22-1 黒い影

 カインはうっすらと目を開けた。しかし、まぶしくて思わず顔をしかめた。
「おっと失礼…… ちょっとさっきブラインドを開けたものでな」
聞き覚えのある声が頭上で聞こえ、ブラインドをおろす低い音がした。
カインは右手で目をこすった。
「気分はどうだ?」
年老いた顔が自分を覗き込むのが分かった。
まだぼんやりとした視界の先に見覚えのあるその顔を見てカインはほっとした。
ドクター・レイだ。彼の家に何とか辿り着くことができたのだ……
「さっきミズ・リィから連絡があったよ」
点滴のボトルを確認しながらレイがそう言ったのでカインは思わず顔をこわばらせた。
かつてのホームドクターだったレイのところにトウが連絡しないわけがなかった。そんなことにも気づかないなんて……
「心配しなさんな。何も言っておらんよ。あ、右手、甲に点滴の針がついとる。気をつけて」
レイはカインの顔を見て笑った。
「きみとはここ5年ほど顔も合わせていないと言っておいた。とても信用してもらえたとは思わんが、嘘をつく理由も彼女には察しはつかんだろう。ただ、明日あさってにはあっちからひとり誰かが来るだろうね。来たらどうする?」
「帰りませんよ、ぼくは」
再び顔を覗き込むレイにカインはきっぱり言い放った。レイは呆れたようにかぶりを振った。
「無茶もここまで来ると感心するよ。きみがアライドのハーフでなければとっくの昔に危険な状態だし、下手をすると左腕が使えなくなったぞ。私は迎えに応じて帰ったほうがいいと思うがね……」
レイはカインのベッドの脇の椅子に腰をおろした。
この人はめっきり歳をとった。髪も薄くなって真っ白だし、顔には深いしわが刻まれている。
小さい頃はとても大きな身体に見えたのに……
「眠っている間、がんがん促進機にかけたから明日には動けるだろうけれど……。ちゃんと左腕が使えるようになるには数週間かかる。何があったんだ、こんな傷」
カインは大きく息を吐いて天井を見た。
病室じゃないんだな…… 天井も壁もごく淡く小さな花模様が散っていた。
きっとレイの妻、マリアの趣味だ。マリアは体が大きくて逞しく男勝りな感じがする。
しかし、その見かけとは裏腹にとても少女趣味なところがあった。気がつくとベッドのシーツも淡いピンク色だ。
「別に無理に話さなくてもかまわんよ。体力を消耗する」
レイはカインが黙っているので答えたくないのだと思ったらしい。
「こっちでは何かニュースが流れていませんでしたか?」
カインが言うと、レイは怪訝な顔をした。
「何のニュースかね? マスコミで?」
「ええ……」
レイは首をかしげた。
「いや…… 特に目立ったものは何もないように思ったが……」
「そうですか……」
あれだけラインで大騒ぎしてもオフレコということか……。
「ドクター…… 迷惑かけてすみません。ぼくはカンパニーには戻れないんです。助けなきゃいけない友人がいる。明日にはここを出ますから…… それまででいいですから……」
「助けたいって……」
レイはため息をついた。
「こんな体でもぼっちゃんが行けばなんとかなるようなことなのかね」
痛いところを突かれた。カインは口を引き結んで黙り込んだ。
レイはしばらくカインの顔を見つめていたが、再び点滴に手を伸ばした。
「そういえば、あの女の子は元気にしとるかね」
彼なりに話題を変えたつもりらしい。
「あの女の子?」
カインは目を細めてレイを見た。
「ほれ、前に検査した子だよ。ハーバル88の中毒になっとった」
カインの堅い表情を見て、レイはこの話題も失敗したと悟った。
「なんだか問題がややこしそうだな……」
「ぼくが助けたいと思っているのは、その“女の子”ともうひとり……」
カインは答えた。
「ホライズンのほうから動きだしてしまった…… ラインから逃げ出したんです」
「報告したのか? 彼女の染色体のことを……」
「報告なんかしませんよ」
カインはとんでもないというようにレイを見た。
「するわけがないでしょう…… 本人だって知らない…… いや、知ってるかな……」
ケイナの夢の中のことを思い出した。
もしその記憶が残っていればセレスは知っているかもしれない…… 自分が覚えているんだから、彼も覚えているだろう。
ケイナ自身はどうなんだろう…… 分かっているんだろうか。
「きっと業を煮やしたんだと思います…… ぼくはずっと報告をごまかしてきたし…… やっぱりトウの目をごまかすなんて無理だったんだ……」
レイは困惑したような顔になった。
「なんだか、状況がよく飲み込めんが……」
カインは笑みを浮かべた。
「ぼくがラインに配属したのは、ラインの訓練を受けるためじゃないんです。ラインに入っていたケイナ・カートをガードするためだったんです。アシュア・セスって相棒と一緒に。トウからの命令だった。 ……ドクターが“彼女”という少年は、そのケイナが異様に関心を示した人間なんです。ケイナは……」
「ケイナ・カートは知っとるよ」
レイがそう言ったので、カインはびっくりした。
「知ってる? どうして」
「レジー・カート司令官の息子だろう?」
レイは薄くなった頭を撫でた。