25-8 赤いピアス

「ユージーはな、おまえがノマドから来た頃は話すこともままならないほど自分の殻に閉じこもった子供だった。おまえが来てからあいつは変わったんだ」
「え……?」
ケイナの手がぴくりと動いた。
「ユージーは小さい頃に母親を亡くして大変だったんだよ。だが、おまえがそばで眠ると夜中に起き出して徘徊することがなくなった。少しずつ笑顔を出し、おまえには話をするようになった。いつもおまえのそばにいたがったよ。おまえの存在がどれほどあいつに生きる希望をもたらしたかしれない。だから14歳でおまえがホライズンに行くことを知ったとき、あいつはわたしを殺しかねないほど怒りまくったんだ!」
「そんなはずはない…… 小さい頃の記憶なんて……」
震える声で言うケイナをレジーは見据えた。
「新しい記憶なぞ入れていないし、過去の記憶も操作していない。おまえは数年昏睡状態だったから、時系列が混乱しているだけだ」
「…………」
じゃあ…… ノマドでの昔の記憶を消したのは…… いったい誰……
ケイナは呆然とした。
「あんなにおまえのことを大切にしていたユージーをおまえはいつしか遠ざけるようになった。そのときにはユージーも成長していたからさほどのダメージもなかったがな、顔を合わせるといつもわたしに言うのは『ケイナはどうしてる』そのひとことだ」
「そんなこと…… 今まで言わなかったじゃないか……」
ケイナは声を震わせた。
「ばかなことを言うな。おまえは休暇の時に一度でもわたしに会いに来たことがあるか。ジュニア・スクールのときですら、おまえはわたしの姿など目に入らないような顔をしていた。ユージーが殻から出るのと反比例して、おまえはどんどん殻に閉じこもっていったんだ」
アシュアはレジーの鼻の頭に浮いた汗を見つめた。彼の血圧がどんどんあがっているのが手にとるように分かる。
レジーは目をしばたたせると、自分を落ち着かせるように息を吐いた。
「まあ…… 今、そんなことは言ってもしかたがない ……ユージーは無事なんだな……」
「無事です……」
ケイナは答えた。リアと繋いでいないほうの手は地面の草を握りしめている。
「ちょっと消耗しているけど、命に別状ない ……今、薬で眠ってます」
「ケイナ…… トウ・リィはもともとのプロジェクトの経緯をほとんど分かっていない。彼女はシュウがこのプロジェクトに失敗して放棄したんだと勘違いしているんじゃないかと思う。わたしはできる限りのことをしたが、シュウが生きているときならいざ知らず、トウの時代になっている今となってはカートの威厳は皆無だ。おまえの治療は医学に長けているアライドに依存するしかなかった。遺伝子治療がノマドでできるかどうか分からないが、もし彼らにその気があるのなら、ホライズンのセキュリティを破って向こうのデータを入手しろ。それが一番早い。こっちのコンピューターでは破れないんだ。ノマドの持つ技術力ならもしかしたら可能かもしれない。そのときのパスワードが一部分かっている。おまえの……」
ふいにぱっと光が散ったかと思うと、レジーの姿がかすかな血の粒を残して消えた。
「きゃあっ!」
リアが叫び声をあげた。
呆然としていたアシュアは、ケイナがリアの腰の剣を抜き取るのを見ていながらそれを止めることができなかった。
しまった……! リアの剣…!
