26-4 螺旋

「どうもね…… 分からないんですよ」
コミュニティに戻ったアシュアとセレスにリンクは言った。冷たい目をしてコンピューターの画面を見つめているケイナのそばにトリが立っていた。
「遺髪の分析は終わったんです。ケイナはもうグリーン・アイズの形をほとんどとどめてない。セレスは一部似通った部分がありますが、それでも血縁のルートとは言えません。それよりも妙なのは遺伝子が何かに見張られているように思えることです」
「見張られてる? なにに」
アシュアがびっくりしたような声をあげた。リンクはうなずいた。
「最初は何かをサンプルにして組み換えているんだと思っていたんですよ。だから余計なものを排除するというか、修正すればいいと…… でも、どうやらそうじゃなくて、遺伝子そのものが何か自ら増殖力を持つものの影響で元に戻されちゃうんです」
リンクはコンピューターの画面を指差した。
画面にはアシュアとセレスにとっては意味不明の数字や記号がずらりと並んでいる。
アシュアはそれを見て顔をしかめた。分かんねえよ、こんなの見たって……
「結局ね、書き換えられたところを修正していっても、しばらくしたら元に戻るから何にもならないんです。おっかけっこをしているようなもんです。試しにね、ちょっと触ってみたんですよ。元に戻るまでに数日程度、これじゃあとても追いつきません」
「どうしてそんなことになるの?」
セレスは目を見開いてリンクの顔を見た。
リンクはまじかで大きな目を見開かれて少しぎょっとしたように顔をそらせたが、すぐに学者然とした表情に戻った。
「考えられるのは、こういう仕業をするウィルスかなんかを常駐させてるんじゃないかということです」
「体の中に?」
セレスはびっくりした。リンクはうなずいた。
「ウィルスという言葉がいいのかどうか相手が見えないから分からないけれど、可能性としては高いでしょうね。人間の体内には必ず何かウィルスが常駐してるもんなんですよ。そいつを体内の遺伝子を外から操作不可の見張り役として入れてるんです。免疫があるから病気のような症状は出ないだろうけれど、遺伝子は確実に見張られているということですね」
「なんで、そんなことを……」
アシュアはつぶやいた。
「遺伝子が安定していなかったからでしょう」
リンクは答えた。
「遺伝子自体に自分の形を覚え込ませなきゃならない。ケイナやセレスの遺伝子を確実に優性遺伝にして後世に繋げたいんだ。優性になるか劣性になるか普通は運ですけどね、遺伝子の力が強ければ優性になる確率が高いですよ」
「つまり…… このウィルスかなんかを退治しないと遺伝子治療はできないんだね。ワクチンが必要だってこと?」
セレスは画面を見てつぶやいた。難しい数列はやっぱり何のことだか分からない。
「てっとり早く言えばそういうことになります。でも、問題はそのウイルスの正体がつかめないということなんですよ。おまけにふたりは全く別のものに感染してる可能性がある。これじゃあ間に合わないんです」
リンクはため息をついた。
「ウィルスの正体が分からないままで経過を見ながら試していくのに、1年なんかじゃ到底足らない。あなたのリミット、3年でも保証の限りじゃないんです。それまでにワクチンを作るのは至難の技なんですよ」
「じゃあ、どうすれば……」
セレスはつぶやいた。リンクは悔しそうに首を振った。
「セレス、アシュア」
トリが静かに言った。
「病気として発症しないウィルスとはいえ、普通の人間にないウィルスに常に感染している状態っていうのは不自然なんです。ましてや体内の白血球にも退治されずに。そんな強いウィルスに感染している以上、何か普通の人とは違う症状が出る可能性はあると思う。ケイナをずっと見ていて、そんなところに心当たりはありませんか?」
「普通の人とは違うところ……?」
セレスとアシュアは顔を見合わせた。トリはうなずいた。
「彼の知能が高いとか、さまざまな面において能力が高いというのは遺伝子の目的です。そうではなくて、ウィルスの影響、普通の人ではありえない、日常の不自然なもの」
「ケイナは頭の先から足の先までちょっと普通じゃなかったからなあ……」
アシュアは考え込むようにして言った。
「無愛想だし、大声で笑うなんてこともなかったし…… 冗談も滅多に言わねえし……」
