22-6 黒い影

 困惑したようなカインの表情をジェニファはしばらく見つめたのち、ポケットから小さな水晶玉を取り出した。
「これで試してみる? 私がノマドにいた頃の精を留めている唯一のものなのよ。もしかしたら迎えが来てくれるかもしれないわ。もしかしたら、よ。保証はできないけど」
カインはジェニファの手のひらに乗った水晶玉を見つめた。
「ケイナたちが行ったコミュニティはたぶん感応者の多いコミュニティだと思うの。もうだいぶん衰えてる精だからうまくキャッチしてもらえるかどうか分からないけれど……」
「大切なものじゃないんですか?」
カインはジェニファの顔を見た。ジェニファは笑みを浮かべた。
「もう持ってたってしようがないわよ。こっちではこっちの水晶を持ってるんだし」
カインはゆっくりと水晶玉を受け取った。
「それからね……」
ジェニファはふいに言いにくそうに目をそらせた。
「あれからよく水晶板で見るんだけど…… ケイナは必ずしもノマドに行ったからって平穏無事でもないようだわ…… 水晶はあそこにいれば数年は追手から逃れるように示しているけれど……」
「なぜ?」
カインはどきりとしてジェニファを見た。ジェニファは目を伏せた。
「ケイナを飲み込もうとする黒い影が少しも消えないのよ…… あの子の中の余分なものを閉じ込めたのに少しも状況が変わってない…… むしろ前よりも影が大きくなってる。どうしてなのか分からないの」
「黒い影……」
カインはつぶやいた。ケイナの病状はもしかしたら進行しているんだろうか。
「あなたには何か見える?」
ジェニファの声にカインは首を振った。
「いえ…… 全然……」
ジェニファはがっかりしたように顔を背けてうなずいた。そして再びカインに目を向けた。
「あなたが私にコンタクトを取ってきたとき、水晶に少し動きがあったの。あなたを示す影に黒い影が怯えたように身を縮込ませた。あなた、何かキイを担っているんじゃないかしら……」
「キイ……?」
ドクターのくれた治療ディスクだろうか……。
「ただし、微妙よ。あなたのこれからの動きが黒い影に勝つか、それとも飲み込まれるかは、これからのあなたの行動次第だと思うわ。よく考えてから行動することね」
カインは口を引き結んだ。
勝つか、飲み込まれるか…… ぼくの動き如何でケイナの運命が変わってしまうのか?
「あなたがケイナのことを深く愛している気持ちはよく知ってるわ」
ジェニファは言った。
「たぶん、ケイナもあなたのこと大切に思っていると思う。あなたが無茶をすると彼は本気で怒るわよ。そのことが足を引っ張りかねないからね」
カインは思わずジェニファを見た。ジェニファは笑ってカインの左腕を差した。
「ずいぶんひどい怪我をしたみたいね。私の目には燃えてるみたいに見えるわよ」
「薬をもらったから大丈夫ですよ」
カインは答えた。ジェニファはうなずいた。そして湖に目を向けた。
「ここは、ケイナの意識がずいぶん残ってるわね……」
「ええ……」
カインは目を伏せた。
ケイナがひとりでここに来ては湖を見つめていたときの寂しさとも怒りともつかない思いが砂浜に座っていると痛いほど感じられた。ジェニファもきっと同じことを感じているのだろう。
やがてふたりは立ち上がり、ジェニファはカインがエアバイクを停めた場所まで一緒に歩いて来ると、バイクに乗るカインに言った。
「うまくいくように願ってるわ」
「ありがとう。ジェニファ」
カインは答えた。
「4つの点のうち、ひとつが消える…… あなた、見てた?」
ジェニファの言葉にカインは一瞬ぎくりとしてためらいがちにうなずいた。
「ええ…… 知ってます……。」
気づかないふりをしていようと思ったのに……。カインはくちびるを噛み締めた。
4つの点。
その光が見え始めたのはいつからだっただろう。
ドクター・レイに話を聞いたときか…… いや、もっと前かもしれない。
腕を切り裂かれたときに、すでにちらちらと見えていたようにも思える。
本能的に不穏に思えてあえて見まいとしていた。
「予見は絶対的なものじゃないのよ。予言じゃないの。啓示でもない。いくらでも変わるものなのよ。それだけは信じていなさいね」
ジェニファは丸い目でカインをひたと見つめて言った。
カインはその目をしばらく見つめ返したあと、ジェニファの口の端に顔を近づけてキスをした。
「あら……!」
ジェニファの目がさらに大きく見開かれた。
「ノマド式の一番親愛の挨拶でしたよね」
カインは言った。
「ケイナがよくやってた」
ジェニファは嬉しそうに顔を赤らめた。カインは笑みを浮かべた。
そしてエアバイクを飛び立たせた。
ジェニファはカインの姿が見えなくなるまで、ずっと湖のほとりに佇んでいた。