24-11 タイムリミット

「ごめんな、アシュア」
ケイナは言った。アシュアの目がきょとんと見開かれた。
「最初っからおれ、アシュアに頼ってばっかだった。ラインにいた時から。アシュアはおれが自分で言葉にできないこと、全部悟ってくれてた。カインもそうだ。セレスも」
ケイナは自分の右手の点滴のチューブに目をやった。
針の根元にかすかに血が滲んでいるのが見える。赤い血。
「どんどん自分が弱くなってくのが怖かった。おまえら全然おれを見捨てねえんだから。もっと早くおれのほうが大事なものに気づけば良かった ……そしたら少しは守れたのに」
いきなりアシュアの大きな手が自分の脳天を掴んだのでケイナはぎょっとして顔をあげた。
アシュアはかすかに笑っていた。
「残念だがおれのほうがいくぶん兄貴でな。守るなんて言うのは3年ほど早い。びっくりだ。うまくいろんなこと言えるようになったな、ケイナ。おれより話すのうまくなってるのかもしれない」
ケイナはアシュアの手を払い除け、じろりとアシュアを見た。
「妙に老けてると思ったぜ。ラインの中で」
ケイナの言葉にアシュアはさらに笑った。
「おまえはそうでなきゃ」
テントに誰かが入ってくる気配がしたので、ふたりはそちらに目を向けた。
「良かった。元気そうだ」
トリは笑みを浮かべていたが、後ろからついてきたリンクの顔はひきつっている。ケイナの目がそれを見てかすかに細められた。
「点滴を外すよ」
リンクが近づいたので、ケイナは身を横たえた。
「手が震えてるけど?」
ケイナは言った。
「そう?」
リンクはひきつった笑みを浮かべた。
「ユージーになにかあった?」
ケイナはトリに目を向けた。トリはかぶりを振った。
「そうじゃないよ」
そして点滴を外されて身を起こしたケイナに手を突き出した。
何かを握っている。
アシュアが眉をひそめた。厭な感じがした。ケイナも同じ気持ちになったらしい。
無表情を取り繕っているが、目にかすかに動揺が浮んでいた。
「なに?」
トリの顔を険しい目で見上げると、トリは少しためらったのち口を開いた。
「きみは…… 嫌かもしれない。だけど…… 一日でも早いほうがいいと思う」
それを聞いてケイナの表情が凍った。
「決心して欲しい……」
トリはゆっくりと手を開いた。
アシュアはその手の中を見て目を見開いた。
見覚えのある赤いピアス。
それも2つ。ひとつはもう片方よりもひと回り小さい。
「感情抑制装置!?」
アシュアは悲痛な声をあげた。
「なんでこんなもん……」
「つけていたことがあるんだろうけれど…… そのことでずいぶん厭な思いをしてきたことも知ってる。だけど……」
トリにしては躊躇した物言いだった。点滴のチューブをまとめていたリンクも沈鬱な表情だ。
ケイナはピアスをしばらく見つめたあと、手を伸ばしてトリの手のひらからひとつつまみあげた。
「また、赤い色かよ……」
自分の手のひらで転がしながらケイナはつぶやいた。
トリは気づかうようにケイナの顔を見た。
「感情の起伏はできるだけ少ないほうがいいんだ。そのほうが病状の進行は遅くなる」
「いや、でも、2つもつけたらケイナは……」
アシュアは冗談じゃない、というようにトリを見た。
「ケイナは左が軸なので右脳が発達しているんです。だから大きいほうは右耳に。でも、もう左もつけたほうがいいんです」
トリの代わりにリンクが懇願するような口調で言った。頼むから拒否しないでくれと言いたそうだ。
「今回は片方だけでも前のものよりも強く感情を閉じ込める ……たぶん、日常の最低限の動作しかできないと思う……」
トリは目を伏せた。
「最低限のって……」
アシュアはつぶやいた。
「食って寝て用を足して?」
ケイナが自嘲気味に笑みを浮かべてトリを見た。トリは辛そうにその視線から顔を背けた。
「自分からの意思表示はまずできなくなると思う。生命存続の必要最低限…… 喜怒哀楽はない」
「ちょっと待てよ!」
アシュアは叫んだ。
「どうしてもそんなもんつけなきゃならねえのかよ。ケイナはやっと……」
「本当にこれをつければ延命する?」
アシュアの言葉を遮ってケイナはトリに言った。
「延命するとは限らない」
トリは答えた。
「だけど、何もつけないよりは…… その確率は高い」
そんな…… そんなことってアリかよ。
やっと人並みに感情表現するようになってんだぞ。また最初に戻るのか?いや、最初よりひどいじゃねえか……
アシュアは絶望的な顔をしてケイナを見た。
ケイナはピアスを握りしめるとアシュアを見た。
「アシュア。ピアスをつけたからってしゃべれなくなるわけじゃないし、何も考えないわけじゃない。呼べば返事をするし、必要な受け答えはする。たぶんだけど」
「だけど、今ここでつけたら、セレスは目が覚めたときにショックを受けるぞ」
アシュアはすうすうと気持ち良さそうに寝息をたてるセレスを指差して言った。ケイナはそれをちらりと見ると目を伏せた。
「分かってる。それに…… やっておかなきゃならないことがある」
「やっておかなきゃならないこと?」
アシュアは目を細めた。ケイナは持っていたピアスをトリの手のひらに再び乗せた。
「3日くらいたてばユージーは森の外に運んでいけるか?」
トリは目を細めてケイナを見た。
「何をするつもり」
「延命じゃねえよ。生存。レジーにコンタクトをとる。ユージーを運んだときに」
アシュアは呆然としてケイナを見た。
レジー・カートにコンタクトだと? あのオヤジから何が聞き出せるってんだ。
その心を読んだようにケイナは再びアシュアを見た。
「レジーは必ず何か知ってる。アシュア、思い出せ。今まで軍は全く動いてない。あのとき『ライン』にいた兵士もステーションにいた兵士も全部カンパニーの私設部隊だった。カートがリィと共謀してるんなら、レジーは絶対軍を動かす。軍が動いたら、そもそもノマドのコミュニティにだってこんなに長居ができるわけがない。彼らなら森を焼き払うことだって可能なんだから」
アシュアは顔をしかめた。
確かにそうだ。カンパニーが森を焼き払えばそれは犯罪だ。治安という大義名分を掲げてカートが大掛かりなことをしてこないのは軍が動いていないという証拠だ。
「セレスの兄さんのことも気になる…… レジーは絶対何かやってるはずだ。聞きだせるだけの情報を引き出す」
ケイナはそこで小さく深呼吸した。
「場合によったらユージーを盾にする」
アシュアは無言でケイナを見つめた。
ケイナは絶対に本気でユージーを殺めるつもりはないだろうが、極限状態になったときにはどうなるか分からない。顔中血まみれだったケイナはすさまじい葛藤をしていたに違いないのだ。
たぶん今度それを止められるのは…… おれしかいない。
アシュアは床で寝息をたてるセレスに目をやって口を引き結んだ。
「ノマドにいることは悟られないようにするけれど、レジーはたぶん分かっていると思う。カンパニーも。仕掛けてもいいか」
「最初からそれは覚悟のうえ」
トリは厳しい表情で答えた。ケイナの確固とした表情を見て、反対するのは無駄だと思った。