22-2 黒い影

「知っているといっても彼を二回ほど検査しただけだがね。それも8年くらい前になる。カンパニーを辞める直前にこれまで彼の検査を担当していた医師が急死したからというので引き止められた。私の同期の医師でな、同じ脳医学が専門だったんだよ。だからよく覚えとる」
「ケイナの何を検査していたんです?」
レイがホライズンに行ったことなど全く知らなかった。カインの言葉にレイは笑った。
「何って、私は脳みそ専門だよ。決まっとるだろう」
レイは自分の頭をコツコツと叩いた。
「彼の脳を調べていたんだ」
「何のために?」
カインは眉をひそめた。
「何のため?」
レイは呆れかえったようにカインを見た。
「何でもない人間を調べるものか。彼は脳に大きな障害を抱えている。その経過確認だ」
「脳に障害?」
思わず大きな声が出た。
「し、失礼……」
「こっちは住居だから大丈夫だよ。診察室からは離れとる」
レイは笑った。
「障害、と言うには少し誤りがあるかもしれんが、彼は先天的に不思議な症状を抱えていたんだよ。当時彼はまだ10歳にも満たなかったんじゃないかな」
そして少し肩をすくめた。
「実はこのことは他言するなと誓約書を書かされているんだが…… カート家といえば名門だから、こういうことは外に出したくないという意図もあったんだろう。まあ、今は治癒しとるだろうし、ぼっちゃんならかまわんだろう。ただし、ほかで言わないでくれよ」
カインは不安を感じた。聞くと後悔するかもしれない…… そんな思いにとらわれつつレイの顔を見つめた。
「あの金髪の子はびっくりするようなきれいな顔立ちで、検査のあとは礼儀正しく礼を言って帰るようなところがあったよ。会えばまあ忘れることはできんだろうな。あんな小さな子が何度も検査、検査で可哀想だと思ったよ。痛い思いをするものもあったからね。だが、症状は深刻だったな。早期の治療が望まれた。彼の脳は外から見ただけでは分からないが信じられないスピードで細胞分裂を行っていたんだよ」
「細胞分裂……」
カインはつぶやいた。
「脳細胞というのはだいたい生まれる前にほぼ完成しておってな、細胞同士を繋ぐシナプスも乳幼児期にほぼ大人と同等の量になる。そのあとは経験などでシナプスをより強固に太く繋いでいくというのが普通の人間の発達だ。つまり脳細胞自体は増えることはないんだよ。だが、彼の場合は成長を重ねるごとにどんどん細胞が増えて行き、当然それを繋ぐシナプスも増えていく」
レイはカインを見た。
「だがね、限界があるんだよ。例えて言えば風船だ。頭をひとつの風船とする。風船は息を吹き込めばどんどん膨らむが、膨らませ過ぎるとどうなる?」
カインはごくりと唾を飲み込んだ。
「ばーん……」
レイは両手を広げた。
「風船は割れてしまう」
カインは思わず顔を背けた。
「これは例えだよ。堅い頭蓋骨が割れるなんてことはもちろんない。人間は脳ばかりが成長を遂げてもバランスはとれない。増える神経伝達は類い稀な運動能力や感覚を作るだろう。しかし、脳は人の心も司る。バランスを失った体と心でいずれ彼は死に至るのは目に見えていた」
死に至る……
ドキリとした。ケイナが死ぬ……
「だが、私が行ったときにはそのスピードを押さえるための治療法はすでに確立されていた。改めて私が出すまでもなかった。意見を求められたが、おそらくこれでいけるんじゃないかという見解は出した。遺伝子治療を行うんだ。あの年齢から始めれば生き残る可能性は90%以上だ。ただ、彼の場合、外界からの刺激で脳の発達は促されていくから、ある程度の遮断をする必要はあった。そうだな、感情を抑制するような機器をつけるか薬品を服用するのは効果的かもしれん。遺伝子治療と外界遮断で、だいたい5年から10年でほぼ正常な体を取り戻すはずだ」
カインの体に震えが走った。赤いピアス…… 感情抑制装置……?
「ドク……」
カインは震える声でレイに言った。
「もし…… もし仮に彼が何も治療をされていなければ、彼の寿命はどれくらいだとドクターは思いますか……」
「治療をされていないと?」
レイは訝しそうにカインを見た。
「そんなはずはない。彼は生きているんだろう? 今いくつくらいになるかな…… そうだ、きみと同じ年じゃないか?」
「ドクター、頼みます、答えてください」
レイは顔をしかめていたがしばらくして答えた。医者である彼にとって治療をしないなどという行為は考えられないことなのだろう。
「前例がないから何とも言えんがね、18歳か、19歳あたりで何らかの症状は出て来るかもしれんな……」
カインは絶望感を感じた。
18歳のタイムリミット…… やっぱりそうか。
ケイナは…… 治療されていない……
「ドクターは彼の検査の意味について何も知らされていないんですか?」
カインのすがるような目にレイは困惑した。
「いったいどうしたんだ……」
「ケイナは18歳になったら仮死保存されるという契約を交わされているんです。彼はただデータをとられてただけじゃないかと思うんです。でなければ18歳で彼を仮死保存する必要なんかない。治療すれば治るんでしょう? 死んでは困る。だけど、治癒されても困るんだ……」
カインは身を起こした。
「起きちゃいかん」
レイが押しとどめたが、カインは彼の手をはらいのけた。
「その理由はケイナを保存して第二のケイナを作るとか?」
「そんなばかな」
レイは険しい目を向けた。