22-5 黒い影

 しばらくしてアパートが見えたとき、カインはアパートの窓から空を見上げる人物に気づいた。
「ジェニファ……?」
カインはびっくりしてすばやく下を見回した。誰もいる気配はない。
彼女はカインのエアバイクに気づいたのかしきりに自分の腕を差してみせた。
「通信機……?」
そうか…… スイッチを入れたのか……
カインはアパートを通り過ぎるとさらにその先の湖まで飛んだ。たぶんあそこは誰も来ない。
目指す湖が見えて来たので、カインはエアバイクを林の中に降り立たせた。
そしてレイからもらった通信機を取り出してジェニファの持っている通信機のコードを入力した。すぐにジェニファが出た。
「カイン、良かった。分かってくれたか心配だったわ。今、どこにいるの?」
「西の湖です」
「分かった。すぐに行くから待ってて」
彼女はすぐに通信機を切ってしまった。音声通信するのは彼女にはそれが精一杯だったのだろう。カインは苦笑した。
湖に目をやると静かな水の面に光がちらちらと反射して揺れていた。
どこかで見た風景だ。どこだっただろう…… ああ、そうだ…… ケイナの意識の中だ……
カインはバイクから離れて水際に歩み寄った。透明な水が静かに寄せていた。
ケイナはこの湖が好きだったんだ……
顔をあげるとケイナの意識があちらこちらに残っているのが感じられた。
向こうから彼が歩いてくるような錯覚に陥るのはここに残る彼の意識が強いせいだ。
「ケイナ…… 今、どこにいる……」
カインはつぶやいた。
「ここで呼んでも…… ぼくの声は届かないか……」
カインは規則正しく足に近づく水を見つめた。
しばらくして気配を感じたので振り向くとジェニファが体をゆすりながら砂浜の向こうの林から必死になって歩いてくるところだった。砂浜におりる前にカインは彼女に手を差し出した。ジェニファは半ばすがりつくようにカインの手を掴んだ。
「ご、ごめんなさいね。ここ、来るの何ヶ月ぶりかしら」
そしてカインの顔を見てびっくりしたような顔をした。
「痩せたわね」
カインはかすかに笑みを浮かべた。
「それに、どうしたの? その格好は。髪まで染めて……」
「立場的にはケイナたちと同じですよ。ぼくも人に見つかるとまずいんだ」
カインは答えた。
「あのときいなかったから、どうしたのかと思っていたのよ……」
ジェニファは首を振って言った。
「生きていてくれて安心したわ」
カインはうなずいた。
「ここは滅多に人が来ないのよ。とりあえず座りましょう」
ジェニファはそう言うと湖に体を向けて砂浜に腰をおろした。カインもその隣に座った。
「ここまで、どうやって来たんです?」
カインが尋ねるとジェニファは肩をすくめた。
「アパートにバイクを持ってる人がいるの。ちょうどいたから助かったわ。でも、もう帰りは歩いて帰るわ。空の上なんて金輪際ごめんよ。怖くて怖くてたまらなかったわ」
カインは思わず笑った。そしてすぐに真顔に戻った。
「ケイナの催眠療法はうまくいったんですよね」
ジェニファはちらりとカインを見てうなずいた。
「ええ…… たぶんね。でも、ケイナの中の余計な人格は根本から消えたわけじゃなくて、とりあえず出なくなるようにした、ということなんだけど…… ケイナが自分でそういう自信がつけばいいということなの。セレスが一緒にいればたぶん問題ないと思うわ」
「良かった」
湖を見つめながらつぶやくカインの横顔をジェニファは見た。
「あなたはケイナの中に入ってきたでしょう」
カインはうなずいた。
「ええ…… ちょうどハーブを吸ったんです。怪我をしていたので勧められて。たぶん、それで引き込まれたんでしょう」
「ハーブをね。それで納得いくわ」
ジェニファは大きくうなずいた。
「ケイナはかなり無理をしたのよ。術に逆らって必死になってセレスを助けようとしてた」
「ええ…… 知ってます」
カインは目を伏せた。ケイナの声はあのときかすかに聞こえていた。
「あんなアクシデント、予想もしていなかったからびっくりしたけれど、結果は良かったんだから私はこれでいいと思うわ」
ジェニファはそう言うと笑みを浮かべた。
「それで、何が知りたいの? 彼らのいる場所?」
彼女の言葉にカインはうなずいた。ジェニファは少し息を吐いた。
「ノマドのコミュニティに行けばって勧めたのよ。サウス・ドームの森よ。辿りつけなければ嫌でも森の外に出てくるから、行くだけでも行ってみればって」
「たぶん、そうだろうと思っていました」
カインは答えた。
「出てきた気配がないから…… たぶん、辿り着いたんだ思うわ。でも、あなたは行くのは無理よ」
ジェニファの言葉にカインは彼女に目を向けた。
「あなた…… カンパニーの人間なのね。悪いけど…… ノマドはカンパニーを受け入れないと思うわ」
そして慌てたように手を振った。
「いえ、あなた自身に別に敵対心を持ってる、というわけじゃないのよ。でも、あなたがカンパニーを捨てたというなら話は別だけど、そういうわけではないんでしょう?」
カインは俯いた。そういう答えは予想していたことだった。ノマドがカンパニーの人間を近付けるわけがない。いくら自分がカンパニーのことを心良く思っていなくても、リィの跡取りであることが消えているわけではないからだ。
「はっきりとは分からないんだけど、おそらく今、あの森にいるのは昔ケイナのいたコミュニティから分岐した群れだと思うの。彼と波長が似てたのよ。だから行くように勧めたの。きっと何か分かるかもしれないと思って。ただ、私にもそこまでのことしか分からない。私ももうノマドの人間じゃないから。彼らと交信することもできないの」
ジェニファは申し訳なさそうに言った。
「ぼくひとりで森に入っても無駄だということですね」
カインの言葉にジェニファはうなずいた。
「あなたが一緒でもだめなんですか?」
「私が?」
ジェニファは目を丸くした。そして顔を背けた。
「私はだめよ。もうノマドを捨てたの。一度離れたら、もう戻れないわ……」
カインは彼女の顔に強固な意思を感じて諦めざるをえないことを悟った。
どうすればいいだろう……