21-9 日記

「ねえ」
セレスはためらいがちに言った。
「おれも、前のグリーン・アイズのようになると思う?」
「トリはもうおれたちには負の力はないって言ってただろ」
ケイナは答えた。
「でも、ケイナも暴走体を持ってただろ? 同じグリーン・アイズの血を引いているなら、おれだって……」
「そのときには今度はおれがおまえの中に入って暴走体と戦ってやるよ」
ケイナは空を見つめたままつぶやくように答えた。
「ケイナが?」
セレスは目を丸くした。ケイナはそれを見てかすかに笑みを浮かべた。
「おまえがそうしておれを助けてくれたんだ。今度はおれが助ける」
セレスはまじまじとケイナの顔を見た。
「なんだよ……」
ケイナは顔を赤らめるとセレスを睨んで目を反らせた。
「ケイナが、そんなふうに言ってくれるなんて思わなかった……」
セレスは言った。
「なんか…… 嬉しいや。ケイナがそばにいてくれて良かった。ちょっと安心したよ」
ふいにケイナは身を起こすと髪をかきあげた。戸惑ったような表情をしている。その顔を見てセレスは言った。
「ケイナ、さっきのマレークの日記を見て、いろいろ思い出した?」
ケイナはかぶりを振った。
「漠然と…… 楽しかった頃の記憶はあるけれど…… トリとリアやマレークのことは全然覚えていない…… きっと、記憶を消されてるんだろ……」
「全く、何も?」
「ノマドの…… 慣習で…… ひとつだけ…… 思い出した」
ケイナは所在なさげに片膝の上に顎を乗せた。
「お帰りって…… 言うんだ…… 誕生日とか、嬉しいときとか、ほかの挨拶の言葉は普通に使うこともあるんだけど、大切な人や大切なときに…… お帰りって…… 言うんだ……」
「…… いい言葉だね」
セレスはうなずいた。
「だからあのときお帰りって言ってたんだ……」
ケイナは目をしばたたせた。
「さっき、やっぱり泣いてた?」
セレスが悪戯っぽく言ったのでケイナが険しい目を向けて何かを言おうとしたとき、ふいにふたりは背後に気配を感じて振り向いた。
「なにしてるの? こんな時間に」
リアがふたりを見てびっくりしたような顔で立っていた。
「リアこそ……」
セレスは不思議そうにリアを見つめた。
「あたし?」
リアは肩の髪を後ろにぱさりと投げた。
「いつもこの時間に水浴びしに来るの。あんたたちも水浴び?」
そう言うとリアが平気で衣を脱ぎはじめたのでセレスは度胆を抜かれた。
「リ、リア!」
セレスが素頓狂な声をあげたので、リアはさらに怪訝な顔をした。
「嫌ならあっち行ってよ。ここじゃみんなこんなもんよ」
リアはくすくす笑った。
「全部脱ぐわけないじゃない。あんたたちも泳いだら? 気分が晴れるわよ」
リアは薄い衣を一枚だけ残すとさっさと水の中に飛び込んでいった。
しかし剣は腰につけたままだ。
「かたときも剣を離さねえ……」
ケイナは呆れたようにつぶやいてリアを見つめた。
「おいでよ! セレス、あんた泳げるでしょ?!」
リアはすぐに池の一番深いまん中あたりまで泳いでいくと、ふたりに手を振ってみせた。
「ケイナ、テントに戻ろう」
セレスは言った。ケイナはうなずいて立ち上がった。
「なによ、面白くないったらありゃしない……」
リアが悪態をつくのが聞こえたが、ふたりは知らん顔をして池のそばから立ち去ろうと背を向けた。
「ケイナ!」
リアが叫ぶのが聞こえた。
「昔は一緒に泳いだりしたじゃない! ねえってば…… あっ…… ぐっ……」
ケイナがはっとしたように振り向いた。セレスも彼女の声の異変に気づいて池に顔を向けた。
さっきまであったはずのリアの姿がない。彼女がいたとおぼしきところに水の輪が広がっていた。
「あれ?……」
セレスが何があったかを理解するより早く、ケイナは池に走り寄るとあっという間に飛び込んでいた。
セレスは呆然としてそれを見つめた。
ケイナは池の中心あたりまで泳ぐと大きく息を吸って水の中に潜っていった。
岸から見た感じでも中心あたりはかなり深かったはずだ。リアでも背は立たないだろう。
セレスは息を詰めてふたりが水面にあがってくるのを待った。
しばらくしてケイナがリアの頭を抱きかかえて浮かび上がってきた。
岸まで泳いできたので、セレスは水に漬かりながらリアの体をケイナから受け取って引き上げた。
リアは意識はしっかりしていたが顔をしかめている。咳をして少し水を吐いた。
「水、飲んだ? 大丈夫?」
セレスがリアの背をさすった。
「足が痙攣したのか?」
セレスはリアが右足を押さえるのを見て言った。
「もう、いやんなっちゃう……」
リアは髪からしずくを垂らしながらつぶやいた。
「足、見せてみろ」
ケイナはずぶぬれでリアに近づくと、彼女の足に手をかけた。リアの白い足が剥き出しになって、セレスは思わず目を反らせた。
「毒虫かなんかに刺されたのか……? いつのだ、これ……」
ケイナはリアのふくらはぎの裏に赤く腫れた点を見つけてつぶやいた。直径が4センチほどにふくれあがっている。
「ゆうべ、あんたたちを迎えに行くのに森に入ったときかもしれない…… 虫避けの薬を塗るのを忘れたの」
リアは肩をすくめた。
「わたし、足は痛みを感じる神経が足りないのよ」
セレスははっとしてまじまじとリアを見た。リアはそんなセレスを見て笑った。
「指は熱を感じないの。でも、同情なんかしないでね。わたしは不自由を感じたことなんかないんだから。時々こんなふうに思うようにならなくて悔しいだけよ」
そして彼女は髪の先からしずくを垂らすケイナを下から見上げた。
「小さいときはケイナがよく庇ってくれてたのよね……」
セレスはケイナの顔を見た。ケイナは黙ってリアを見つめていたが、やがて立ち上がると言った。
「とりあえず、テントに戻ろう」
そしてリアに手を差し出したが、リアは首を振った。
「ひとりで帰れるわ」
彼女は少しよろめきながら立ち上がると、脱ぎ散らかした服をとりあげようとして前につんめりそうになった。
そばにいたセレスが慌ててリアを受け止めた。
リアの柔らかい胸が腕に触れたので、セレスはみるみる顔を赤くした。かすかに彼女の髪から立ちのぼる花の香気が鼻をくすぐる。
ケイナはため息をつくとリアの体に手を回して軽々と彼女を抱き上げた。
「セレス、リアの服を持ってやって」
ケイナがそう言ったので、セレスはリアの服を拾い集め、リアを抱いて歩き始めたケイナのあとに続いた。
リアはケイナの首に手を回してしがみついている。
自分で歩けるって拒否していたくせに、ケイナが抱いてくれるとしがみつくんだ……。
ケイナの肩に頭をもたせかけているリアの姿を見ながら、セレスは妙な気持ちにとらわれていた。
何だろう、この気持ち…… なんだか今すぐにでもリアをケイナの腕から引き摺り下ろしたいような気分だ。
セレスは思わず首を振った。そして自己嫌悪に陥った。
『おれ、どうかしてる……』