26-3 螺旋

 カインは大きく息を吐いて木の根元に歩み寄り、疲れ切って腰を落としていた。
何日森の中を歩いただろう。
アシュアと同じように訓練を積んできたカインにとって森の中で数日過ごすことはさほど苦を強いることではなかったが、病み上がりの衰えた体力ではさすがに疲労をごまかしきれなかった。
レイからもらった薬は昨日で飲みきった。
包帯は取ってしまったので腕に自由が戻ったのは有り難かったが、森の湿気で時々傷が痛んだ。
「磁場か……」
カインはつぶやいた。
ポケットからジェニファがくれた水晶を取り出してみた。
やはり自分は受け入れてもらえないのかもしれない。この磁場の強さだとアシュアの通信機は壊れただろう。もし壊れていなくても今は自分が連絡をとることができない。
カインは目を閉じた。
ケイナに会いたい…… せめてもう一度だけ、彼の顔を見たい。
今さら戻るなんて厭だ……
いつの間にか彼はうとうとと眠り込んでいた。
「森のものでないもの……」
ふと声がして、はっとして目を覚ました。
今の声はケイナだ。慌てて立ち上がったが、気配はなかった。
「夢か……?」
カインはつぶやいた。
「森のものでないもの……」
再び声がしたような気がした。あたりを見回したが森は静まり返っている。
「何が言いたいんだ、ケイナ……」
カインは言った。
「ぼくのことなのか?」
しかし答えはなかった。
カインは再び歩き始めた。食料はもうあと2日分しかなかった。

 1時間たってセレスとケイナのいる場所に戻ってきたアシュアとリアは仰天した。
ケイナはセレスを抱きかかえるように顔を寄せて眠っていた。セレスも安心しきったような寝息をたてている。
「ケイナがこうしたのかしら……」
リアは呆然として言った。
「それともセレスが?」
アシュアはリアの言葉に分からない、というように首を振ってみせた。
「幸せそうな寝顔ねえ……」
リアはふたりの顔を覗き込んでつぶやいた。
「私の入る隙なんかないはずだわ……」
アシュアが目を細めてリアを見た。アシュアのそんな気配に気づいたのか、リアは彼を振り向くと笑った。
「ケイナは好きよ」
リアは言った。
「だって、小さいときに姉弟みたいに育った仲なんだもの。兄さんと同じくらい大切な存在だわ」
「…………」
アシュアは無言でリアを見つめた。
「私の昔の記憶を隠したのはきっとトリだと思う。トリだって、そんなことはしたくなかったはずよ。でも、あのときのケイナはとても恐ろしくて…… 怖くて…… あの記憶を消してもらわなかったら、わたしもどうなってたか分からない。だけど、11年前っていったらトリもまだ10歳なのよ。私の悪夢は食べることができても完全に記憶を消すなんて無理だった。私はすっぽり空いてしまった記憶にケイナの愛情だけを増幅してバランスとるしかなかったんだと思うの」
リアは身をかがめると、セレスの髪の上に落ちた落ち葉を拾ってやった。
「ケイナと手を繋いで記憶を戻す前に、わたしはそのことにはどこかで気づいてたんじゃないかしら。でも、私はそれに耳を塞いだの。トリとは双児よ。彼が苦悩すれば私にも伝わるわ。わたしがケイナに執着するたんびに、トリはものすごく苦しんでた。自分の未熟さを悔やんだと思うわ」
リアはアシュアに目を向けた。
「ごめんね、アシュア。あんたに甘えてたの。 私は剣を持ってるからノマドでは面倒見てやるほうの側ばっかりで、みんなは私のこと強いもんだって思ってるの。肩の荷が重かった。でも、あんたの前では私はひよっこ同然で、あんたは遠慮しないでわたしに言いたいこと言ってくれるし…… 突っかかってわがまま言いやすかったのよ」
リアはケイナの顔をちらりと見た。
「わたしね、ケイナにキスしてって言ったの」
アシュアはそれを聞いて戸惑ったように目を伏せた。
「ケイナはキスしてくれたけど、それはわたしが好きだからじゃないの。わたしがそうしろって言ったからそうしただけなの。彼の心にはわたしへの無意識の負い目があったのよ。 あのときはそれでもいつかはって…… 思ってたけど……」
リアは片手で髪をはらった。
「でも、もういいわ。思い出しちゃったもの。彼も思い出してくれた。これから同じ時間に生きられるって言ってくれたよね ……もう、それでいいわ。だって、セレスはこんなにケイナのことに必死じゃない…… この子の代わりはわたしにはできないのよ……」
リアは手に持っていたカゴを持ち替えた。
「さ、行こ。お昼までもう少し時間あるし、半分でも摘んでしまおう」
リアは言った。
アシュアは何かを考え込むような顔をしていた。
リアはそんなアシュアの横をすり抜けてさっさと再び木立のほうへ歩いていった。
アシュアは顔をあげて大きな深呼吸をした。
そしてリアを追いかけると彼女の腕を掴んだ。リアの持っていたカゴが草の上に落ちた。
「なにすんのよ」
カゴの中に入っていたハーブが散らばったのを見てリアはアシュアを睨みつけた。
「あの」
アシュアはごくりと唾を飲み込んで言った。
「おれな、あいつらを守ってやらなくちゃならない。自分でそう決めたんだ。あいつらが自由を獲得したら、もうひとつ決めていることがあるんだ。おれはそのあとにさらにもうひとつ決めごとを作ることにした。あんたを必ず迎えに来るってことだ。あんたの意見なんておれは聞かないからな」