そう思ったときには、ケイナは彼女の剣を右手で逆手に持つと、通信機に突き立てようと身構えていた。
しかし、次の瞬間、目の前に現れた男の姿にぎょっとして手をとめた。
「クレイ指揮官は立派な人だったよ」
銃を手にこちらを見つめてそう言う男の顔をケイナは凝視した。
誰だ…… 見覚えがある……
「リーフ……」
ケイナはつぶやいた。そうだ、彼はハルドの秘書だったリーフだ……
「すまない、ケイナ。ぼくの父はリィのほうにいるんだ。クレイ指揮官の亡命は見逃せた。ぼくも彼は助けたかった。だけど…… セレス・クレイはだめなんです。もちろん、あなたも。治療されては困る」
ケイナの手がぶるぶる震えている。
リアが目を見開いていた。なんだか彼女の様子がおかしい。
アシュアは無意識に自分の剣の柄に手を伸ばしていた。
そのとき、頭上で低い音が聞こえた。ケイナがはっとして空を見上げた。
船だ。エアポートに入る船が来る。まずい。
「エアポート?」
リーフも顔をあげた。
「迎えに行きます。セレス・クレイもいるんでしょう?」
ケイナが唸り声をあげて剣を振り上げたとき、再び目の前に光が散った。リーフの姿が消えた。
「ケイナ!」
レジーが肩から血を流しながら3人の前に立った。
「ホライズンのセキュリティを破れ! データを入手したら必ずもう一度連絡して来い!」
ケイナの剣が勢いよく通信機に突き立てられた。レジーの姿がぷつりと消えた。
「いやあっ!」
リアがすさまじい声をあげて逃げ出そうとした。
しかし、ケイナと手を繋いでいるために走り出せず、そのまま草の上に倒れ込んだ。それに引っぱられてケイナも後ろに倒れ込んだ。リアの剣が草の上に転がった。
「アシュア! 通信機を壊せ!」
ケイナは叫んだ。
その言葉が終わりきらないうちにアシュアは自分の剣を通信機に振り降ろしていた。
小さな爆音とともに通信機は吹っ飛んだ。
「来ないで!」
リアが気が狂ったようにケイナから手を振りほどこうと焦っていた。
「リア……っ!」
ケイナは苦痛に顔を歪めている。アシュアは慌ててふたりにかけよった。
「手を離せ、ケイナ!」
「おれじゃねえよ! トリが離さねえんだ!」
ケイナは空いたほうの手で頭を押さえている。痛みが襲っているのかもしれない。
カート司令官が指示を出してユージーを迎えに来るまでにどれくらいの時間がかかるだろう。
10分? 20分か?
なんにせよ、早くここから立ち去らないとまずい。
アシュアはしっかりと繋がれているふたりの手を見て困惑した。
リアは相変わらず目を見開いて何かを喚き散らしている。彼女の言っていることを聞いてアシュアははっとした。
「来ないで! あたしはリールじゃないわ! 殺さないで! 死ぬのはいや! いやだ! 来ないで!」
もしかして…… あのときの…… 昔の記憶か?
アシュアはケイナに目をうつした。
ケイナは歯を食いしばって頭を押さえたまま荒い息でリアを見ていたが、その目が目の前のリアを捉えていないことは一目瞭然だった。

 リールの首に剣を突き立てたとき、例えようもない高揚感がケイナを包んだ。
血は赤く、温かかった。
手ですくうと、赤い蜜はケイナの誘惑を刺激した。
舌先を少し浸し、かすかな塩分と鉄の匂いにこれが血の味かと思った。
「ねえ、リア」
ケイナは目を見開いているリアをリールの上から見下ろした。
「血の色ってきれい」
「やめてよ、ケイナ……」
リアが震える声で言った。
「帰ろう、ケイナ…… 帰ろうよ……」
「どうして」
幼いケイナはくすくす笑った。
血に濡れた手をリアにかかげてみせ、キスをするように自分のくちびるに押しつけた。
小さな形のいい三日月のような唇にリールの血がついた。
「ぼくはもっとこの色を見たい。この味を嘗めてみたい」
「ケイナ…… いやだ……」
リアは後ずさりした。だが、足が震えて思うように動かない。
ケイナはリールに刺さった剣を引き抜き、それをしげしげと眺めた。
「リア…… 血のいろってきれいだねえ……」
リアは体中を震わせている。
ケイナはそんなリアをぞくりとするほどの残忍な目で見た。
「リアの首からはどんな血が出るの」
ケイナは剣をリアに向けた。
「ねえ、リア、ぼく、それ知りたい」