23-6 一個分の命

 ケイナはテントまで戻って来たが、とても中に入ることができなかった。
アシュアはきっとまだ起きているだろう。
しかたなく疲れきったようにテントの外に座り込んだ。ほかの者は誰も外に出ていない。しばらくすれば頭も冷えると思った。
まだ心臓が動悸を打っている。
最低な気分だ。子供の頃のことは何も覚えていない。思い出せない。
懐かしさと切なさがあるのに…… 思い出せない。
おれはいったい、何をしているんだろう…… 自分を愛してくれた人を殺したという事実をつきつけられて。
おれを愛しているということをつきつけられて。リアが抵抗しなかったらどうするつもりだったんだ……
彼女を抱くのか? セレスのいるこのノマドで?
知るか。
ちくしょう。
そんなこと。
リアの体に沁みついた花の香気がまだ自分を取り巻いているような気分だった。
「どうした」
ぎょっとして目をあげるとアシュアが立っていた。
「遅いから…… 何かあったのかと思った」
アシュアはケイナの顔を見つめて言った。ケイナはアシュアから顔をそらせた。
「なんかあったのか?」
「別に」
アシュアは身をかがめてケイナの顔を覗き込み、にやりと笑った。
「またあの女がちょっかいかけてきたか」
ケイナが不機嫌そうに口を歪めたのでアシュアは声をたてて笑った。
「ここでおまえがそんな顔する原因って言えばそれくらいしかねえもんな」
そして彼はケイナの横に座り込んだ。
「またいきなり襲いかかられたか?」
一瞬顔にギクリとした表情が出たような気がしてケイナは動揺した。
動揺するなんてめずらしい。セレス以外のことでこんなに心が揺さぶられた記憶がない。
襲いそうになったよ。そんなふうに答えたらアシュアはどんな顔をするだろう。
ケイナの様子に気づいたのか気づかなかったのかアシュアは何にも言わなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、ケイナが口を開いた。
「なんで何にも言わないんだ」
「話すことねえもん」
アシュアは屈託なく笑った。
「邪魔?」
「いや…… 別にそういうわけじゃ……」
「話して欲しけりゃ適当にしゃべるけど。 おまえが飲むの嫌がったアレクサの茎の見つけかたなんてどう?」
ケイナはばかばかしいというようにくすりと笑った。
アシュアは少し安心した。笑みが出るというのはいいことだ。
「アシュア…… 命の値段ってどれくらいだと思う」
しばらくしてケイナはぽつりと言った。
「なんだそりゃ」
アシュアは欠伸まじりに答えた。
「そうだな。地球一個分くらいかな」
「なんだよ、それ」
「わかんねえってこと」
アシュアは空を見上げて答えた。うっそうとした木々が上のほうで絡みあっている。
「ラインの休暇中にシティで体を売ったことがあるんだ……」
ケイナがそう言ってもアシュアは何も言わなかった。黙って空を見上げている。
「自分の屈辱と命の値段を知りたかった……」
「どうだった?」
こちらに目を向けずに言うアシュアの言葉にケイナはかぶりを振った。
「分からない ……薄っぺらい紙幣を何枚見たって、それが自分の命の実感にはならなかった……」
アシュアは少し息を吐いた。
「食うに困らないおまえが体を売って、相手の価値なんか考えもしねえやつと寝て、いったい何が分かるんだよ」
ケイナは目を伏せた。
「カインもおれも言わなかったし上に報告もしなかったけど、知らないわけじゃなかった…… はっきり言ってムカついてたよ…… 自分をおもちゃにしてるのと同じじゃねえか。だけど、もっと危険な自傷行為に出るよかましだと思ってた。おまえにはあのコテージであったみたいな自分で自分を傷つける危険性はいつも感じてた。赤いピアスをつけていても、おまえは無表情に自分のことを自分で傷つけていきそうだった。おれよりカインのほうがもっとそれを感じていたかもしれない。全部諦めてて、何に対しても無感動で……」
ケイナは黙って地面を見つめていた。
「セレスと出会ってからおまえは自分のことより人の身を考えるようになってた。今のおまえはたぶん生きることを考えてるだろ? 生きたいって思う命の実感は守るものができてからじゃねえの」
アシュアはため息まじりに言った。
「カンパニーは遺伝子を売ったり買ったりしてたって言ってたよな。おれはそれが許せねえよ。人の気持ちなんか全然考えてねえもんな。自分の子孫だけを継続させたいからの商品なんて、思いあがりもいいとこだぜ」
命の操作……
『結局遺伝子を操作された人間だけが生き残って、いったい何の意味があるんです……』
トリの言葉が思い出された。
グリーン・アイズ…… あんたは、何のために生まれて来た命なんだ……? おれの存在は……?
「ノマドは…… だから命の約束をしたんだ……」
ケイナはつぶやいた。
アシュアはケイナに目を向けた。伏せられた彼の長い睫がかすかに震えているのが分かった。
「ノマドは…… もう遺伝子操作をするなと言ったんだ。命の継続は自然が知っている。今ある命で繋ぐんだ」
「うん。そうだな」
アシュアはうなずいた。
「地球一個分の命だ。みんなおんなじに」