「は?」
リアはびっくりしたようにアシュアを見た。
「待ってろ。これはおれが言い出したことだから、絶対に守る。あんたを迎えに来る」
リアは呆然としてアシュアを見つめていたが、やがてくすくすと笑い出した。
「アシュア…… 無理することないわ」
リアはおかしそうに言った。
「あんた、わたしのこと嫌いなんでしょう? わたしに同情なんてしないでよ。そんなのごめんだわ」
「意見なんか聞かないと今、言ったろう。おれがそう決めたんだ。」
アシュアはリアを睨みつけて言った。途端にリアの手が飛んできた。アシュアは首をそらせてやり過ごした。
「あんた変だわ。言ってること滅茶苦茶よ。クレスにはお嫁さんなんかもらわないって言ってたじゃない」
「じゃあ、ひとつだけあんたの意見を聞くことにするよ」
アシュアは言った。
「おれのことが嫌いか?」
リアは目を見開いてアシュアを険しい目で見た。やがて怒ったようにカゴを拾うと背を向け、ずんずん歩き出した。
「嫌いなんだったら、諦める。だけど、諦めるのには相当時間がかかるからな!」
アシュアはその背に向かって怒鳴った。
「なんも言わなかったらそのまんま迎えに来るぞ!」
「じゃあ、あたしのノーという返事なんか最初っから求めてないじゃない!」
リアは振り向くと叫んだ。
顔が真っ赤になっている。怒りのためなのか、恥ずかしいからなのか、リアのいつもの泣き出しそうな表情からは判断できなかった。
アシュアはそんな彼女の顔を見つめながら言った。
「自分で分かってた。おれには自分のことなんか考えてるゆとりがねえ。あいつら、死ぬか生きるかのぎりぎりんとこにいる。カインも命をかけて動いてる。おれだけが好き勝手なことしていいはずがない。そんなことを考えてたんだと思うよ。だけど、好きなもんは好きなんだ。あんたのことが好きなんだ。しようがねえじゃねえか……」
「アシュアは外から来たわ」
リアは怒ったように言った。
「ノマドじゃないわ。外から来た人は外に出ていくのよ」
「だから絶対迎えに来るって言ってんだろ!」
アシュアは言った。
「それにおれだって、トイ・チャイルドのひとりじゃねえか。最初ノマドにいなかっただけだよ」
リアは身を震わせた。
「あたし、もう21歳よ。すぐに子供も作れなくなるわ」
「関係ねえよ、そんなこと!」
アシュアは怒ったように言った。
「おれだってプラマイゼロなんだ。子供作れなきゃいけねえのかよ」
「あたしはすぐ泣くし、すぐ人に怒鳴るわ」
「そんなのこれまでずっと見てきたから知ってるよ」
「剣の腕だってたいしたことないわ」
「おまえのことはおれが守るんだよ。そんなもん必要ねえじゃねえか」
「あたしは料理も作れないのよ」
「んん…… たぶん…… それはおれのほうが得意だ。ケイナにもよく食わせてた」
「あたしは…… ええと……」
リアは視線を泳がせた。
「あ、あたし、あんたより年上よ!」
「ふざけてんのかよ」
アシュアは呆れたように手を振り上げた。
「4つも年下のケイナよか近いだろが!?」
「あんた、ケイナより年上だったの?」
リアはびっくりしたように言った。
「そうだよ。悪いかよ」
アシュアはふてくされて答えた。
「いつ迎えに来るっていうのよ……全然この先分からないじゃない。あたし、おばあさんになっちゃうわ」
「そんときゃ、おれもじじいだろ」
「そんな何年も待ってられないわよ!」
「ババアにならないうちに来るよ、絶対!」
「ババアなんて言わないでよ!」
「あ、悪い……」
アシュアは頭を掻いた。
リアはそんなアシュアを見つめてかぶりを振った。
「どうかしてるわ ……ああ言えばこう言う……」
「お互いさまだな」
アシュアはリアに近づいて彼女の腕を掴むと顔を寄せた。
再びリアの手が振り上げられたが、アシュアは顔をそらさなかった。
リアの手がアシュアの頬の手前で止まった。
「なんで今度はよけないのよ」
リアはいまいましそうに言った。
「おれの勝ち」
アシュアは笑った。
「殴らねえって分かってたもん」
「あんた、最低よ」
リアはそう言ったが、そのままアシュアの背に手を回した。
アシュアはリアの花の香りのする髪に顔を埋めた。
ずっとこうしたかったんだと思う。
毛布の中に引き入れたとき、半分眠れなかった。
起こさないようにそっと肩を抱いてやりながら、もっと力をこめて抱き締められたらどんなにいいだろうと思った。
セレスと比べても頑健そうなリアだったが、それでも自分が力を入れたら壊れそうだった。
もう、気にしなくてもいいんだよな。
そう思って力一杯抱き締めた途端、リアが叫んだ。
「いたーい!」
「あら」
アシュアは慌てた。
「締め殺す気」
リアはそう言ってアシュアを睨んだあと、笑いだした。
「アシュア、ありがと。わたしもあんたが好きよ」
リアはアシュアの胸に顔を埋めた。
「今度は信じて待っててもいいんだよね…… これは夢のことや、作った記憶じゃないよね」
「作りもんじゃねぇよ。ほんとのこと」
アシュアは答えた。顔を寄せたが、今度はさすがにリアも手を振り上げなかった。
そんなふたりをケイナが遠い目をして見つめていることにアシュアもリアも気づかなかった。
ケイナはふたりから目をそらせると、セレスの顔を見た。
「来る…… 森のものでないものが…… だれ……」
彼はつぶやいた。