24-9 タイムリミット

 トリと別れてテントに戻ったあと、アシュアは呆然としたまま椅子に腰掛けるセレスに近づいて声をかけた。
「セレス…… 大丈夫か。」
セレスはうなずいた。だが、顔色は青ざめたままだ。大きな緑色の目が焦点の定まらないまま見開かれている。
「ケイナは…… 全部を自分ひとりでしょってたんだ……」
セレスはつぶやいた。
アシュアは椅子を引っ張ってくるとセレスの近くに腰をおろした。
「ケイナは自分で話すつもりだったって、言ってただろ」
アシュアはセレスの顔を覗き込んで言った。
「おまえには何より一番に自分で伝えたかったと思うよ」
セレスは顔を歪ませると自分の髪を掴んだ。
「アシュア…… おれ、どうしたらいいのか分からないよ…… 怖いよ……」
「大丈夫だって。トリは必ず助けるって言ってくれてるじゃないか。信じろよ」
アシュアはセレスの肩に手を置いた。当たり前のこんな言葉じゃセレスの気持ちが晴れるとは思えなかったが、そう言うよりしかたがなかった。
「……こんなに不安を感じたことない…… もし、ケイナが死んじゃったらどうしよう…… 女になるってどういうこと……」
「うん……」
アシュアはもどかしく思いながら悲痛な顔で俯くセレスの横顔を見つめた。
「夢の中でおれ…… 女になってたんだ。ケイナの夢ン中で。ケイナはおれにフィメールがあるって言ってた。カインもそれを知ってた ……アシュアは知ってた?」
すがりつくようなセレスの目にアシュアは言葉に詰まった。
知っていたと言えば彼は裏切られたという気持ちになるだろうか……
セレスは手を握り合わせて額を押しつけた。
「頭ン中まとまらないよ……」
おれだってまとまんねえよ…… アシュアは心の中でつぶやいた。
肩に回した腕に、セレスの小刻みな震えが伝わってくる。
その震えを止めたいと、細い肩に置いた手に力を入れるしかなかった。
そしてふと、気配を感じてテントの入り口に目を向けた。セレスも気づいて顔をあげた。
リアが口を引き結んで立っていた。布をぐるぐる巻きにして片足にはめている。
「ケイナが…… ずっとうわごとでセレスを呼んでる」
リアは言った。セレスは立ち上がった。

