24-10 タイムリミット

 夜中にリンクは一度だけケイナの点滴を取り替えに来た。
そのときには起きていたのはリアだけだった。
セレスはケイナの点滴に繋がれていないほうの手を握りしめ、彼の顔の近くに自分の頭をもたせかけて眠っている。アシュアはテントの隅で毛布にくるまって寝息をたてていた。
「一緒にいるっていっても、これじゃあ何のことか分からないな」
リンクはテントの中を見回して苦笑した。
「ねえ、このぐるぐる巻きはいつになったらとれるの?」
自分の足を指して顔をしかめるリアにリンクは笑みを浮かべた。
「あさってには」
リンクはケイナの額に手を当てながら答えた。熱はいくぶん下がったかもしれない。
念のため彼の耳穴に体温計を入れた。
「できるだけ早くね」
リアはリンクのやることを見つめながら言った。
「森の中、なんだかやばそうよ」
リンクはうなずくと体温計を取り出した。
38度5分。
昼間測ったときは40度を超えていた。とりあえず峠は越したのかもしれない。とにかく水分をガンガン補給するしかないな、と考えつつもう一度点滴をチェックして出ていった。
リアはそれを見送ってベッドに近づいた。ケイナの息は少し穏やかになっているようだ。
「最低」
リアはぐっすり眠り込んでいるセレスを見下ろしてつぶやいた。
「こんなに夢の中で呼び合って……」
リアはくちびるを噛み締めた。
「入り込む隙がないじゃないの……」
リアはずり落ちた毛布をセレスの背にかけ、足を引きずりながらテントの隅まで歩いていくと、アシュアから少し離れて腰をおろした。
「最低よ」
トリと双児のリアにはトリほどの能力はなくても、あまりに強い他人の思いは頭に流れ込むことがあった。
セレスとケイナは繋いだ手を介して必死になって名前を呼び合っている。
いい加減にしてと言いたくなるほどふたりはお互いを探していた。
トリは何も教えてくれなかったが、リアは足の手当てをしてもらっているときにリンクにせっついて、やっとふたりの因果の断片を聞き出した。
詳しいことはどうしても教えてもらえない。ただ、ケイナもセレスも遺伝子治療が必要な状態であることだけは分かった。そのことはリアにとってはあまりぴんとこないことだった。
命の危険を抱えながら生きているふたりを助けてやりたいという気持ちはある。
でも、ケイナの頭には自分への思いなどかけらもない。小さい頃の記憶もない。
それが寂しい。
そのことのほうが彼女にとっては大きかった。
ケイナの柔らかい髪の感触や、温かい唇の感触をわたしは覚えているというのに、彼は何も覚えていない……
リアは立てた膝に顔を埋めた。何も思い出さずに逝かないで。少しでいいからわたしのことを思い出してよ、ケイナ。
リアはぎゅっと目を閉じて思った。

 ケイナは夢の中で不安に駆られていた。
何が不安なのかも分からなかった。
自分の中で何かが少しずつ壊れていく予感…… その何かが分からなかった。
命の期限なのか。壊れていく自分の体なのか。
『必要と思えば、いくらでもいろんな自分を作れるぜ。そういう指示をもらったろ?』
自分に話しかけたのは誰だったんだろう。
指示っていったい誰の。
雨のように落ちた血の粒。
怖い。
あいつはまだおれの中にいる……
このままだとずっと深い深淵の中に落ちていってしまいそうだった。
『ケイナ』
聞き覚えのある懐かしい声がした。
「セレス……?」
ケイナは必死になって声のする方向を見極めようとした。しかし何も見えない。
「セレス…… どこにいる……」
ケイナはつぶやいた。
『いるよ、ここ……』
ケイナは手を伸ばした。
『ここにいるよ』
指先に誰かの手が触れる感触があった。ケイナは夢中になってそれを掴んだ。
『死ね!』
ふいに誰かが叫び、ケイナはぎょっとして目を開けた。開けたと同時に飛び起きていた。
ゴツリと何かを落したような音がして自分の体がいきなり左に引っ張られた。バランスを崩してケイナは反射的にベッドの端にしがみついた。
「は……?」
まだ夢と現実の境を彷徨っているように頭がはっきりしない。
ベッドの端から強制的に見せられた床には、自分の左手を堅く握りしめるセレスがだらしなく眠っている姿があった。
混乱して顔をあげると、次に目にうつったのは一枚の毛布にくるまって身を寄せあって眠っているリアとアシュアの姿だった。