「アシュア、性格の話じゃないよ」
セレスは思わず口を挟んだ。アシュアは肩をすくめた。
「ケイナが何も言わないと思って好き勝手言ってるよ……」
セレスは無反応のケイナをちらりと見てぶつぶつ文句を言った。
「そういや、いつも水を飲んでたな」
アシュアは言った。
「水を?」
リンクは目を細めてアシュアを見た。
「あ、いや…… なけりゃないでも別にいいんだろうが、あるときはヒマさえあればすぐに水を口にしてた。たぶん、あの摂取量はかなりのもんだぜ。もっとも、普段からしてケイナはマメに水分補給してないとすぐに脱水症状を起こすみたいだけど」
「いつも咽が乾いているような気がするって言ってたよ。飲むだけじゃなくて水に入るのも好きなんだって」
セレスも思い出したように言った。
「ほかには?」
リンクが促したが、ふたりは黙りこくってしまった。
「ミントの香り…… ハーブミント」
ふとセレスはつぶやいた。
「ミントの香り?」
トリが目を細めた。セレスは肩をすくめた。
「ケイナはそばに近づくといつもミントの香りがするんだ」
「おれはそんなこと気がつかなかったぜ」
アシュアは不思議そうにセレスを見た。
「そう? 最初は何かをつけてるのかなと思ってたけど、ケイナってそういうのに全然頓着しないだろ? だからケイナ自身の香りなんだって思ってた。いつも不思議だったんだ。どうしてこんな香りがするんだろうって。 髪もだし…… 話をすると息までミントの香りがするし……」
「そうかあ……?」
アシュアはケイナに近づくと、彼に顔を近づけてくんくんと鼻を鳴らした。
いつものケイナならそんなことをすると数発殴っているだろうが、今の彼は何の反応も示さない。
「別にしないと思うけどなあ」
「ぼくも、しばらく彼とここに篭ってましたが、気づかなかったですよ」
リンクも言った。
「そんなはずないよ」
セレスはケイナに近づいた。
トリはそんなセレスをじっと見つめていた。
「あれ?」
セレスはケイナの顔に自分の顔をよせて眉をひそめた。
「しない……」
「気のせいだろ?」
アシュアが言った。
「そんなはずないよ」
セレスはむきになって言い張った。
「ラインで同じ部屋だった頃って一番強かったよ。ケイナがいたあとに香りが残るくらいなんだ」
セレスはケイナをまじまじと見た。
「いったい…… いつから消えちゃったんだろ…… ピアスをつけてから……?」
「抑制装置?」
トリは厳しい顔つきになった。セレスはトリを振り向いた。
「どうだろう…… でも、ラインでピアスをつけてたときには香りがしてたような気がする……」
「あのときと今とでは抑制装置の効果が全然違うよ」
リンクが言った。
「もしかしたら特定の人にだけ感じられる香りだったのかもしれないけれど…… 何にしても、これじゃあ、検索のしようがないな……」
トリは困惑したようにつぶやいた。
「絶対可能性の薄いウィルスを落しても20億5500万種あるんです。その中にあったとしても、そのウィルス自体の遺伝子すらも操作していたらもうお手上げですよ」
リンクは疲れきったようにため息をついて顔をこすった。
「でも、やるしかないんだろ?」
セレスは言った。
「香りとか水とか、キーワードは出たんだもん、そこからでも調べようよ。おれ、手伝うよ。やり方教えてよ」
「そうですね…… せめて10分の1に絞り込んで系統さえつかめれば、ホライズンへのピンポイントアクセス先が分かる」
リンクは大きく息を吐いた。
「地球のエリドに連絡をとって半分担当してもらおう。一緒にホライズンのセキュリティ突破の方法を練ってもらっておく」
トリが言った。
ホライズンは地球だ。地球のコミュニティのほうが確かにアクセスするには都合がいいだろう。
聞こえているのか、いないのか、まるで人ごとのように虚空を見つめたままのケイナをアシュアは見た。
「どこかで地球に渡るから」
トリはアシュアに言った。
「森の中が不穏でなければ今すぐにでも行きたいんだけど」
「おれとリアで森の中に入ったほうがいいんじゃないか」
アシュアは言った。
「カインはコンピューターを操るのに長けてる。あいつがいるんなら助けになるぞ」
トリは少しためらったがうなずいた。
「頼みます」
アシュアは親指を突き立てて笑ってみせた。