 点滴をつけられたケイナは小刻みに浅い息をしていた。
「熱があがったんです。ショック性だと思いますが……」
テントに入って来たセレスとアシュアを見て、そばにいたリンクが言った。
セレスは堅く目を閉じて苦しそうに喘いでいるケイナのそばに近づいた。
「セ……」
ケイナはつぶやいた。ほとんど聞き取れない声だった。
「熱があがってからずっとこの調子なんです」
リンクは言った。
熱い。力のないケイナの手をとると信じられないほど熱かった。いったいどれくらい熱があがっているのだろう。半開きになった形の良い彼のくちびるがからからに乾いてひび割れていた。
「ケイナの出血はなんだったんだ? やっぱり脳の影響か?」
アシュアが心配そうにリンクに尋ねた。
「わからない…… 血圧が上昇したんじゃないかと思うけれど…… 脳の血管が切れたわけではないようです」
リンクは答えた。そしてケイナを見た。
「これからどんな症状が出るのか想像もできない……」
アシュアは顔を歪めるとやりきれないといったように顔を背けた。
ケイナ、死ぬなんて許さない。絶対に許さないぞ。
「おれ…… 今日、ここに…… ケイナのそばにいていいかな」
セレスはリンクを振り向いた。思いつめた表情を浮かべている。それを見てリンクは一瞬戸惑ったが、しょうがないな、というように幽かな笑みでうなずいた。
「あとで毛布とクッションを持ってきてあげましょう。でも、あなたも少しは横にならないといけませんよ」
「うん、分かってる」
セレスは答えた。
「明日には目を覚ましますから、そんなに心配することもないですよ」
「うん」
リンクはセレスの肩に手を置くとテントを出ていった。
「おれも毛布持って来る」
アシュアは言った。セレスはびっくりしたようにアシュアを見た。
「アシュアはちゃんと休んだほうがいいよ。アシュアの怪我のほうがおれのよりひどいんだし」
だが、アシュアは口を引き結んで首を振った。
「毛布、持って来る」
きっぱりとそう言うとテントを出た。そしてテントの外で佇むリアの姿に気づいた。
「どうした。足は大丈夫か」
アシュアは不自由そうに足を包帯で巻かれている彼女の足を見て言った。リアは目を伏せたままうなずいた。
「そうか。良かった」
アシュアは少し笑みを浮かべると、そのまま立ち去ろうとした。そんな彼の後ろ姿にリアは声をかけた。
「私、ケイナがずっと好きだったの」
アシュアは振り向いた。
「知ってるよ」
彼は答えた。
「小さい頃からずっとケイナのことを好きだったの。彼を待ってたの」
「ああ。どうもそうらしいな」
リアはアシュアを見つめた。
「今、ケイナのそばにいるのはあの子じゃないって…… そう思ってるの」
「…………」
「でも…… ケイナはあの子を待っているの…… うわごとで名前を呼ぶほど……」
リアは目を伏せた。
「……こればっかは…… どうしようもねえな」
アシュアは肩をすくめて言った。
「でも、涙が出ないの」
アシュアは口を引き結んでリアを見つめた。
悪いけど、今、おれ、なんも言ってやれねえよ。
そう思ったが次に出たリアの言葉は意外だった。
「アシュア…… ありがとう……」
リアは地面を見つめたまま言った。
「おれ、礼を言われるようなこと何もしてねえよ」
アシュアは答えた。
「なにもできなかったよ……」
「わたしも……」
ひと呼吸置いてリアはアシュアを見上げた。
「わたしも一緒にいさせて」
アシュアはリアを見つめた。
拒絶されると覚悟しているのだろう。リアの表情は堅かった。
「おれが決めることじゃないよ」
アシュアはそう言うとリアの頬を軽くたたいて背を向けた。
「ありがと、アシュア」
リアはその背につぶやいた。

「兄さん……」
書類を見つめるトリの後ろ姿にリアは声をかけた。
「なに? リア」
トリはいつも通りのもの静かな笑みをたたえてリアを見た。
「ケイナはただショックだけで意識を失ってるんじゃないんでしょう?」
トリはしばらくリアの顔を見つめたのち、再び書類に目を移した。
「そうだよ」
トリは答えた。
「ケイナは良くなるの?」
リアは後ろに手を組んで尋ねた。
「良くなるようにするよ。心配しなくてもいい……」
トリは書類から目を離さず答えた。リアはそんな兄の姿をしばらくじっと見つめた。
「……兄さん」
トリはリアに目を向けた。
「あの黒髪の人の気配をどうして感じられなかったの?」
リアは詰め寄るように兄に言った。トリは目を伏せた。
「分からない…… 森が静かすぎるんだ。リールの動きすらも読めない…… リアは森に入ってなにか感じなかった?」
リアはかぶりを振った。
「あの黒髪の人も、本当に近くに来るまで気配を感じなかった…… こんなことなかった。アシュアに言っておいたほうがいい?」
「そうだね……」
トリは考え込むような顔でつぶやいた。
「何か起こるような気がする?」
リアは目を細めて兄を見た。
「ここに辿り着くことは不可能だよ。それが例え同胞であっても今は拒否する」
トリはリアから目をそらせると書類に再び目を落した。
リアはそんな兄をしばらく見つめてからテントを出ようと背を向けた。
「リア」
トリの声に彼女は足をとめた。
「いい加減、意地を張るのはやめたら」
リアは兄を振り返った。
「あたし、トリのそういうところ、大嫌いよ」
リアはかすかに笑みを浮かべた。
「今日はみんなと一緒にケイナのそばにいるから」
そう言うと髪を揺らしてテントから出ていった。トリは目をあげずにかすかに息を吐いた。