおまえがどう思ってようと強引にこっち向かせるつもりだった。マジで最初はケイナが恋仇かと思ってたぜ。今だから正直に言うけど、おまえがケイナのことを話すたんびにイライラしてた」
リアはくすくす笑った。
「ケイナだったら、勝ち目はないわよねえ」
「ああ、ほんと。良かった」
アシュアは身をかがめてリアにキスをした。
「ケイナとセレスは助かるよね?」
リアはアシュアの顔を見上げて言った。
「助かるよ。あいつらそんなすぐに死ぬようなやつじゃないよ」
アシュアは答えた。
「そうよね」
リアはうなずいた。
彼女の顔を見ながらアシュアはまだ迷っていた。
カインとセレスにレジーに会ったときのことを話さないと……
黙ってれば黙ってるほど言うのが辛くなりそうだ。でも、いったいいつ話せばいいだろう。
アシュアは口を引き結んだ。

「コンピューターはどこで?」
リンクは機関銃のような勢いでキィボードを叩くカインを見て目を丸くした。
横にいたセレスもびっくりした顔をしている。ラインにいた頃カインがコンピューターを操る姿は見たことがなかったからだ。表情を変えなかったのはトリとアシュアだ。
アシュアは昔から見て知っているからだが、トリはどちらかといえばそういうことにはあまり興味がない、と言ったほうがよさそうだった。
「小さいときからこういう訓練は受けてきたんです」
カインは画面から目をそらさずに答えた。
「どんなに最新式のものでも少しいじれば分かりますよ」
そしてリンクにちらりと目を向けた。
「訓練受けなくても操作できるのはケイナくらいです」
リンクはうなずいた。
「そうかもしれないな……」
「だめだ……」
カインはつぶやいて悔しそうな顔で画面を睨みつけた。
「感染してるウィルスのことまではデータにない。レイはやっぱりそのことには気づいていなかったんだ……」
「さっき、セレスの血液を取ったんだ。ケイナの血液と合わせてみてる」
リンクはカインに膨大な数字が記入された紙束を見せた。
「きみはこれ、読めるのかな」
カインはちらりと見て肩をすくめた。
「すみません。ぼくはコンピューターだけ。遺伝子学や医学はさっぱりです」
「ケイナが変なことをつぶやいたんだ。水と木、螺旋の相性って」
「螺旋の相性?」
カインは目を細めた。それを聞いて、今まで自分の出番はないと息を潜めるようにして黙っていたセレスが口を開いた。
「ピアスのせいではっきりしたことは言ってくれなかったんだけど、そんなことをケイナがつぶやいたんだ。でも、何のことか分からなくって……」
「本人が抗体を持っているウィルスを入れたって、白血球に殺されてしまうからDNAに干渉できないんです。だけど、威力を発揮し過ぎて病気として発症してもいけない。だから微妙な力加減を持ったものを選んで入れているんだと思うんだ。それはまさに相性だよ。螺旋との相性」
リンクは少し興奮したように、分からないと言っているカインに紙を示した。
なんとなく自分と話ができそうな人間という意識をカインに持っているらしい。
「ケイナのDNAに干渉してみたんだけどね、だいたい60時間以内くらいに元に戻されてしまう。今、これにセレスの血液を合わせてみてるんだ。どっちがどうなるかは結果を見ないと分からない。最終的に残ったほうも消えてしまわないといけないんだ」
「水と木ってこと? どっちが水でどっちが木?」
セレスが不安そうにリンクの顔を見た。
「水は吸われちゃうんだよ。きみが木でケイナが水でしょう」
リンクは答えたが、それを聞いてセレスは複雑な表情を浮かべた。
水は吸われちゃう…… そんな言い方しなくったって。
「ケイナの血液型がAB型だったってことは天の助けだとぼくは思ってるよ。血液型が合わなければそもそも輸血はできない」
「ケイナはそれでうまくいったとして、セレスは?」
カインの言葉にリンクはぐっと詰まった。
「セレスの血液型は同じAB型?」
「おれ、O型……」
セレスはカインの顔を見た。
「きみはO型の人間からしか輸血してもらえないよ」
「おれがO型だけど?」
アシュアが口を挟んだ。
「きみの血液にウィルスが入ってるわけないでしょう。遺伝子操作されたわけじゃないし」
リンクが呆れたように言ったので、アシュアは思わず口を開きかけて思いとどまった。こんなところでレジーから聞いた話をぶちまけたら混乱しそうだ。
トリの顔をそっと見ると、トリはアシュアにかすかに眉を吊り上げてみせた。
しかし、そもそも安定した遺伝子ルートだったアシュアがセレスやケイナと同じ状況であるはずはなかった。
「3日待ちますか?」
カインはトリの顔を見た。
「ダメだった時のこともあるし、セレスの問題もある。双方向で進めたほうがいいと思う」
トリは答えた。カインはうなずいてリンクを見た。
「レイの渡してくれた、治療計画書、使えそうですか」
「使えないことはないけれど、できればもう少し威力のあるベクターを使いたいですね」
リンクは答えた。
カインが目を細めて何も言わない代わりにセレスが大きな目をリンクに向けた。
「ベクターってなに?」
「きちんとした遺伝子を体内に送り込むための運び屋ウィルスです。レトロウィルスともいって、こいつは直接遺伝子に正常な遺伝子を送り込めるんです。計画書にあるレトロウィルスは比較的多く使用されてるものだと思うけれど、治療期間が5年とか10年で完了するようなものです。ケイナの場合はそこまで時間がない。多少リスクはあっても速く動いてくれるベクターのほうがいい。それと、特に脳障害についての治療計画だけど、もう少し本質的な治療が必要かもしれない。なんにしても干渉してくるウィルスが消えてくれないことにはどうしようもないよ」
当たりだ…… やっぱり今のケイナでは治療は遅すぎるのかもしれない…… カインは思った。
セレスはリンクの説明を聞いてもさっぱり訳が分からないような顔をしている。
「今、ふっと思ったんだけど……」
セレスが口を開いた。
「ウィルスって必ずどこかにあったからその存在を知ってるってことでしょ? どこかでそれに感染した病気とかがあってさ。あ、これをこっちで使ってみよう、っていうかさ。だから、その……」
リンクとカインは顔を見合わせた。
「きみはたまにすごく面白いこと言うな」
カインはかすかに笑うと、再びすさまじい勢いでキイを叩いた。
「え?」
セレスが怪訝そうな顔をしたとき、すでに目の前の画面にはずらりと文字が並んでいた。