ケイナは痛みを感じるくらい自分の手を握りしめるセレスの左手を振って外そうとしたが、びっくりするほど強い力で離れない。
右手を伸ばそうとすると点滴に繋がれていることに気づいた。
「冗談だろ……」
ケイナは左腕をだらりとベッドの下に垂らして突っ伏した。
しばらくしてアシュアが目を覚ました。
「あ」
ケイナの様子に気づいて声をあげるアシュアにリアも目を開けた。そして自分がアシュアにしっかり抱き締められたまま眠っていたことに気づくと顔を真っ赤にした。
「なにすんのよ!」
「おれのせいじゃねえよ!」
自分の頬を張り倒そうとするリアの手をよけてアシュアは叫んだ。
「毛布持って来なかった自分が悪いんだろ! 寒くてスリよって来たくせに!」
「そ、そんなことしないわよ!」
「ケンカはあとでやって……」
ケイナは呻いた。
「頼む、この手を外して……」
アシュアは慌てて立ち上がった。これだけ大騒ぎをしているというのにセレスは全く目を覚まさない。
一本一本指を引き剥がすようにしてセレスの手を取ると、ケイナの手の甲には指のあとがくっきりとついていた。
「大丈夫か」
アシュアは痛そうに手をさするケイナの顔を覗き込んだ。ケイナはうなずいた。
そして床のセレスに目をやった。
「こいつ、しばらく目を覚ますことができないかも……」
アシュアは怪訝そうに目を細めた。
「おれの剣、まともに受けてた」
「ああ、そういうこと……」
ユージーが昏睡状態になっているのだから、セレスにもダメージがあっても不思議ではない。
「ユージーは?」
ケイナはアシュアを見上げた。
「心配ないよ。かなり消耗してるけれど命に別状ない。今眠ってる」
アシュアの言葉にケイナはほっとしたように息を吐いた。
「暗示はもう解けたってトリは言ってた。目を覚ます前に森の外に送っていけば、何があったかもう覚えてないとさ」
あのとき、セレスが止めてくれなかったら……
ケイナは左手の指のあとを見つめて思った。
必死になって剣を受けていたセレスの顔が思い出された。
受けきれる保証はなかったかもしれない。力の加減をしないで振り切った自分の剣が、もしセレスの剣を通り越していたら……
一振りで顔面をまっぷたつにしていたかもしれない。
あのときほとんど正気じゃなかった。一瞬で正気に引き戻したのはセレスの緑色の目だった。
『大切だと思えばこそ! あんたがそう言ったんだ!』
セレスは叫んでいた。
ユージーやセレスに剣を振るうことなんかできっこない。
大切だと思えばこそ…… それを忘れなければ正気は無くさず済んだのか。
『死ね』
自分の中で声がする。
ちくしょう。制御しなければならないのは剣じゃない。自分のほうだ。
「ケイナ? 気分が良くないか?」
心配そうに顔を覗き込むアシュアにケイナははっとして顔をあげた。
「トリを呼んで来るわ」
リアが声をかけた。
アシュアはちらりと彼女を見やったが、そのときにはもうリアはテントの外に出ていた。
「ケイナ」
アシュアは再びケイナに顔を向けて言った。
「あの…… おれたちもう全部聞いたから」
それを聞いてケイナは眉をひそめた。
「トリから聞いた。セレスも知ってるよ。これから何が起こる可能性があって、何をしなければならないかってこと」
顔をしかめるケイナの反応は予想していたことだった。
分かっている。ケイナが一番気にかかるのはセレスのことだ。
案の定、ケイナは床で大の字になっているセレスにちらりと目を向けた。
「こいつは…… なんて言ってた?」
アシュアは少し息を吐くとセレスに毛布をかけてやった。ほんとうにぴくりとも動かない。
くうくうとかすかに口から洩れる寝息と、思いのほか幸せそうな表情がなければ死んでいると思われかねない。
「まあ…… 冷静じゃなかったな…… 無理もねえよ」
ケイナは無言で目をそらせた。
「おれ、具体的になんもしてやれねえんだけど……」
アシュアはケイナのベッドに腰をおろした。そして頭をがしがし掻いた。
「なんつうか、歯がゆくってしょうがない ……肝心なことに全然力になってやれない。痛いこととかおれは全然平気なんだけどな、代わりできねえって辛い。だけど、おれ、おまえらがちゃんとなるまでずっとそばにいるからよ。おまえらをちゃんと守ってやるから、その……」
アシュアは言葉に詰まって苛立たしそうにこぶしを握りしめた。
ケイナはアシュアを見つめたあと目を伏せた。