22-3 黒い影

「彼の生殖機能検査はプラス5クラスだった。次世代が欲しければきちんと治療して結婚して子供を作ればいいんだ。クローンやコピーは違法だよ」
「人並み外れた知能と運動神経と……」
カインはごくりと唾を飲み込んだ。
「人を殺すことを厭わない人間……」
「なんのことだ」
レイは訝し気にカインを見た。
「確かに彼の発達した脳は優れた知能と運動神経をもたらすがね、人を殺すことを厭わないなど、そんな子には見えなかったよ。もっとも、二ヶ月間、二回の検査といえば日数にすれば三週間ほどだ…… それだけで彼のことのすべてを知るのは不可能だろうが……」
レイはため息をついた。
「仮死保存なんて今初めて聞いた…… 彼はそれが厭で逃げ出したのか?」
「ケイナはとっくの昔にそのことを知っていて、諦めてましたよ……」
カインは答えた。
「彼がラインを出たのはセレスを助けたい一心でしょう。彼にとってセレスの存在は特別なんだ…… アシュアがいるからたぶんまだ逃げ延びてる。なんとしても会わないと……」
最後は半ば自分に言い聞かせるような口調だった。
レイは顔を伏せて首を振った。
「最初から知っていれば何とかできたかもしれんがね…… 私はてっきり治療のための検査だと思い込んでいたんだ。だから、あとは後任に引き継いだ」
「ケイナの治療法を覚えていますか?」
カインの言葉にレイは彼を見て数回まばたきをした。
「あ、ああ…… もちろん、当時のものなら覚えているよ。ただ、今まで治療をされていないとなると同じ方法では追いつかん」
レイは答えた。
「今、早急にでも抑制装置をつける必要があると思いますか?」
「外部からの刺激はできるだけ脳には与えないほうがいいな。病状が進行する。今なら相当に強い薬なり機器が必要だろう。その上で早急な遺伝子治療が望まれる」
レイはそう言って暗い表情で床に目を落した。
「しかし、間に合うかな……」
「でも、助けないと」
カインはきっぱりと言った。
セレスがそばにいることが抑制装置の代わりになるだろうか。それでもあの赤いピアスは必要かもしれなかった。
「ケイナの治療法を思い出してデータにしてぼくにください。それとここの端末を貸して欲しいんです。できる限りホライズンにアクセスしてみたい」
ベッドから降りようとするカインにレイは慌てた。
「きみは起きるのはまだ無理だよ」
「そんなこと言っていられない!」
カインは小さく怒鳴った。
「一日でも遅くなればケイナは死に近づく! 早く彼らと会わないと!」
早くケイナに会わないと…! 死ぬなんて絶対許さない…。カインは唇を噛んだ。
「ちくしょう…… こんな計画ぶっ潰してやる……」
これまで聞いたこともないカインの荒々しい言葉にレイは眉をひそめて彼を見つめた。

「食糧と小型通信機…… これはしばらく使ったことがないぞ。すまんが銃はわたしには手に入れられん」
数時間後、レイはベッドの上に一式を並べてため息をついた。
「これは薬。腕の傷を早く治したければきちんと飲むんだよ」
「すみません……」
薬の袋を置くレイにカインは詫びた。
「どうしても行くかね。私は今でも反対なんだがね」
レイの言葉にカインは目を伏せた。
「ホライズンのデータはやっぱりものすごく固くガードされてる。 ……所員のデータすら取りだせないんです。特定のIDが分からないと入れない」
カインはここに来るまで着てきた服に苦労して手を通しながら答えた。
「盗んで来た所員のIDでもだめだった。一度地球に戻らないとどうしようもないけれど、それよりもケイナに抑制装置をつけさせないと……」
「彼らと通信機で連絡を取るわけにはいかないのかね」
レイは言ったがカインはかぶりを振った。
「アシュアは通信機を持っていたけれど、だいぶん前からアクセス不能なんです。あっちで切ってるのか、壊れたのか、それは分からない。だけど彼らは逃げ延びてる。それは分かるんです。どこに逃げたかを知ってるかもしれない人がいる。だから、その人に会います」
カインの頭にはジェニファの姿があった。
ジェニファに渡した通信機は繋がらなかったが、何とかして彼女とコンタクトを取るつもりだった。
「カイン」
ふいに病室にレイの妻のマリアが顔を覗かせた。相変わらず彼女の体は大きい。遠慮がちに部屋に入ってきたが、その巨体はレイとひと回りほども違う。
「おまえ、診察は」
レイが咎めるような口調で言うとマリアは肩をすくめた。
「今、ジュナのほうにしか患者いないの。トイレに行くフリをして来たわ」
彼女はそう答えるとカインに向き直った。
「怒られるかもしれないけど、これ、持っていって」
マリアの差し出した小さな袋にカインは怪訝な顔をした。受け取ってみると、中に紙幣が入っていた。
「現金はかさ張るかもしれないんだけど、これが一番安全よね……? 持ってって。普段お金は持ち歩いてないでしょう?」
何とも言えない気がした。財閥の息子がお金を持っていない。盗みをはたらき、めぐんでもらおうとしている。
「必ず返しますから」
カインは言った。
「そんなの……」
言いかけるマリアをレイは押しとどめた。カインのプライドを察したのかもしれない。
「もし、トウからの使いが来たら何も知らないを通してください。たぶんここでは手荒なことはしないはずです」
「分かっているよ」
レイは答えた。
「それで、これは大事なものだ。もし、うまく彼に会ってしかるべき治療先が見つかったら渡しなさい。彼の治療計画書だ。ずいぶん昔のものだからうまくいくとは限らんがね。もしどこも受け取り先がなかったらもう一度連絡をしておいで」
レイは小さなディスクをカインに差し出した。一番最初にトウから渡されたケイナの情報が入ったディスクと同じタイプのものだった。それがなんとも皮肉に思えた。
「急に転がりこんで…… すみませんでした」
カインは荷物をレイが用意してくれた小さなバックに詰め込むと、ふたりに言った。
マリアが心配そうな顔をしながらカインを抱き締めた。
「くれぐれも無理はするなよ。せめて一週間は左腕を使うな」
念を押すレイにカインはうなずいた。